Doctor Blog

コラム

繋がる 繋げる その二 運命①

早速、話が飛びます。
「仕事の選択に運命というものはあるのでしょうか?」

確かに…、あるキッカケに奇跡的な何かを感じて、「選んだ仕事は確かに運命だった」と思うこと、あるにはあるのでしょうね。でももしかしたら、そのキッカケというものは、知らず知らずの内に受けていることもあるかもしれません。結果その場合、奇跡は無かったことになり、その仕事は運命であるとは思わない…、けれども実はホンマモンの運命だったりして…ということにもなろうかと…。
もちろん、運命を消すキッカケもあれば…、意外なものが運命になることもある…、
まあいずれにしても最初は、キッカケと運命の間に相当な温度差があるのでしょう。

さて、小生のお仕事、小児心臓外科は、果たして「運命」だったのでしょうか? 遡って、小生のそのキッカケらしきものを思い起こしてみました。
でもでも、「こんなにも他愛もないものしか無いのか~い」としか言いようのない、世が世なら手打ちにされても仕方がない事柄が殆どなのです。もちろん多少の「吸い寄せられ感」はありました。でも、奇跡と言うにはあまりにも程遠い、むしろ生理的と言えるほどの「極めて日常的で分かり易いもの」ばっかり…、
ですからどう考えても、「小児心臓外科は運命である」との思いには至らないのです。

でも一方で、そこからもう少しだけ記憶を視覚的に掘り起こしますと、
そんな「極めて分かり易いもの」のそれぞれには、別物の「何か」がひっそりと貼りついていることに気づきます。もちろん、その何かの一つ一つはこれまた同様に、「こんなにも他愛もないものか~い」なことばかりであります。しかし、それらにはすべからく、心の安寧といいますか、一体感といいますか、揺るぎと言いますか、そんなフンワカした意識がクッキリと居座っておりまして、その残り香がジンワリと嗅覚を刺激するのです。
そして今度は聴覚を全開にしますと、それらの意識というものは、江戸風かつ体育部活風の「後押し、もしくは応援」といった類のもの…、「中々嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」、「神輿担いで一緒にノリまくろうぜ」ってな、鼓舞激励の声が聞こえてまいります。
そして、その中の一つの意識に焦点を当ててさらに辿ってみますと、そこには新たな意識と繋がる、ぼんやりと輝く「赤い糸」が数本浮かんでおりまして、そしてその袂には…、
それらをせっせと紡ぐ天竺鼠が三匹、そして、それを纏めながらそれぞれに右手と左手を挙げる三毛猫が二匹、さらに、それを咥えてこちらに向かって思いッキし尻尾を振りながら片目を瞑るレトリーバーが一頭…、
赤い糸は風雨にさらされたのか、かなり色褪せているのですが、徐々に太くなっていっております。
そんな時、ふと小生の後ろを振り返りますと、今まで歩いてきた道端の手すりに、その端っこがしっかりと結ばれておりまして、その赤い結び目の下には揺れるモフモフの尻尾が……、オイオイオイ…お前か、繋げたのは…。

さてさて、段々と霊能浪漫ファンタジー劇場の体をなしてまいりましたが、語彙の少なさと想像力の乏しさ、そして、何かカッコいいことを述べてみたいというアザトサに、またまた頬が染まる今日この頃でございます。
それは単なる、「話としては分かるけど、それが何だかはっきり分からない」、もしくは、「そう言われてみると、そう思わないこともないけど、でもそうなんかな?」ってな感じの、少しだけシュールな雰囲気を醸したかった健気な外科医の戯言…、妄想迷路とは承知しつつもお決まりの迷走、どうも失礼をいたしました。

がしかしながら…、小児心臓外科という大きな海原に海パン一丁で飛び込んだあの時の、また何かに『繋がった』という皮膚感覚、そして嗅覚と聴覚は、しっかりと心の奥底に残っているのでありまして、
それらは確かに…、
遥か前方に続く、真っ暗でよく見えない小児心臓外科の道を、歩き易いように少しだけ一直線にしてくれたキッカケであったのかもしれません…。
まあそうですね、グレイ色の奇跡があるかどうかは知りませんが、「運命ちゃあ、まあそんな感じに中々にややこしいもの」なのでありましょう。
「少なくとも……、キッカケが目的になるようじゃ、とてもモノにはならねえな。」、ため息をつきながら…一回だけそう呟いてしまったのでありました。

続きます。