Doctor Blog

コラム

繋がる 繋げる その一 人生

前回ブログ「手術と音楽」の第九章に書きましたように、
『小生…、医療というものは全てにおいて、それに繋がる「何か」があるから「上手く機能することができる」、そう頑なに信じております。
その「何か」は人であっても物であっても妄想であっても…、「手術と音楽の関係」のように全て平等に優しく繋がるのです…。
もちろん、何の関わりも無さそうに見えるかもしれません。しかし、特に医療の場合…、その「何か」は必ずや、実際の現場にいる医療人を、精神的にもパフォーマンス的にも、『緩和』する存在となってくれているはずです。
「たまたま人と人が出会い、集って、人を助ける…」、もともと医療とは、そんな奇跡ともいえる「人と人とが繋がる商売」であります。ですから、手術にしろ、学問にしろ、遊びにしろ、その他etc.にしろ…、繋がる「何か」を大切にすべきではないでしょうか。』

最近のことでありますが、何故か?…、う~ん、本当に何故なんでしょう、
手術室とICUでしか生存できなかった小生に対して、「緩和ケアに関する話を是非にしてくれ」とのご依頼がちょくちょくあるのです。
もちろん、医療業界以外の方々であれば、一つの仕事術としてお話もできそうな気はするのですが、かなりお年を召された医療関係者からもございまして…、「何とまあ奇特な方々なんでしょう」と、つい思ってしまうのでありました。

さて、実際にお話させて頂きますと(…15分も経過しますと)、「手術を受ける子ども達やその親御さん、そして仲間たちの心を懐うとは…ナンタラカンタラ」などと、手術人として当たり前すぎることを当たり前に宣いまくる自分にふと気づいてしまいます。
思い起こせば、人生の半分以上を手術室で過ごし、既に日常になっているはずの「緩和」であるにも拘わらず、その臆面も無き恥ずかしさに、頬の赤さをふと意識してしまうのです。
しかし一方で、講演の後は何故か不思議とフォールラインでのクールダウン…、これまた文字通りに臆面も無く、ス~と“青面”していってしまいます…(実際、“すうっ”て音が聞こえてきます)。
そんな相も変わらずの「飽きやすさ魂」…、
「無自覚に生きてきた自分をただただ罵しるしかない」、「でもそんな自分はとても絵になっているんじゃない?」などと、自分でも意味不明な感情に陥ってしまうのでありました。

そして、もっと不思議に思いますのは、小生の話に、上半身の塩分が消失するじゃないかと心配するくらいに「涙する」方がおられること、話の内容はそんなにウェットでなく、医療従事者ならば、誰もが当然に経験しているのではと思うのですが、実はそうでもないようでございまして、これまた少しく驚いてしまうのでありました。(たまにですが、それこそ一度だけですが、スミマセン本当は何度か…、「これって、ピンポイントで涙腺のツボを突く、小生の話術の魅力なのか」という勘違い&うぬぼれの念を持ったこと、あった様な、無かった様な…。う~ん、確かにありました、心から反省しております。でも確かにそうですね、つい先日、伊勢神宮の内宮にて、若手神職の方々へ講演させて頂いた際には、「話術巧みな魅力ある外科医にならねばならないぞ」と、直会に出された御神酒「作」を目の前にして、濃密に誓ったのであります。また加えまして、「寅次郎がフラれる、それを観た友人が泣く、それを見た自分がもらい泣きしてしまう」、「そんな涙腺の持ち主であったんだ」と改めて気づいたのも、これまたつい最近の出来事なのでございました。)

小児心臓手術に携わって40年経ちましたけれども、
このように、新たな経験が今更ながらに舞い降りるという、誠に番狂わせな人生、
それはそれで自分なりにかなり楽しんでいることも事実でございまして、まあでも考えてみれば、かなり青臭い性格でございますし、今現在もやっていることそのものも青臭いのですから、全くもってしょうがないと諦めるしかないのでしょう。

続きます。