Doctor Blog

コラム

おせっかいな本棚 その三の番外編

《 低侵襲手術書の棚 》
最近、副院長と呼ばれる時、「ふくいんちょお~」に聞こえてしまうのは気のせいでしょうか。

さて…、若手が、“必須の無駄、非必須の無駄”から早めに抜け出して先へ進むこと、心からの希望(願掛け)です。
それでは皆さま、今回もまたまた、必須に(いつも通り)脱線します…。

写真は、子どもの心臓手術が年間500例を超えた2007年と2010年の小生の手帳です。(当ブログ、500例の小児心臓手術 参照)
当時の、小生のスケジュールが詳細に記されております。(もちろん危険かつ疑惑的なページは抹殺しました)
ご存じのように、日本語には見えないという太鼓判の筆致ですので解読に時間がかかりますが、一つの手術室で500例(実は600例以上です…)の手術を行うための方便やその時間配分など、当時の様子(ドタバタ新喜劇)が垣間見える資料となっております。
(これらの手帳、中々寄り付いてくれない金運アップのために、山の神のご神託に従いまして黄色を選択しました。しかし、小生の風水上のラッキーカラー、実は赤か緑であったこと、その数年後に判明しております。寄り付かない訳です…)

 

さてさて、その当時の仲間たちの心境ですが、
手術が結構スムーズに流れるせいか、そんなに切羽詰まって働いたという感覚はありません。努力していないわけではないのですが、むしろサボっているというような錯覚さえありました。また、多くの課題(挑戦)に本音と建前はあるのですが、どちらも大事なスタンダードとして、ナチュラルかつニュートラルに対処しておりました。そして、やろうと思えば必ずやれるという、“俺たちは決してど素人ではない”という覚悟もあったような気がします。
まあそんなこんなの感じの流れの中で…、実世界と虚世界が混じり合ったような生活といいましょうか、今と比較しますと、確かに太古の未進化手術チームではありましたが、天職とは言えないまでも、皆それぞれが適正職であるとの揺るぎない自信を持っていたこと、それは間違いないことでした。

 

それから大変不思議なことですが、そういった環境(現場)においては、仲間の皆さんたち、“やるべきこと、やってはいけないこと”、誰かに教えられることもなく、その「術」を早めに獲得していったとの強い印象があります。
ホンマモンのチーム医療として、それぞれがそれぞれに“必須の無駄と非必須の無駄”を速やかに解決していったのでしょう。

 

近年、よく聞きます。
「基本的な知識や手技を修得しないと、次のステップには進めません。」、「○年経たないと、△回経験しないと、次には進めません。」、
手術的にはある意味至極まっとうな真理です。しかし、どう聞いても、「この職場は年功序列です。じっと待ちなさい。」と聞こえてしまうトです。
「修行に無駄なことは一つもありません。」、「とにかく無駄なことをやりなさい、将来につながります。」
これらも、結果論として一つの真理ではあります。しかしどうしても、若手に配慮すべき無駄の理屈を理解していないとしか、思えントです。無駄の中にも本来の無駄はあるトです。
もちろん、何かを少しでも否定することは修行とは言えないと思いますが、基本的な知識の基本は、必須と痛感するから基本というのであって、必須でない基本は後でやればいいし、必須だと思う基本は、そう感じたらすぐに自分のものにすればいい、
最近の日本の臨床教育は、若手を大事に大事に(ヨシヨシと)育てようとするために、手塩にかけるという思いやりが強過ぎて、そして、手取り足取り届き過ぎすぎまくっているのかもしれません。
臨床教育には多くの解釈と方策があること、そして結果が目に見えるまでにはある程度の時間が必要なこと、重々承知しております。しかし、若手も、時間があるようでそれでも時間は無いものなのです。

 

最近の若手は、当時の若手と比較して、極めて優秀かつ高い精神年齢を有しています。もしかしたら、われわれ上司以上の青春および人生経験をやらかしてきたような気がします。ですから、必須と非必須の修行、それらの“前”および“中”において、上司はお邪魔なお言葉を発してはいけません。
若手が、“必須と非必須”に容易に到達できるような罠を仕掛け、直ちに現場に飛び込むように仕向ける、そして罠にかかった(術中にハマった)後は、早めに脇道から本道に戻る環境だけを整備してあげる(もちろん一人で泣く場所も)、それだけで充分に様になる気がいたします。
若手を最もあらたかに育て(おだて)あげる必殺技、もちろん監視衛星なみの見張りは必要ですが、それは…、もしかしたら…、“一芸習熟型の究極の放ったらかし”かもしれません。(IKKOさん風に、…)
我々上司としての最大のお仕事、それは何と言っても、強靭かつホンマモンの外科医を早期に育成することであります。その早熟性は、便利さからではなく、その時々の環境にある機能性によって生まれるもので、加えて多少の運を必要とするものと考えます。まあ例えば、初めからマニアックに、Ross手術を学んでも良いと思うのです。
おせっかいの本棚、そのためでもあります。

 

続きます。