Doctor Blog

コラム

心臓外科医の徘徊道 その三 休む

とある土曜日の昼下がり、国分寺駅周辺での出来事でございます。
三井不動産武蔵野支店の通りで、「榊原のユキちゃん」と声掛けされたのです。振り返りますとそこには古き友人の姿が…、「やめてよ~」と言いつつも、そこはいつものお約束、何の悪気もなく麦ジュースを傾け合ったのでありました。

読者の皆さま、「散歩」にはこういった魔物がたまに潜んでおりまして、重々気をつけて頂きたいのでございますが、小生、適応力と聞き分けが良いところだけが唯一の長所、欲望にはしたたか忠実なのであります。一本100円の焼き鳥に幸福を感じる、その「幸せのハードルの低さ」を情緒とする貧乏臭さこそが「潔し」…、そんな自分はとっても床しく、人見知りではございますが、「はんなり」という言葉が最も似合うタイプでもあるのです。
目の前に御神酒を欲している人がいるのに、拱手傍観するのは外科医の風上にも置けません…、ついつい、「過去を呼んで、過去を確かめる」、そんな時間の過ごし方をしてしまうのでありました。
でもこういった賭博性もまた、「その一」で申した「心を打つ道」の極みなのであります。

さて、話しは変わります。小生が若い頃のこと、
年間500~600例の心臓手術をしていたあの当時は、四六時中オンコールでありまして、申すまでもなく、充分な休みを取るよう、上司からは日々しつこく指示されておりました。とにかく睡眠が第一義です。(もちろん、そんな環境では、今寝るべきか今は起きとくべきか、御神酒を飲むべきか飲まざるべきか、山ノ神の機嫌をどう取るべきか、自然と分かるようになって参ります…)

ああそうでした、そういえばあの時は、
「どうやって休む時間を作っているのですか? ご趣味はなんですか? ストレス解消はどうされているのですか?」…終いには、「欧米との給料格差をどう思いますか?」、そんなご質問を頂いておりました。
そして、
「無鉄砲だの、考え無しだの、いい加減に落ち着け、歳を考えろ」…終いには、「感性のみで生きてるんじゃないよ」、そんな情け温かきご助言もありました(大多数の皆さまから)。
さらに、
「クレイジー、インクレディブル、無趣味人間、専門バカ、もっとグローバルに生きなきゃ」…終いには、「お前さんの仕事には誰も憧れを持たないよ」、そんな、痛々しくもご親身なご意見を頂いたこともあったのです(殆どの皆さまから)。

そうですね、あの頃、
休むってことをするのは中々に難しく、休むってことを考えるが故に休めないってことも、あったような無かったような…、
そこで次回は、ほんの少しだけですが、『休む』っていうことを、やや愉しげに考えてみることに致します。
お断り…今回はやや短めにてお開きとさせて頂きます。ほんにしつこきブロガーなれど、働き方はとっても大切にしているのです。おやすみなさい…。

続きます。

題「オイラ、また写っちまったぜ。」