高校時代 その二 問掛
「お医者さんは儲かるってホントですか?」
そんな時はこう答えます。「儲かってる医者は多分います。」
「運転手付きで通勤しているのですか?」
胸を張って答えます。「車掌さん付き8両編成です。」
「寝る暇もなく忙しいんですか?」
平常心で答えます。「何もしないってことをするのも忙しいのです。」
「お手伝いさんは何人ですか 私失敗しないのでと言いながら夜は麻雀ですか ガムシロップとマスクメロンは常備ですか 中東でのヘリコプターの免許はどう取るのですか 正月はいつもハワイですか 毎晩メスを研ぐのですか etc.」
多くの勘違いがあるのはどの職業でも同じこと、でもそんな勘違いがあるのには、実際にそういった特殊な人たちがいるから?…なんでしょう。
一方、有り難くも…、「何故儲からないのですか 何故車を持っていないのですか ブラックですかグレイですか 病院経営は自慢すべきものなんですか、褒められるべきものなんですか etc.」、
そんな否定的なご質問は、遠慮がちにほんの少々でありました。希少外科医に対する思いやりと博愛を感じた次第でございます。
それにしても、高校生は何故ゆえに知っているのでしょうね、小生がそんな質問が好きなことを…。
話が飛びます。
昔々、隣の家に住んでいたおばちゃんが、小生のテレビ出演を観てくれたそうです。
「おおー、外科医になったって聞いていたけど、一応手術ができるんだ。 何で…?」って褒めていたとのこと。
この批評に関しましては即々色々にツッコミましたが、…まあそれでも、おばちゃんは心から喜んでくれたとのことでありまして、
仮初にも小生を、手術をする外科医と認めてくれたことに、「取り敢えずこのまま外科医を続けるのも悪くない」と、ニンマリしたのでございました。
さて、高校生への講演に限って、一妄想させて頂きます。
小生…、「何で?」って聞かれるよりは、「まあ貴方だからしょうがない」と、最初から納得されてみたい、…たまにそう思うことがあります。
でも逆に、「しょうがない」って思われるよりは、「何で?」って…しつこく聞かれてみたい、…それもたまにあるのです。
うーんそうですね、何故なら…、
経験上そんな講演会にはどちらにも、短期的かつ長期的な「興味深いもの」が転がっていそう…、何だかそんな気がするのです。
そしてそこには、「講演が恙無く終わることに不満を持つ」、もしくは、「平和な応酬に疑問を持ち始める」、「非常識が常識に勝ってしまいそう」、
そのような、新日本プロレス的な反骨精神の質疑応答もまた、勃発するのではないかと…思うのです。
(もちろん、意図的にひねりの効いた、聞きたいのかどうか分からないくらいの遠回しな質問には、伝わるかどうか分からないくらい遠回しに、ぶん投げることもありますが…。)
最近の講演で、少しだけ気づいたことがあります。
それは、小生と高校生の「受け答えの方向性」というものでありまして、
その世代間較差を初めから無視して話を始めれば、「何で…?」の思考(妄想)は、あらゆる次元へと飛ばすことができること、そしてそれとは逆に…、互いの幾分かの忖度で、敢えて飛ばさずに済むこともできること…。
また、
「目から鱗的にハタと膝を打つ、胸にストンと落ちた氷が解ける、合点承知のインスパイア、唖然絶句に息を飲む…」、
そのような、講演会らしい「倖せな時間」を過ごすには、向き合う者同士どちらもが、酸いも甘いも噛み分けた、上から目線の大人である必要は“無い”ということ…。
そうですね、どうやらそこら辺に、講演本来の、大きな価値を生む何かがありそうと感じたのでありました。
さて、そんなところで、
「現実を正しく観る、そして人に深く関わる」、そんな目標を掲げた小生は取り敢えず…、
まずは心を込めて、アドリブ話術の向上、これを目指そうと考えました。
そして…、ハニカム笑顔の品質向上、これもまた、小児心臓外科医らしく、整えていこうと思いました。
さらに…、永遠の末っ子気質、これにつきましては、これまた精一杯の、“愛”も変わらない妄想を凝らしてみようと誓ったのでありました。
最近、どうにもこうにも…、そんなことを思うだけで愉しみが増えていく、そんな気がして仕方がないのです。
講演中の高校生はけっこういい顔をしています。
できますれば彼らもまた、壇上の小生を見て、そんな風に思って欲しいものです。
続きます。