おせっかいな本棚 その三
《 低侵襲手術書の棚 》
昔々若かった読者の皆さんも、このようなご経験、もちろんあるとご推察申し上げます。
「最近の若い連中は、どうたらこうたら…、うんぬんかんぬん…」などと、まじない的なお約束文句を口にしてしまう今日この頃です。
(コロナワクチンの接種は65歳以上の高齢者からと言われておりますが、その中に既に自分が入っていること、ちょっと複雑です…)
しかしそれでも何故か、長いこと若者たちと付き合っていますと、極めてたまにではありますが、“寝ても覚めても手術と戦う”という、働き方改革をヤバく無視するような若手が、化石発掘現場のように出現してまいります。
しかししかし、誠に残念ではありますが。
そういった稀有な存在は、如何に子ども達の幸せのためとはいえ、労働基準法に抵触する可能性があり、また、その性格がピュアなだけに、下手すると一生涯そのまま“専門馬鹿生活”を送ってしまう宿命を背負っております。
またさらに、そういった希少人に限って、
・「全ての人は良い人だ」などと大雑把な性善説を信じていますし、
・とりあえずボケるのが先決と、期待を裏切るボケをかましますし、
・人との会話に「かなりの温度差を感じる」とよく言われますし、
・“容易い”を、最初から“たやすい”と読めますし、
・“規則規則という人”を“ガチガチ君”と読んでますし、
・世間的常識の無さ、イコール常識だと思ってますし、
・そして、How to を、たまにハウチーと発音していますし、
・一切合財の発想が妄想だし、
・エンタメ番組に集中していたために、太田胃散を思いっ切し撒き散らしてしまいますし、
・そんな時、「なんか今日、厄日ですよ~」と無意味に囁いていますし、
・医者とは思えない発言をして、そのツッコミに対し、「俺、時々外科医だから…」と訳わからんこと言って叱られていますし、
・手術の為なら、思いのほか平常心かつ大胆になりますし、
・銀行員には見えないけれども、もちろん外科医にも見えませんし、
・子どもに話せる内容と話せない内容の区別がつきませんし、
・桜の花のように儚い向上心であっても、爆上がりするような運の良さを持っていますし、
・ブログのペンネームには、源氏名として使えるものを選ぼうと熟考してますし……、
そして、終いには、「食べていければそれで充分じゃん」などと、ついつい無節操に口走ってしまって、山の神に大目玉を喰らうような、誠に愛おしき生物なのであります。
※お断り…これらの記述は、事実およびフィクション(出鱈目)を問わず、すべて当施設に限ったことであります。
※お断り…小児心臓外科医は大概のことに対して、良好かつ興味深い耐久性を有しておりますが、中には、小心、偏屈、トラエドコロがないといったガラスの心を持つ若手もいます。
従いまして、上司たるもの、さらなる外科学の発展はもちろんのこと、これらの小児心臓外科人(絶滅危惧人)の精神性、さらなる高みへといざなうよう、誠心誠意キメ細やかなサポートに邁進しなければなりません。
そうしませんと、これら希代のアンモナイト的種族、世知辛いこの世の中では長生きできないのです。
さてさて、修行中は誰もが経験することではありますが、また、結構たびたび訪れることですが、そして、ある意味「無駄」と考えて良いことなのですが、
心臓外科学においては、質の高い究極の手術を追い求めるが故に、手術修行の正道から逸れた関連事象の習熟、別途に必要となる場合があります。(小児心臓の分野では、たとえば、各種臓器の病態生理や免疫、代謝、ひいては脳神経、心理、発達などに精通することでしょうか…)
ただ、前述したような化石人は、そのひょっこりとしたデリケートさ故に、その脇道迷路への侵入頻度が高く、また、優しい性格のためか妙に長い時間を要する(ドツボに嵌る)傾向にあります。
さて、彼らの行動を一方向から俯瞰していますと、
「それ、今は無駄じゃん」、「まずはこれでしょう」、「もっと要領良く」などと、ついつい思ってしまいます。つまり、“上司は無駄と考えていても、本人は決して無駄じゃない”と信じているのです。
(もちろんこの辺りは、責任の少ない若手の特権でもあります…)
一方、違う角度から観察(診察)しますと、
「それは決して無駄ではない、回り道しても修得しなさい」と、心配(イライラ)することもあります。つまり、“上司が必須と考えていても、本人にとっては無駄の範疇”でしかないのです。
(これもまた、けがれを知らない若手の特権でもあるのですが…)
この上司と若手の“トムとジェリー”なみの戦い、特に若手から上司へとじっくり変遷していった者には、恥ずかしき数々の思い出が土産話のように黄泉がえってまいります。この辺りは小児心臓外科医という職業柄、一種の病気であるのかもしれません。
しかしそれでも…、上司と若手それぞれの思い、その主張部分だけを上手く切離して細かく連続縫合してみますと、考えるべき事が少しだけ見えて参ります。
その一方は、無駄に思えないけれど無駄、すなわち「非必須の無駄」(今、やらなくて良い)、
またその他方は、無駄そうだけど決して無駄では無い、すなわち「必須の無駄」(今、直ぐにやれ)、ということでしょうか。
しかしながら、それぞれの無駄の中に、大事なヒントがあることを大人っぽく判断できるまでの時間は、それぞれの若手で異なりますので、それぞれに難しさが増していくのです。
しかししかし、少し前までは若いと評判で、今現在せっせと若作りしている小生の経験では、
“必須と非必須の無駄”を早期に獲得することは、手術そのものの質だけでなく、チーム医療としての臨床の質をかなりのスピードをもって高めるものであります。
また、どこかでお話しさせて頂いたように、医療学は反省から発展していく学問であり、そういった意味では、少しだけ悲しいものです(不適切な言葉かもしれません…)。必須と非必須を反復させて成長する学問でもあります。
従って、幼稚な“必須と非必須の無駄”を早く卒業させて、次の高尚な“必須と非必須の無駄”へと誘導する(騙す)こと、このことは修行の無駄を最大限に削ぎ落とすための、上司がやるべき大事なお節介なのです。
「榊原記念病院・低侵襲手術書」は、これらを鑑み、
“重要関連”と称する目次に沿って順(純)に読んでいただければ、小児心臓外科学に潜む必須と非必須の無駄、そして、前もって知るべき修行での心の機微といったものを、極めて容易に網羅できるように書かせて頂きました。
さてさて、おせっかい本棚に話しを戻しましょう。
ここには、“低侵襲手術書”に加えて、執筆に用いた当時の生データ、推敲を重ねた原稿、学会発表時のスライド、投稿論文、すべての引用論文などを、もれなく収蔵しております。
今現在の手術の流れというものは、殆どが安全な高速道路のようなものです。しかし、それでもドツボに嵌る迷路が沢山ありますし、もちろんドツボからの回復のためのバイパス経路も沢山あります。
従いまして、必ず経験することを前もって知るために、そして、小児心臓外科医としてのスタートラインをもっと前にするために、さらに、ドツボの脇道時間を短くするために、
〈低侵襲手術書の棚〉は、おせっかい本棚の中央ひな壇に、微に入り細に入りのお節介様式で構築させて頂きました。
続きます。
※右写真はお初にご披露いたしますが、10冊ほど作成した低侵襲手術書の特製記念本です。特殊な印刷紙を用いておりまして、その厚みは市販本の約1.5倍となっています。装丁以外は印刷も校正もすべて小生が行いました。色合いやフォントの選択などの印刷技術、特に印刷紙に関する知識は、日本の小児心臓外科医の中で恐らく一番でしょう。
小生の特製本には、学生時代や研修医妄想時代の公にはできない思い出、また我が家の愛犬や外科医らしくフザけた写真をたくさん載っけまして、さらに厚みが増しております。その内、〈低侵襲手術書の棚〉にてご開帳する予定です。