Doctor Blog

コラム

使命感 壱の巻

『使命感』
このお言葉、最近またまたチマチマと彼方此方で乱舞しまくっております、特に阿吽の無い尊老方の間で…。
でも聞けば聞くほど、使命感とは程遠い…、ブレない気持ちとは程々違う…、「そう仰るあなた方の使命感って何なの」って突っ込みたくなるほど、うらブレた気分になるのは何故でしょう。
生き方と仕事を重ねることができる人々が段々と少なる気配、随分と漂うようになりました。

でも確かにそうですね、ロートル外科医の讒言を許して貰うならば、
「頑張りたいけど何を頑張れば良いのか分からない、どんな努力をすればよいのか分からない」、最近よくある若手の独り言です。
「初心を一生忘れない人間がどれだけいるのか」甚だ大きな疑問ですし、持ってる人は最初から持ってるし、モテない人は一生モテないし…。
読者の皆さんは恐らく…、「すでに医師になっているのに使命感が希薄すぎ~」とか、「とても幸せそうな不思議な人種だね~」って、
それよりも何よりも「今回のブログだけは、手術なみに速やかに終われよナ~」って、そう思われているかもしれませんね。
さてさて、外科人としての使命感、言葉を換えれば『揺るぎない根っこの当たり前感』、いつどのように生まれるのでしょうか。
でも、そもそも「使命感っていったい何者」なのでしょう?

実は小生も若手の頃、「新人類だとか、世の中を知らないとか、若造だからしょうがないとか、運のみで生きているとか」、散々色々と言われておりました。それがいつのまにか「使命感とはナンだカンだ」と偉そうに口にする、実に烏滸がましいもんです。

今だから今だけ言えること言っておきます(もちろん、また後であれやこれや申すかもしれませんが…)、
『経験上、使命感は新しきものからだけでは生まれません。
医療に本来あるべき使命感は、若手においても上司においても管理者においても、臨床の場でしか生まれません。
ましてや、若手を目の前にして、「使命感を持ちなさい」なんて、説得爺昔話はすべきではありません。
使命の萌芽には、あくまでもその概念を「地風升」的に置いておくだけでいいのです。』

今回は、「使命感に関する人情噺」をまたまた一席、
「若手の使命感→上司の使命感→上司と若手のボケ漫才→使命感?」と、噺は続いてまいります。よろしくお付き合いの程奉り候、乞うご期待下さいませ。
(お断り…今回も果てしなく続きます。簡単には終わりませぬぞ。)

※ 前にご紹介した、「小生の生誕地、宮崎県日之影町の水墨画」と同じアングルで撮りました。(オノマトペ その一参照)