高校時代 その三 半世紀
読者の皆さま、おはようございます。
今回も妄想ゾーンとまではいきませんが、少々行き過ぎの感を持って書いております。
言うなれば、それは極めて小生的なもの…感覚的な性分は直しようがないのでありまして、まだまだ「知恵熱の世代」と承知です。
さて、先輩訪問をしてくれた高校生5人組のことです。
なんと何と…、小生とはジャスト50年の齢の開きがあるのでありました。
そんな今現在の小生、高校生活を思い起こしますと、ご多分に漏れず、恥ずかしきことの数々…、
勉強にしろ、部活にしろ、恋愛にしろ、全てがポイント制…、その全てがテストに出ると信じていた時代でもありました。訳の分からない歓声を上げながらも、義理人情だけはとても大切にしていたのでございます。
もちろん、そういった無駄にピュアな心は、世間擦れしてしまった今とはかなり色合いの異なるもの…、そうですね、確かにあの当時は…、
諸連絡や諸注意の事項ばかりでした。今でこそ普通であることが普通じゃないことだらけに存在しておりました。そして周りには、「全員彼女無しの掟」を守る男子ばかり……、(すみません、この後、同じようなetc.が15個ほど続きますので割愛させて頂きます)
何とまあリアルガチに、じれったい時代でもあったのです。
しかしながら…、
心は子供ながらも、大人として扱われることに、徐々に慣れていったのでありましょうか、
それとも、学級担任の先生の指導力のお陰でしょうか、
もしくは、悪友のお誘い(法律は遵守)のせいなのか、
いや恐らくそれは、「お主も悪よのう」というセリフを覚えたことが最も大きかったと思います。
何故なら…、高校生活とは、それこそ自然に、「ネガティブな思考を持ちながらも、それなりのポジティブ行動ができるように変容した時代」と位置付けることができるのでありまして、
消極的な言い訳をしつつ、けっこう大胆な行動を取っていた自分(法令も厳密に遵守)を思い出してしまうのです。
ああそうでした。「心臓外科医」になると公言したのは確か、高校2年のありし日のこと…、
うーん、でも、その選択の発端は、一体どこにあったのでしょう…? 思い出せません。
少なくともその当時…、そこに道が開かれていると思ったことはありません。また、そんなに真剣に考えていたわけでもございません。ましてや、無限に近い職業選択の可能性を一つ一つ減らしていくという努力なんぞ、した試しもないのです。
それがなんと何と、たまさか気づけばそこから早50年…、半世紀が経った今現在も、心臓外科医でいるのでありまして、
運命っちゃあ、そんなに訳分からないものなのでございましょうか…?
もしかしたら運命とは、「言ったモン勝ち」で決まるものなのかもしれませんね。もちろん、「安易に考えることがいずれ本当になる」、それを運命ということもできるのでしょうが…。
うーむ、そうかそうか、そう考えれば今年は、小生の「心臓外科医デビュー50周年」という節目の年とも言えるのか…。
郷ひろみさんの “Go!Go!50周年” には遠く及びませんが、何だかとてもホクホクと、『目出度い』気分になったのでありました。
あの高校生活にふと意識を向けますと、あたかも、心のピントが急に合ったような更生感が沸き起こってまいりまして…、絵心が皆無の小生ですら、すらすらと絵に描けそうな、そんな不可思議な感慨に陥っているのでございます。
そんな思いにさせてくれた50年後輩の5人組、誠に有難うございました。心からお礼を申し上げたいと思います。
この「高校時代」、まだまだ元気に続きます。