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コラム

インカの野積み崩し②「対義語その四」

さて、対義語の若輩的解釈のお話です。

 

小児心臓外科学においての正解とは、患児が倖せだと感じること、ただその一つだけです。他にはありません。

でも、その倖せには、多くの過程が必要です。

 

まずは救命です。

そして、親御さんのご負担およびご心労を軽減する手術であること、

また、手術に携わる医療従事者もハッピーとなってイノベーションが生まれる手術であること、

さらに、最終的に、赤ん坊が将来も幸福だと感じるようなやさしい手術であること、

つまり、ただ一つの正解なのですが、結構膨大な量の過程を経て出来上がるものなのです。

(これらをスムーズに流すように努力すること、拙著では、“総合的な低侵襲化”と呼ばせていただきました。)

 

このように、我々小児心蔵外科医は、この膨大な過程を経た一つの絶対的結論を目指す訳です。

従って、その時に発せられる同義語、対義語には、どちらにもそれぞれの意味がある訳ですから、すべてが正解とフレキシブルに考えるべきです(もちろん、その時々ごとにですが…)。

 

ですから、対義語的解釈は、小児心臓外科学には必要の無い、似合わないものかもしれません。

そのような観点において、多くの人生経験と選択肢、また、グローバルおよび手術室以外での勉強は、やはり大事なのでしょう。決して反論してはいけません。……反省しております(手帳は既に抹殺しました)。

 

もちろん、定年前にこのようなことを考えること自体、信じる道とは言いながら、今後の人生、そのまま遭難してしまう可能性があります。充分注意して進んでいきたいと思います。

 

でも、そのあたりの手加減は、もしかしたら、既に手自身が覚えているかもしれません。手が知っているから、手術(手のスベ)というのです。

問答的対義語解釈およびその解決には、一所懸命の仕事の後にだけ、ボヤっと判るといった程度の「手の感覚」が必要なのかもしれません。(概念的外科医の真骨頂です…)

 

スベての外科医は、このような正解のない思考方法を持っていると推測します。(多分)

(だから、飽きやすくわがままと良く言われるのでしょう)。

 

さてさて、脱線します。今後進むべき道のことですが、

学位取得に挑戦する最終稿⑩で申したように、“新たな動機”が今、ホンワカと心の90%を占めています。

詳細については、時期が来ましたら、そして、少し風が吹き始めましたら、ご紹介することをお約束致します。

この動機には、手術と異なって、多くの正解がありそうで、今後のさらなる対義語的人間発展への遥かな道、今からとても楽しみです。

 

次回からは、それでも懲りずにぶちかます小児心臓外科医の世迷い言、最終稿がいくつか続きます。

夜明け前直前の榊原記念病院です。朝晩寒くなりそうです。読者の皆さん、どうぞご自愛下さい。