心臓外科医の徘徊道 その五 無為
「手術以外は全て、何ぁ~にもしなくてもいい時間なのか? 高橋は何とまあ幸せな奴なんだろう。」
読者の皆さまの中には、そう訝しむ方もいらっしゃると思いますが、確かに半分の時間はそうであるものの、残りの半分の時間はもちろん、意味と目的をちゃんと人間的に全うしているつもりなのでございます。
でもまあ確かに、こんなお話をブロギる段階で、小生は既にインドア派的な無趣味人間の極みかもしれず、あの「ながらラジオゾク」の生き残りなのかもしれません。
さて、そんな神田で、心を鬼にして進めます。
そうですね、あの懐かしの研修医の日々、
仕事に関する心の重み(ストレス)に対しては、さらに仕事を重ねまくり、「その進化的な成果の満足感で軽減できる…」、そんな実感は確かにありましたね。
そして一方、新たな趣味(御神酒など)を持つことで、ガス抜きするとかハッチャケルとか愚痴こぼしまくりとか、それらで気持ちを切り替えること、これもまた確かにやっておりました。
つまり…、手術に対して、ある意味喧嘩を売ることで解決していく、また逆に、手術を頭から追い出すことで解決していた…、そんな気がいたします。
今思えば、そんな時分は、
「ストレスなんて俺には関係無いんだ」、「ストレスを妙な理由に置き換えてはいけない」、「俺の手術に一切の妥協は無い」などと、かなり烏滸がましい高揚気分になりがちではありました…。でもそこはやはり、恐れ入り谷の小児心臓手術…、なめてはいけませんのです。手術だけならまだしも、それ以外の荷重が重く肩に載っかることもございまして、真正面からの強行突破や北国への逃避行だけでは、どうにもこうにもならなかったのです。それらは単に、ストレス耐性の閾値をさらに下げるだけ、ストレス対策を永遠に考え続けなければならないだけなのでありました。
そんな時ですかね、
「その四」で申した、「何にもしない時間」を過ごすことの温泉的効能に気づきましたのは。
『無為』という言葉がございますが、それはそういうことなのでありましょうか。
何もしないのでブラブラするのではなく、自然のままに、手も足も加えない、そして、口を挟まないし、勘違いもしない…、
そうしますと、ストレスが吹っ飛んでいく、まあそこまではいきませんが、断然と気が楽になります。無趣味だの、専門バカなどと言われても、動じない根性もまた身に沁みつくのです。
でも、そんなことはどうでも宜しく、小生にとっては、それが休むということになったのですから、「休んでいる」と自分の心が納得してくれる、身体もまた納得してくれる、そして、その納得感に安堵してしまう…、
そうそれは、小生的には、「ワンランク昇格した時間」、
このこと、今思えばけっこう興味深い想いなのでございまして、周りに流れる時間を少しく長く感じてしまうのでありました。
この時間感覚というもの…、ある意味、日常性から離れることでもありますが、ようやっと、「休む」ということが分かったような気がしまして、この花の東京で、小児心臓外科医として息をすることが、とても楽になったことをよく覚えております。
外科医としてまだまだよちよち歩きの小生に取りましては、このあたかも麻痺させられたような時間感覚…、大変に大切なことでありました。
続きます。