Doctor Blog

コラム

心臓外科医の徘徊道 その四 ギフト

それでは読者の皆さま、「休む」ということに関しまして、結論を先に申したいと思います。
そうですね、あの当時を思い起こしますと、
「何にもしない時間」、そこには確かに“休息という効能があった”、そんな気がいたします。でも…うーむ、そうですね…、考え直してもそう、やはり間違いなさそうです。
しかし、その効能の類は、「ストレス発散、リフレーッシュ、ちばりよー」、そのような日焼け的効果とは明らかに異なるものでございまして、
ただただ単に、朝寝床から比較的速やかに這い出すことができて、朝飯が普通に美味い…、ひっそり休めて「おはよッス」、そんな秘湯の早朝的効能だったのであります。
読者の皆さま、期待はずれですか?でも、休み方なんぞ、それはそれで人それぞれでございましょう。小生の場合は、あくまでもこの40年間、胃に穴が開かなかったという偶然的な幸運から導き出された故の結論なのであります。小児心臓外科医ってのは、実はこんなにも安上がりなのでございます。

さて、その「何もしない時間」についてご説明したいのですが、
このこと、むしろ、「何もしなくていい時間」と言うべきか…、
いや、もっと外科医的にはっきり申せば、「手術をしなくていい時間」ではありますが…、
いやいやそれではあまりにも明け透けですね。気分的にはやはり、「何ぁ~にもしなくていいんだと思える時間」と言った方が良いのかも…。

そうですね、それは…、
敢えて集中をしない、散漫も忖度もしない、積極的に理解しようとしない、只管打坐もしない…、そんな時間とでもいうのでしょうか、
そうしますと、ネガティブに遠慮することや躊躇うこと、気を遣うことが何故か減っていきます…。
もちろん、五感を働かせないということではありません。全てを無視してもいませんし、記憶を残さない訳でもない…、それぞれの時間をそれなりに楽しんではいるのです。
もちろん時折には、明日の手術や日々の悩みごと、嫌なことを、突然思い出すこともございましょうね。でもそれはそれでいいのです。いずれ解決しますし、またいずれその内に、何事においても、全力で脳へ酸素を送り込むというような余分な力が無くなってしまうのです。
小生的には今や、テレビを観る、本を読む、散歩する、旅する、御神酒を頂く、ぐうたら寝る…、そんなことまでも既に、「何にもしない時間」の範疇に入っているのであります。

大切なことは、
日々の時間の中で、「何もしなくていい時間を過ごしている」、もしくは「過ごせた」、「あー楽だな」って、自分的に認識できるかどうかだけ…、
そうしますと、その一時だけは、「手術のことはしゅじゅつにとへ、休みのことはやすみにとへ、ユキちゃんは知らず」ってな気分になるのでございまして、妙な意味と意図は既に無いのです。

ある人曰く、「あなたは気持ちの切り替えが上手いね」。
それ何だか、「あなた飽きやすいのね」って言われている気もいたしますが…、外科医たるもの、もともとそんなに器用な人種ではないのでありまして、
ましてや、脱走もできない環境では、休めと言われて直ぐに休めるかっていうと、感情的にも道徳的にも現実的にも、それは中々に難しいもの…、また、その度ごとに、ストレス解消の方策や時間を探ることも難しい…、
手術に一所懸命になればなるほど、心の重みを忘れ切ることはできないのであります。

でもでも、多少積極的に目を凝らせば、「何もしない時間」は、日常のそこらかしこに転がっております。
もし一度でも、「何もしない時間」がこんなにも心地良い…、これこそが温泉的効能…、そんな感極まった思いに到ることができれば、明日がまた当たり前に、変わらずに、そしてアンビリバボに、始まるのでございまして、
一旦そうなれば、手術の難易度や心への無理難題など、休むためのハードルが如何に上がっていこうとも、より手軽に休むことができるようになっていきます。そしてまた、休むことを決して気張らない…、そうすれば、少しずつですが、追い求めている何かの輪郭もまた濃くなっていくのです。
そう、それは東京も5年を過ぎた春のこと…、寝ること以外の新たな知見でございました。

小児心臓外科医の長い人生を振り返りますと、その中の約15年は、
切羽詰まったことが頭の中を四六時中過ぎりっぱなし、周辺を顧みることが中々できないのであります。
でもその中で、何やかんやありながらも、「何ぁ~にもしなくていいんだと思える時間」を、まあまあ適当に過ごせるようになりますと…、
もちろん、「これこそが休む秘訣」だなんて、人前ではとても言えないのですが、
それは経験上、今後誰よりも多くの出会いを経験できる、外科医一代記の始まりとも言えるのでありまして、
「何にもしない時間」は、そういった環境でしか生きられない外科医への特別な『ギフト』…、
いま思えば、一種の自己防衛反応ではなかったのか、とも思うのでありました。

ただ、一言だけ注意を申しておきます。
「何もしない時間」は、傍から見ると、意識はあれども意志は空っぽの状態…、
ですから、山ノ神からの問いかけに対して、うっかり八兵衛、つい生返事でもしようものなら、「ボーッとしてんじゃねえよ」って、別の意味で過大なストレスを溜め込むことになります。このこと、小児心臓外科医の大事な心得えでございます。

それでは次回、もう少しだけ、休むについて考えてみます。
続きます。

題「いつのまにか俺、刈られてたんだ。」
インカの野積み崩し② 対義語その三 写真参照)