使命感 弐の巻 若手
おちゃらけブログを書く以前のそのまた遥か昔々にさかのぼったあの頃、「溌剌&ピュア&利発な無責任青年外科医」と呼ばれたその頃は、今思えば、最も良き時代でありました。
小児心臓外科医というもの、
・ 子どもや親御さんの心情を誰よりも考える職業、とも言え…
・ 先人の教えや言葉が、自分の経験と多く重なる職業、かも知れず…
・ 自分のことで悩むのではなく、他人のことで思案に暮れる職業、であろうかなどと…
だからこそ多少オボロ気な使命感だけでは、すぐに心が折れてしまう取りも直さず難儀な商売でもあるのです。
「使命感を持つ」、なかなか難しい命題です。
もちろん人それぞれですが、少なくとも、「誰かに必要とされる、もしくは、他人と同調して生まれる、そのような使命感は果たしてドウでっしゃろか?」、と思うのです。 あまりにも薄いですよね。
さてさてそれでは、「敏活&純烈&インテリジェントで少し責任が出てきた青年外科医」と呼ばれたあの頃の、小生の使命感モドキの発芽らしき刹那について思い起こしてみましょう。
1. 自分がやりたいことの為に駆け回るのは楽しい、しかし、誰かを何とか助けようとするのはそれ以上に愉しい。多分ですが、そこには明らかに「ドゲンかせんといかん」という使命感らしきものがあったような無かったような気がします。仲間意識、家族意識とでも言いますか…。
2. 「今やるべきこと、今自分が考えていること、今口にしていること」、それらを自分の心の中に深く落とし込めて納得できるかどうか? 腑に落とせたことは、今考えると、使命感らしきものだったような気がします。
3. たとえ自分の求めるものが夢想であったとしても、それを実現できる術を脳内で具体視できるか、また、それは自分がやるべきことと矛盾なく言葉で説明できるかどうか、それも使命感らしきものだったような気がします。
上手くは言えませんが、使命感の誕生はこんなものかもしれません。
でも今思えば、これら結構当たっているとも思うのです。
「使命感らしきものと出会う、もしくは使命感らしきものを感じ取れる」、それは本人次第です。
子どもたちの幸せのために「今一番価値のあることを優先的にやっている」と実感できれば、それが何であれ、たとえすぐに変化していっても、「決して諦めない、飽きるはずがない」という確固たる『根っこ』が生まれるはずです。
使命感は全くの無から生まれるものではありません。ましてや、頑張るしかないという体育会系的な使命は本来あるべき使命感ではないと思います。ひたすら耐えても何も生まれません。
責任のない若手時代に 若手本来の自由さと、若手ゆえの不自由さとをどう工夫するのか…、
極めて概念的ですが、外科学においてほんのちょっぴり喜びを感じること、これがおそらく使命感偶発の源であり、愉しく思うことは、ドーパミンを醸す『価値あるもの』を持ったご褒美なのかもしれません。
そしてそれらの価値あるものが積み重なり、それまで培った経験則や蓄えからできた知識が呼び水になり、自分自身でハードルを上げて負担を強いながら、無意識な連鎖でようやく固まると考えます。
ですから、何度も申したことですが、若手はとにかく、「そこにいるしかない」、いないと意識の繋がりようがないのです。
もちろん「価値あるもの」はなんでもOK、「やるじゃん俺」自分のこと大好きでも構いませんし、自分で欲するままに行動しても構いません。ただ他人が見て、それに節度を感じることのできる「水沢節」的行動であるべきでしょう。
たとえとしては悪いですが、あくまでも逆に例えれば、何らかの要因で病院を去ることになったとしても、そこには使命感が足りなかったのではなく、また、この病院がお前を必要としなかったのでもなく、「お前が本当の意味でこの病院を必要としなかっただけ」、そう傍から思われるようであれば、それはそれで立派な使命なのです。
「無駄に明るく&世間ずれしそうな&悪知恵の働く 責任のある中年少し前の外科医」と呼ばれる少し前の若手後期の頃、
今思えば、何とかしたいという『価値感』を上手く説明できないほどに目の前のことに集中していたから、当時の使命感については上手く説明できないのでしょう。
そのまま、ひたすら続いていきます。
※ 中学生の頃、マラソン大会の折り返し地点が、俵尊のふる里にあるこの大人小学校のセンダンの樹でした。医師になりたいという、母親を喜ばせたいという、「幼稚&その割には努力の欠片もない初心な使命感」だけは持っていたような気がします。