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コラム

手術と音楽 第九章 歌詞②

『あくまでも「榊原目線」での選曲、確かにそれは気絶するほど悩ましいのです。頭に描くのは、まずは品性…、そして知性…、さらに明日も頑張れそうな余韻…、それらを常にイメージしてしまうのでございます…。ところで皆さま、無色透明という四字熟語、「無色」と「透明」、その違いを詳細にイメージできます?』

読者の皆さま、おはようございます。
「せっかく心を込めて作った唄を、外科医ごときにウダウダ言われる筋合はない」、そんな声がはるか遠くから聞こえる今日此の頃でございますが、お変わりございませんでしょうか。
「手術と音楽」、日本の楽曲を選ぶのはなかなかに難しいものです。ではそれではと…、次なる盛り話に移ります。左手にUSEN番組表(洋楽)のご準備をお願いいたします。

『Wow×4、Yeah×4、Wow×4、Dance! Dancin’ all the night…』
「先生…、Loveマシーンをかけたけりゃ、はっきりそう言えばいいじゃないですか。そりゃあ先生の音楽の趣味がそれなりに笑えること、皆十分に知っていますよ。でも別に、先生の全人格を全否定したわけじゃ無いんですからね。…あッ、そういえば先週のカラオケ、Yeah×3のところで足首捻挫したのは先生だったですよね。でもまあそんなつまんないことはほったらかしにしといて…、日曜の真っ昼間とはいえ、当直婦長がすっ飛んできてマジギレしても知りませんからね。…うんぬんかんぬん…」
本来は穏やかな休日の昼下がりではございますが、本日の手術もまた、ご機嫌の悪さと何かしらの悪意が潜むストレートなお言葉、ご遠慮なく頂いております。アルファベットと数字が入ったほうが「騙されるンジャね」という安易な思惑がまずかったのでしょうか、…そうです、それはやはりただの思惑でした…、
「世界がうらやむ日本の未来、あんたもあたしもみんなも社長さんもいいじゃない、じゃない?」…、
そんな「フーフー」だけでは冷ますことができない熱き心のセンテンスは、ただひたすらに(冷)却下されたのでありました。
じゃあ、それではと…、
『I`m dynamite and I`ll win the fight I`m a power load Watch me explode…』
『Living easy, living free Highway to hell I`m on the highway to hell Don`t stop me Heh heh! …』
「先生ッ、いい加減にして下さいね。私、帰国子女なんですよ。100歩だけ譲りますが…、いいですか、それ以上は絶対に譲りませんからね。もちろんこのAC/DCの2曲、ノリは最高、ついつい私もグルーブしちゃいそうです。でもですね…、今日の繊細な手技とシンクロしそうもないことは、どう考えても分かるじゃないですか。しかも今回の手術には、海外の某大学教授が見学に入るんですよね。本当に全くもう…世話が焼けるっちゅうかナンちゅうか。でも、それでも流したければ、どうぞお好きにして下さい。どうぞ勝手に好きなだけ暴発、そして勝手に好きなだけ地獄へドライブして下さいね。…うんぬんかんぬん…」
「エーッ…、おかしいなァ、これは困った…」。この2曲、ドイツでは、手術の「正確さと効率」に大きな効果を認めたんじゃなかったっけ(公の論文で…)。そのために選んだのに…、うーん、でもなあ確かに…、
歌詞の内容はそう言う看護師の方が正確に理解しているのだろうし…、
しかも「Highway to hell」のあたりで手術の効果があったらやっぱり少し怖いし…、
そして、これ以上逆らうと、美誠パンチもくらうことになりそうだし…。

それにしても、手術室の奴ら…、
日本語の曲を流した時くらい…、新宿の中古レコード屋に通う、「昭和のポップスにハマった海外のレコードマニア」みたいな感覚になれないんだろうか…と思いつつ、
そしたら、「A CHI CHI A CHI」はイインんかい…とツッコミつつ、
せめて、洋楽を流す時くらいは…、「頼むから早めに日本人に戻って…」と…心から願いつつ、
それでもまあ「100歩も譲ってくれただけでも良しとするか…」などと自分を納得させつつ、
某小児心臓外科医は一人…、そうたった独りで、「Loveマシーン with 低音量 without 振り付け」という落とし所に、落とし込まれていったのでございます。
それはまさしくヤツらの手の平の上…、「I was just only on the highway to Otoshi-dokoro」だったのでありました。
小生の若き頃のかの手術室は、どうにもこうにも切なくもオモ白く、それはただひたすらに「妄想グッドな時代」でありました。でもでも、未だに「oops-a-daisy」の発音には慣れておりません。

さてもさても、「手術と音楽」…、
「そもそも、手術中に音楽をかけるなんてとんでもない」、そう考える方もいらっしゃるでしょう。
「静寂がないと仕事にならない」、そういう方もいらっしゃることでしょう。
そこには、「神聖&教育の場」という信念があってのこと、もちろんよく理解しております。
しかしながら、小生の、全くの切れ目無く居続けた榊原手術室40年の幾歳月、その経験(偏見)を敢えて申させて頂きますと…、

榊原に初めていらしたある程度ベテランの方々の多くは、規律が乱れることを極端に恐れるのでしょうか、自分に馴染みのない新奇なものと繋がることを、何故かことごとく嫌う傾向があるように見受けられます。もちろんそれは、手術室の音楽に限らず、であります。
でもまあそこは榊原の真骨頂…、自由というか、奔放というか、「何でもOKの太っ腹」というか、そんな世間を知らない知性の塊がそんじょそこらに無駄かつ充分に転がっているのでございまして…、
例えば、手術室音楽に関する議論では、ついつい…、
「手術中に音楽を流せば一つの手術室で一日3~4例の心臓手術をやって17時に終了させることができますよ」…などと、手術室音楽の正当性を何のエビデンスも無く事実のみで論じる、そのような悪徳商売風の説得技をやってしまうのでありました(もちろん満面の微笑みにて)…、もちろん大人気ないと重々反省はしております。
でもまあ、そんな些末なことはさて置き…、
小生…、医療というものは全てにおいて、それに繋がる「何か」があるから「上手く機能することができる」、と信じております。
その「何か」は人であっても物であっても妄想であっても…、「手術と音楽の関係」のように全てイコールで平等に繋がるのです…、
もちろん、何の関わりも無さそうに見えるかもしれません。がしかし、特に医療の場合、その「何か」は必ずや…、実際の現場にいる医療人を、精神的にもパフォーマンス的にも、緩和する存在となってくれているはずです。
たまたま人と人が出会い、集まって、人を助けていく…、もともと医療とは、そんな奇跡ともいえる「人が繋がる商売」であります。ですから、手術にしろ、学問にしろ、人間関係にしろ、何にしろ…、繋がる「何か」を…、大切にすべきではないでしょうか。

昔々のこと、「音楽とは人を騙す魔法使い」と表現した方がいらっしゃいました。
そうですね、いいじゃありませんか、積極的に騙されてみましょうよ。音楽にも「多くの何か」が繋がっていそうです。
もちろん、その「何か」は目に見えません。しかし、「何か」が心に浮かんだ瞬間に、その「何か」の効果が形となって現れそうな気がするのです。音楽はやはり、魔法使いなのでありましょう。

さて次回は「終章か?」、いえいえ…、多分無事に終わりそうにはありません。

続きます。

若手をみて、いつも思います…。
専修医の研修期間は一応3年ですが、その期間内にこの病院を早めに飽きて次の修行場所に移る…、つまり「早期希望退職できるように成長しなさい」という、少し冷たい、でも少し温かき退職の薦めをいつも考えているのであります。心の中で「飽きた」という思いが自然に発生することは、若手時代の若手だけに許された特恵なのです。(それは、我々が見捨てられることでもありますが…)
その「飽きる」を早期に感じるための勉強の仕方というもの、定年後の外科医だからこそ伝えることができる気がいたします。実際、そのために色んな罠をしかけているのでございます。(しかし、中々引っかかってくれません)
でも少なくとも…、どこかで申しましたように、
手術をモニターで見ても、それは映像という情報だけ…、単なる情報に過ぎません。目の前の現実とはまるで違うのです。実際の現場には、人の動き、戦いの息づかい、それに揺さぶられる気持ち、そして皆を緩和し、仲間を作る音楽があります。モニターではその臨場感はとても味わえません…。
手術室の音楽は、これもどこかで誰かが言ったように、チーズという鬨の声に合わせて記念写真を撮るようなもの…、手術室の中には、お約束のご褒美が沢山あるのです。そんな音楽もまた、早期退職の一助となることを望みつつ、さてさて、本日二度目の若手どもの手術が始まります。三畳間でチェックを始めましょうか。