手術と音楽 第八章 歌詞①
『そんな考えは随分と若かりし日のものじゃない? やっぱそうだよね…、えッ、でも何だって? 今も昔と全く変わらない、ってか。 うーん、君ってなかなかオモロイ人だね。
でも残念なことはさ、「その考えが真っ当に正しくても、齢取らないとなかなか伝わらないことってあるよね」、それは君にも分かるだろう?
でもそれ以上に残念なのはさ、齢喰った時に、「その真っ当な正しさを理解できるアダルトがもうこの世にはいないってことかな」、君もそういうこと、既に何度も経験してるだろう?』
読者の皆さま、おはようございます。
最近、「沙汰止みに終わることを一再ならず繰り返す」、そんな今日此の頃でございますが、如何お過ごしでいらっしゃいますでしょうか?
手術と音楽ですが、歌詞のお話に移ります。かなり盛りますので、できれば右手に、USEN番組表のご準備をお願いいたします。
『はじめてのチュウ 君とちゅう I will give you all my love…』
「先生、これおっしゃるように確かにいい曲です。私も昨晩コロ助観ながらいっしょに歌いましたよ。でも月曜日朝っぱらからの手術に、君とちゅうはいくら何でも、これはちょっとね…。うんぬんかんぬん…」
一瞬だけ、「どうぞどうぞの間髪」が入りそうだったのですが、右手を挙げたまま鬼の首を取ったようにハモりまくる看護師3人組、「そこまで言わなくてもイインジャね、ナリ」と首肯きながら、「そしたら火曜日だったらイインかい、ナリ」と心でツッコミを入れてしまうのでありました。でもまあ小生、これくらいの試練はとっくに慣れっこです。
では、それではと、
『一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩さがる 人生はワンツーパンチ … 腕を振って足をあげて ワンツーワンツー 休まないで歩け』
「先生、これおっしゃるように確かにリズムいいですよ。でもまあ真夜中の手術なんですからね、気持ちは分かりますけど、そんなに元気にならなくても…。この曲…、うーん、二拍子か四拍子、どっちか悩みますよね。しかもワンツーワンツーだなんて…、えーと、これって、猫パンチで器械出しをやれってことなんですかね。でもでもでも、極めつけの超~アウト…、休まないで歩けって、働き方を完全無視してるじゃないですか。これはいくら何でもちょっとね…。しかしこれ、いつの時代の曲なんですか? うんぬんかんぬん…」
「猫パンチの器械出しとはドユもの」とハテナしながら、「そこまで睨まなくてもイインジャね」と、上空に広がる真っ青な空、いや、薄緑色の手術室の天井を仰いだのでありました。でもまあ小生、今回のこの試練には少々くじけそうになったのであります。
このように、強烈なダメ出しをくらう某小児心臓外科医…、
音楽の歌詞に関する議論では、「それ常識だろと言われても、そのような常識は知りません、でもそれが音楽の普通の非常識」、もちろんそういう常識は少しだけわかっているつもりではございますが…、さてさて、
「歌詞の入った音楽は作業効率にマイナスの影響を与える」、このことは確かに、世の中に知れわたった常識であります。既に論文にもなっているようです。
しかしながら一方で、もしも、「これまで苦労した手技が嘘のようにスムーズとなる」、もしくは「極端な時間短縮が可能となる」、そんな手術パフォーマンスの向上が現実となるのであれば、「どんな歌詞の楽曲だってOK」と許されることになるのでしょう。多少の顰蹙を買おうとも、「初めてのチュウ」でも「一日一歩」でも、「猫パンチでも美誠パンチ」でも、何でも宜しいのです。
でもでもでも、さすがに…、
- あまりにも優しい気持ちいっぱいになる歌詞はやはり…、
- あまりにも切ない恋バナを鮮烈に思い出させる歌詞もこれまたやはり…、
- 時間によって、言葉の比重が突然キュンキュンと変動する歌詞も如何なものかと、
- 特に、北の国への逃避行を促すような歌詞はもちろんとして…、
- 「ばきゅーん」とハートを撃ち抜かれるのも嫌だし、
- 器械出し看護師から猫パンチくらうのも嫌だし、
そして…、
榊原の手術室は「はじめてのチュウ」流していると、SNS拡散されるのも何だかなと…。
いずれにいたしましても、「恥ずかしながら、はじめてのチュウは、全国平均より少し遅かったンです…」などと、ついカミングアウトしてしまうような歌詞は、やはりご遠慮すべきだと思うのであります。
モーニング娘やE-girlsを流そうと考えていた小生が言うのもなんですが、
この武蔵国の手術室で、邦語で会話する邦人が邦人手術人のために流す邦語の楽曲は…、
まずは、「歌詞の内容しだい、流すスピーカーの性能しだい、執刀医の聴力(理解力)しだい、恋愛および飲酒の経験しだい、そして妄想遍歴しだい」、で選曲することが大事かと考えます。
執刀医の方々に敢えて申し上げます。
執刀医は、手術中一匹狼になりますと何故か摩訶不思議に、詩的な単語を用いて会話したくなるものであります。
でもここは一つ…、
メロディーとリズムだけに身も心も捧げていただきまして、決して、歌詞の内容を探るといった浮気をしないようにお願いいたします。手術中は、字面よりも音面に生きる男にならなければなりません。
ですから特に、生まれながらPoetの小児心臓外科医の皆さま…、
手術中の発語は少々として、敢えて自身をPoemerと化すべき…、聞いて恥ずかしくなるくらいのギャグを軽くつぶやく、その程度の奥ゆかしさを是非に保ちましょう。
でもまあ本来、日本の歌とは言葉に「節」が付いただけのもの…、古い外科医にはそんな古代の遺伝子がいまだに残っているのでしょうか。多少の歌詞内容詮索は仕方ないのかもしれません。
よし、明日は火曜日…、気持ちを切り替えて、「はじめてのチュウ」を再提案してみようか。
もちろん、英語でカバーされた「My First Kiss」で…。
続きます。
読者の皆さま、小児心臓外科医特有のこんな無理くりな妄想はするべきではないと反省しておりますが、まあそれでも多少なりとも、両者には何かしらのシンクロがあるのではないかと思います。
ですから、手術中の執刀医は、自分だけで満足するような時間を持ってはいけません。流れる音楽と手技をシンクロさせて、皆の流れを整えるというか、皆の流れに乗るというか、皆を迷子にしない感覚を持つことが大切です。
「ちょっとまってくれる?」、そのような執刀医の発言で、音楽の時間軸効果を損ってしまうのは皆の「ため息モノ」…、流れる音楽が、「オレ、グレちゃおうかな、テンポ変えちゃおうかな」などと言い始めるかもしれません。
でもまあいずれにしても、それぞれの手技がカチッとハマる、それぞれの手がピタッと嵌まる、それぞれの気持ちがピシャリと重なり鳴る…、そんな音楽の「瞬間へのシンクロ効果」がもしあるとすれば、執刀医が変に安堵しない限り、付き合い続けてくれそうな気がいたすのです。
さて、皆さん、手術中の音楽の効能というもの、全てが「外科医の類稀なる想像」であってもいいですよね。「想像したもん勝ち」、「めっけもん勝ち」ということで…。今後も害にならない程度の妄想で邁進できればと思っております。でもでも、これもまた経験上のことではありますが、執刀医の音楽的最低条件として…、時間軸シンクロ手術のために…、もちろん「できれば」で結構ですが、「3連裏打ちと8小節をとる感覚」だけは、ほんのちょっとだけ、身につけて頂ければ幸いです。