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コラム

高校時代 その五 極意

人見知りで引っ込み思案の小生が言うのも何なんですが、
そして、カレーライスといえば、高校当時には「ハウスバーモントとボン」しか知らなかった小生が言うのも何なんですが、
今回は、少しくはっきりと申し上げたいと思います。ちょっとそんな気分なのです。

「小児心臓外科医が高校生を相手に医療を語る」、
実を申しますと、そういった講演の目的は多分に、小児循環器医療という学問へと彼らを「誘う」ことにあります(…拉致するとも言います)。
がしかし、あまりにもアザトいお節介なご縁作りは、客引きや斡旋などと言われかねず、
別の言い方をすれば、フィッシング詐欺とも取られかねず…、
ですから、なるべく穏便に…出る所に出ても滑らないようなお話しをせねばと、いつも思っております。

さて、昔々のこと…、
「僕は将来、お医者さんになるんだ」、あの当時にそう申しますと、かなり憧れの目で見られたものです。
しかし残念ながら、昨今ではそうでもないらしい…、特に今どきの女子にとっては、それほどの“プラス加点要素”ではないようです。

うーむ、それでもまあ、…、そういった彼らの決意たるや、その人生設計を含め、それはそれで中々に凄まじいものがございまして、
年端もいかない学生ながらも(失礼…)、何とも大人気ないことをそこまで考えなくてもいいんじゃないかと…、講演での質疑応答では、論破される危険性を毎回感じる今日此の頃であります。
そんな奇特な高校生の覚悟というもの…、例えその動機が、非論理的であっても、説得力がなくても、そして多少“ちょございな”と思うことがあっても、絶対に「舐めたらあかん」のです。

従いまして、そんな高校生には、医学部や卒後研修でよく見かける「親切過ぎる上から目線のカリキュラム」のように、こちらから何やかんや偉そうにお話する必要はありません。
彼らが今後必ず経験するであろう「価値観」、そして、モフモフの尻尾の上にある赤い結び目を見つける方法についてだけ、“押せば命の泉湧く的な親心”を持って、小生的にお話すれば充分なのであります。(当ブログ 「使命感 弐の巻 若手」「繋がる 繋げる その二 運命①」 参照)
でもまあこう考えますと、現代医療を目指したいという高校生もまた、ある意味、希少生物の一種と言っていいのかもしれません。

しかし…、つい最近の出来事でございました。
小生の講演を聞いた、あの当時高校生だった小生の友人の一言。
「高橋の講演は…、まあ要するにそれは結局、単に教えるという、そんな教科書的な生易しいものではなさそうだな、それは分かる気がする。でもな、別の言い方をすれば…それはむしろ、善きにつけ悪しきにつけ、「騙しまくっている」という言い方の方が正しいんじゃないのか、そう、それは単にあたかも、“ブラボーをべらぼうめ”と叫ぶに等しい…」 etc. どうだと言わんばかりのドヤ顔で宣うのです。

「あらら、とうとうバレちまったか…。」
そう軽く思いつつも、このところ、方便はもちろん、嘘の付き方も堂に入ってきたところでございましたので、震える心を抑えつつ、「そんなことは無いよ」と、またまた何の足しにもならない方便をしておいたのでありました。

フムフム…、確かにそうかもしれません。
でもそれでも、
講演本番での「騙しのハードル」、これだけは決して下げようとは思いません。
微力ながらも先輩として、そして、まだまだプロの外科医として、背中の看板を諸肌脱いで観せながら、「全力で騙してあげる」のです…。
そしてもちろん、墓穴を掘らない程度の方便三昧も、思う存分に発揮させて頂くのでございますのです。
(騙しには、功を奏さ無いまでも、榊原記念病院最強と噂の営業スマイルと、初期高齢者独自のお茶目なギャグが必須でございます。しかし、「大門未知子は目黒辺りに住んでいる」といった真っ赤な嘘だけはご法度、そう心得なければなりません)

そんなこんだで、高校時代は、「そんなことは今考えなくてもいいんだ」と言われ続けてきた小生…、
そして、
「どんなにすごい人でも、完璧なアホさと、人に嫌われるくらいのいい加減さが無ければオモロくない…」、これを生きるための信条としてきた小生は確かに…、
「これまでの外科医と今の外科医、そしてこれからの外科医」、その違いを上手く理解していなかったのかもしれません。
しかしそれでも何としても…例え、ウザく思われたとしても、「大きなお世話で騙し続けて進ぜてみせましょう」。
少なくともこのことは、現役の外科医としての義務でありますし、その根本には、「緩和の心」という、医療の大原則が根付いているのです。

そこで、次回ブログでは、
バックヤードからみた講演のウラ話…、「騙しの極意」について、ぶっちゃけ話しをいたしましょう。

続きます。

喪黒福ロードの初日の出