Doctor Blog

コラム

インカの野積み崩し②「対義語その三」

前回の続きです。

 

その手帳は、榊原記念病院に入職して6年目、小生が小児心臓外科医として第二次反抗期ともいえる時代に突入した頃、つまり、叱責という名の多くの心温まるアドバイスを受けながら、失礼にも多少の反発をやらかしていた頃のものであります。

 

その中に、“対義語的考察”という文章がありました。

どうも、先輩からのお叱りの言葉の中に、相対する意味があることを発見したようです。

 

当時、小生はまっ平中のヒラ外科医でした。すべてを逆に解釈するという、誠にひねくれまくった良き時代です。

当然、面と向かって反論はできせんので、むしゃくしゃしながら走り書きしたものと推測します。

鬼の首を取ったように書いてあります。

 

以下、頂いた叱責と、それに対する小生の反応をかいつまんで、そして顰蹙とならないように、多少省いて示します。

 

「執刀医は、信念が必要である。言い訳をせず、わき目をふらず、他人のいうことは鵜呑みにせず、我が道を信じて突き進まなければなりません。決して、わがままを言ってはいけません。」

→信念を持った段階で、また、鵜呑みにしない段階で、あなたはわがままね!と言われそう…?

 

「手術の達人になりなさい。しかし、手術しか能の無い人になってはいけません。」

→手術以外にもう一つ、達人とよばれるような能力も身に付けろってか?無理じゃん!

 

「決して、手術馬鹿になってはいけません。手術室以外での勉強が大事なのです。」

→手術室の外で勉強していると、ホンマモンで手術が下手になりそう……。

 

「人生一度きり、だから、手術のみに一生をかけるつもりで修行しなさい。特に外科医は、人の人生に直接関与する職業ですので、多くの人生経験が必要です。だから、多くの選択肢を持って励みなさい。」

→よくわかりません!他の誘惑が増えそう…。

 

「人生は一度しかありません。一つのことに集中しなさい。そして、多くのものに興味を持って、グローバルに生きなさい。」

→一つのこと?多くのこと?グローバル?、よく理解できません!

 

もちろん、今思えば正解と感じるものもありますが、

如何せん、修行中の若輩頭には、何故か上手いこと響きません。梵鐘が軽~く鳴るだけです。

 

不満たらたらの文章が並んでいました。

もしかしたら、当時は(今も)、ホンマモンの馬鹿者だったようです。

今後は、真っ当かつ素直に人生をまっとうしなければなりません。

反省し、手帳は即シュレッダーとしました。

 

続きます。

秋も深まりました。病院敷地東南に自生するプラタナスの巨木も黄金色に光っています。
病院の顔であったポプラが台風で全滅した今では、この木が唯一気を運んでくれる木となりました。
名前はまだありません。