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コラム

高校時代 その四 時流

その感情が舞い上がったのは…、
今回の先輩訪問で、「半世紀後輩」たちに出会った直後のことであります。

「安堵することと失望すること」、この2つの思いがほぼ同時に表れるという不思議な感覚…、
そんな忘れかけていた高校時代の記憶が、何故か突然に蘇ってきたのです。
またそれに伴いまして、その同時感覚に至るまでの過程、そしてその後に発生した出来事までもが、これまた鮮明な映像付きで思い出せたのでありました。
この「安堵失望の同時感」というもの、手術を部外者的に観るようになってから、つまり、つい最近のことなのですが、手術の流れの中にも同様の感覚を憶えていましたものですから、実にマッコと、奇っ怪な気持ちに陥ったのでございます。
もしかしたらそれは、あれから50年という部外者的な立場に置かれたからなのでしょうか、それとも単なる幻想のせいなのか…?

さて、読者の皆さんには、是非とも、この「同時感」のニュアンスをお伝えしたいと思うのであります。しかし、これがけっこう難しい。例えば…、
プラス面もマイナス面もほぼ同時に答えが見つかるという感覚、いや違う…、プラスとマイナスの道が合流して新たな太い流れになる感覚、もっと違うなぁ…、あまり考えずに解決策が見つかる感覚 ???
うーん、そうですね、より具体的に言えば、
小説の文字を眼で追いながら、意識は既に数行先を歩いている感覚、……、手術中、“視聴触”が同時に分かる感覚 ??  よけいにこんがらがりますね、上手く説明できません。

ただ、申したかったことは、同時感そのものよりはむしろ、その発生の前と後のことなのであります。
あるキッカケから同時感発生までの間、そして、その発生から最終の出来事までの間…、
それぞれの過程に流れる要因や現象、そして流れ方、さらには、その過程に繋がる人物像とお互いの繋げ方…、
これらが、高校時代も現在も全くもって同じ…、区別不能の双生児感がありまして、
よくもまあ、「飽きもせずに繋がってんなあ」と、また、「変わらずに流されるもんだなあ」と、そこに少しだけ、不思議なものを感じたのです。
時の流れにおいて、何かと「繋がる」、そして、さらに何かを「繋げる」という力は、どの時代においても誠に畏るべしですね。今後も恐らく、また繋がり繋げていくのでありましょう。(もちろん、外科医の精神年齢に成長はありません。それはよくよく承知しております…)

皆さま、申し訳ありません。ここからは心を改めまして、外科医らしい、クダケたお話しに戻します。
50年前に初めて掲げた外科医の理想像と、50年経った今現在の小生像のギャップについて考えてみました。この二つの間にも、「繋がる」、「繋げる」を感じ取ることができるのかどうか…?

ただ、これにつきましては、むしろ、読者の皆さまの方に膨大なご意見とツッコミがございましょう。
しかし、お許しを得て、無意識の補正と多少の「くちチャック」をさせて頂くのであれば、50年前と今現在、その両者の間に大きな差は無い気もいたすのです。
少なくとも、あの当時に抱いた最初の誓いだけは、確かに今も変わらずに繋がっておりますし、そして烏滸がましくもまた、将来へと繋がっていこうとしているのであります。

「同時感」にはもちろん…、何かしらの意思を感じます。しかし、よくよく考えても結局、趣旨不明になってしまうだけでございまして…、でもまあしょうがありませんね、とにもかくも、いつも通りの妄想に嵌まった小生でありました。
今回は、モフモフの尻尾は確認できませんでしたが、それでもいつものように、フワフワした気分になったのであります。(当ブログ 「繋がる 繋げる その二 運命①」参照)

心臓外科医人生50年というもの…、
50年は50年…、ですから半世紀一つ分と一括りに纏めるべきなのでしょうか、
それとも、25年の四半世紀が二つと考えるべきか、
いやいや、12年が四つと考えて、あの時の2年はおまけにするか、もしくは抹殺するか、あるいは閏年を2回分外すか、
そうですね、それは40年だったと、敢えて計算間違いをするのもオモロイかもしれませんし、
いっそのこと、この50年が無かったとするのも、かなりシュールな挑戦かと…。

人間50年…
それは「儚いもの」でありましょうが、けっこう「儚くもないもの」でもあるのです。
でもまあ結局は、学生時代の学び舎も、医師である医療の世界も、性格も力量も性癖も異なる人間が集まって行動するのでありますから、良くもあれば悪しくもありますし、それぞれに良くにもなれば悪しくにもなるのでありましょう。
しかしいずれにしても、「何かと繋がり、何かを繋げる」、
それが持続するのであれば、それこそその内に、
「このメンツでよくやってきたよな」と皆で自慢できる、
そんなある程度の結果が、必ず付き添ってくれるものと信じます…。

時の流れとは、面倒くさくも、なんとまあ素敵なものでありましょうか。

続きます。