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コラム

高校時代 その六 Power

兎にも鹿くにも例えが悪く、兎さんにも鹿さんにも叱られそうですが、昔のことと笑い飛ばして頂ければ幸いです。

「兎に祭文」のような小言を、「兎の逆立ち」で聞いていたあの研修医生活…、それは4年10ヶ月間の「烏兎匆匆」でもございました。(7000人の子の命を救った心臓外科医が教える仕事の流儀 参照)
手術が終わり、そして…、「休んで飯食って寝て起こされてまた手術して飯食ってまた寝て…」、
そのように、ある意味ナチュラルに経過する日常というものは、あたかも、3~4時間置きに食事をする鹿さんの食生活のようでもあったのです。
結果、体重が若干増えて、図らずも、ふくよかに口角を挙げる表情を呈するようになりますと、
「楽してる…?」などと、勘違いも甚だしい疑惑の言葉をかけられること…、ちょいちょいあったと記憶しております。

さて、そのように、オートマチックを当たり前に生きる研修医たち…、当時の思いを辿りますと、
もちろん、先輩スタッフの皆さま方にはご迷惑の日々だったのでございましょう。しかし、手術に向ける我ら研修医の「力量」というものには、毎日それぞれそれなりに、けっこう輝くものがあったのです。

ああそうだ、思い出しました…(これは確かに不思議なことでした)。
あの当時に同年齢だったペーペー研修医の中には、
「お前さあ、今まで一体…、いくつの人生をスキップしてきたんだ…?」、
そのように、悪く言えば不審者に思える、良くいえば妙に老成しているとも勘違いしてしまう、そんな輩がけっこう存在していたのです。
さて、そんな奴らに共通したものとは何だったのでしょう…?

それを安易に申せば、単なる勉学では経験できない「善かれ悪しかれの経験」というもの、
言葉を換えれば、都会臭のする、心の「品性」とも言えるものでありまして…、
しかも、驚くことに彼らは、例えそれらが耳学問で得た経験であっても、例え受け売りであったとしても、
あたかも実体験したかのように、それこそ物怖じせずに、大人らしい場馴れした雰囲気をチームに醸しまくるのでありました。このことだけは、小生のような田舎者には決してできないものであったのです。

そうですね…、そのPowerらしきものは、
「相手を大切にする、チームを大切にする、結果でなく過程を大切にする」という、若さを最大限に活かした、研修医時代だけに許される「緩和力」とでも言うものでもございましょうか…。
いやむしろ、生まれ持った一種の「人間力」とも言えるのでありまして…、
例え、研修医という立場であっても、「自分の名前は、まだまだ病院の看板にはなれずとも、少なくとも手術室の看板の一つにはなりつつある」、
そして、「自分じゃなくてもできるという仕事ではなくて、研修医である今の自分じゃないとできないという仕事が増えていく」、
徐々にですが、そんな風に、チーム医療には欠かせない「存在意義の力」へと変わっていった気がするのです。
そう、それはあたかも、自分の寝場所を見つけるようなもの…、
小生にとりましては、その時初めて、外科学な綺羅びやかなものを見たという経験でもあったのです。

もちろん手術の是非は絶対的に、その結果だけで評価されます。
しかし、臨床の世界に初めて飛び込んだ研修医にとりましては、
高校および大学時代の経験から繋がる「何かしらの力」、もしくは、それまでの「人となり」というものが、若手だけに許された特殊な武器として価値判断されるのです。
そして…、
例え、それが聞きかじりであったとしても、若さゆえに、チーム全体の閉塞状況をも切り開く一つの手段になっていくものなんだなと…、そう痛感したのでありました。
そうそれは、研修医3年目の春のこと…。

そんな研修医時代の仲間たちのことを思い出すにつけ…、徐々にではありますが、
頭で考えられることだけは「前もって話しておく」、
また、架空の経験であったとしても、今の内にしっかりと「繋げておく」…、
これらは、お節介ながらも、とっても大切なことだと思うようになったのであります。
高校、大学を“のほほん”と過ごしてきて、それでも一端と思ってきた小生にとりましては、いやはや、ようやっとのことでございました。

さて次回は、前もって話すべき「騙し騙され」の妄想を、やや具体的に、でもあくまでも小生的に述べてみようかと思います。

続きます。