心臓外科医の徘徊道 その二 頃おい
東京在住も早40年、それでも行動範囲は狭いものです。小生、山手線の北辺、新宿-上野間の駅に降り立ったことは殆どありません。
先日のことでした。某有名知識人が小生に宣わく、
「世の中には、旅してなきゃ息できない人間っているんだ。」
ちょっと待て、「それってオイラのことかい?」
例に漏れず、そう都合よく解釈する小生、徘徊人には渡りに船のお言葉、
「心の内外に積もったものをサラッと払いに出掛けようか」、そんな気分になったのです。
しかし豈図らんや、本年に取れる方位は東のみ、でもそこはつい2年ほど前に「長期巡礼」したばかりなのです。しかしまあ、そんな『頃おい』もございましょうね…、
小生、意外にも、この手の託宣には実に素直に従うのであります。
さて、そんな神田で恐縮ですが、今朝もまた、いつもの通勤路を歩いているのでございます。
そうですね、最近変化したことといえば、電車を一本遅らせたこと(NHK BSプレミアム 忘れられない患者 参照)、でもそれでも病院到着は6時10分なのでして、自分では、なんて仕事熱心だろうって思うのでありますが、でもまあそこはただ単に、早寝早起きという齢相当の成り行きに過ぎず…、
小生、意外にも、時流というものには逆らわないようにしているのであります。
それにしてもお天道様、随分と早起きするようになりましたね。夏に向けたご準備でしょうか、カラッとしつつもキリッとした鋭い視線を感じます。
うーん、でも何だか…、
飛田給駅から病院までが少し長くなった気がいたします。でもここは20年来変わらぬ道、考え事をしながら歩いている訳でもないのですが…一体これは?
少なくとも、以前には無かった感覚であります。しかも実に面白いことに、実際の出勤打刻時間は、逆に、2分ほど速いのです。化かされたというか、何だか少し得した気分を味わうのでございます。
それはあたかも、息を殺しての「かくれんぼ」という感覚にも似ておりまして、でももちろん、無意味に呼吸を止めているのでもないのでございますが、もしかしたら誰かが、信号機を合わせているのか、それとも向かい風を抑えてくれている…、もしくは、喪黒福ロードの時空のゆがみ…?(当ブログ「影」参照)、
いやいや「んなこと」は、ございませんですよね。
そんな時間感覚の変化に何の因があるのか、もちろんあるはずもなく、考えて分かるはずもないのですけれど、それでも考えずにはいられないと考えながら、毎回考えるのを止めるのであります。
小生、手術に関してはかなり細かい性格なのですけれども、こういった意味のない考えはサクッと、意外にも丁寧かつ即っと、切り替えてしまうのであります。
そういえば、小説もまた、シンプルなシナリオで長~くひっぱること、多分にございますよね。
読み終わった後に、「結局、あそこからここに来ただけの話じゃん」、そう思うことよくあります。でも、読み進めるうちに、その描写に深い思い入れを抱くようになり、段々と居心地良いというか飽きなくなるというか、思いの外そこに長くいる自分を感じてしまう…、小説を書くということは、そういった時間感覚を大きく麻痺させることかもしれません。
あーそうそう、また思い出しました。
先日、某所での講演会の帰りに、「18時~28時、心をこめて営業中」という居酒屋を発見しました。28時とは4時のこと、果たしてそれは、まだまだ夜なのか、それとも朝なのか…、この時間感覚、御神酒が入ればこれまたさらに、麻痺が進むのでありましょう。
そこで突然ですが、今読んでいる小説が大分県「別府」でのお話なのでございます。
別府といえば世界一の温泉街、心臓外科医の旅といえばまず温泉、そして御神酒は必携、これらは古代からの習わしでもございまして、魚釣りでないところが上品なのです。
ただ現在…、西方の大分は「歳破」でありまして、誠に残念なのですが、来年までは妄想旅だけで楽しむしかありません。これもまた、外科医固有の奥ゆかしき、「人となり」なのでございます。
そこで、思い出話しを一つだけ、
それは、当時別府最大の遊園地、「ラクテンチ」のアヒルの競走であります。色とりどりの首輪をつけたアヒルを一斉に走らせ、一等賞のアヒルの色を当てますと、アヒルの絵が描かれたタオルが貰えるのです。
これ、小生にとって初めての賭博でありました。ダミ声で口上を述べるオジさんを見るのも初めてです。
アヒルの色の選択に、迷いは一切無かったことを未だに記憶しております。
小さい頃から紫が好みの色で、即、紫色の馬券ならぬアヒル券を購入、しかし、心からの声援にも拘わらず、紫アヒルの足はかなり遅い…というか走らない、ビギナーズラックは成立いたしませんでした。(そういえば、小生のラッキーカラーが赤と緑と判明したのは、それから随分と後のこと…当ブログ「おせっかいな本棚 その三の番外編」参照)。
あの小学生時代のアヒルの競走、後ろめたさを感じない賭けだっただけに、その分、忸怩たる思いが未だに残っているのでございます。
続きます。
題「春になって、雲が溶けて、確かに何かが飛んでいたんです。」