大人の嗜み Act 5
読者の皆さま、謹んで初春のお慶びを申し上げます。
旧年中は多大なるご厚情を賜り、誠に有難うございました。楽しいお正月をお迎えのことと存じます。
さて、除夜の鐘も聞かずに意識を失った小生…、今はただただ、拙ブログでのお騒がせ言動を猛省する日々を過ごしております。でもご安心下さい。松の内が明けますと、あの“飽きやすさ魂”が復活する予定でございまして、本年もまた皆さまのご期待に応えるべく、精一杯のブログ精進を重ねていく所存です。どうかお見捨てなきよう、懲りず変わらずのお引き立てのほど、何卒宜しく御願い申し上げます。
本日は正月、ハレの日の二日目でございます。
自宅の神棚にご挨拶、そして近くの氏神さまへの初詣を済ませ、双六、百人一首、羽根つきに書初め、そして福笑いとカラオケ大会…、
多くの行事や嗜み事とともに、神さまとご一緒の御節料理とお屠蘇を楽しむ、そして慎みを持って今年の抱負を聞いていただく…、そうですね、この三が日は、そんな“しきたりや習わし”を大切に、私ども人間が普段以上に神さまを身近に感じる時なのであります。
ああそうでしたね、昨日元旦の明六つ頃だったでしょうか、年神さま(ご先祖さま)がお出でになられたのは…。
それにしても、今年の拙宅は何だかとても居心地が良うございまして、もしかしたら個性豊かな“まれびと様”もお出ましになるかもしれません。もちろん、お神酒はたんまりと準備してお待ちしております。
さてさて、本年の“計”…、どんな言霊で立てましょうか。
思い起こせば20年ほど前からの約10年間は、手術の成績向上と質の改善が最優先、ですから当時は、自分、手術機器、そしてチームに関して、それぞれの“技術と緩和”の進化という観点から事こまやかに“計”を立てておりました。
ただしこれらは、改めて“皆”に問うというよりは、現場においてだけ、そしてその時々にのみ、しかも口伝でしか伝わらないことばかり…、ですから困ったことに、そんな“計”は良かれ悪しかれ、いずれ比例・反比例してしまうのであります。
でもまあ、そうであっても10年も毎年続けていれば…、もちろんそこには、徒弟的もしくは躾的な心の慣習が要るのですが、僭越にも小生が最高と思える充分な質と緩和心が自然と生まれるのでございまして…、そうしますと、それを見ている若手は、“手術室前の小僧”的にその是非を判断し、やや速めに段階を駆け上がるようになるのです。
一方、ここ10年ほどの“計”は随分と変化しました。簡単に申せば、手術が“変わらないよう”手を尽くすようになったこと…、でもこれは決して、心変わりした訳でもなく、後ろ向きに考えているのでもないのです。これまた僭越ですが、恐らく…、“先の”技術と緩和心の中には、未だに魅力ある、とても大切なものが残っているのでございましょうね。少なくとも、“変えるべきでない”ものは、変えてはいけないのです。
ところが、この“変えない”ということ…、今の小生の大切なお仕事の一つなのでございますが…、最近は何故か、“変えることよりも難しい”と感じておりまして…、実に難儀なことであります。
さて、そんなことをつらつらと考えておりましたら、小生の部屋で管巻き飲み会に突入している東北からの団体ご一行様のお声が聞こえてまいりました。
神さまA :「ユキちゃんも面倒ぐせえ奴やな。本年の“計”なんぞ、もう決まってんなんねが。難しく考えねんでもいいど思うがな、元旦ぐれ羽伸ばしたらどうだなや」
神さまB :「いや、元旦だはんでこそ、オラだぢに向がって“計”立でるんでねのが?」
神さまC :「いやいや、元旦って休むだめに在るんだ、まんず普通はな。確がに有名どごろの同業場は今大変な人出らしけどな」
神さまD :「いやいやいや、思い出させるんでねぁーよ。おいらだぢも、来週がら忙すくなんべや」
神さまE :「まあそだこどはどうでもいいべ。それにしも、このウヰスキーづーヤツは、ながながガツンどぐっぺな、なんぼでもいげっぺ」…云々閑雲
神さまE :「んだども、今年の人間には何どまあ、“変えでー”との計が多うござりすね。ややごしい限りだ」
神さまF :「んだんだ、ばって最近はどうも、“なんちゃって変えでえ”が多いらしいぞ。そいでもって、そだのに限ってまだ、中身が無えんだよな、そだもん、誰もピンどごねえべな。2で割り切れねえもの無理して割っぺどすっから、余計だぢが悪いんだ。“計”立でるってさ、頑張るってごどでねえんだ。面白そうで思うがら立てるに決まってっぺや。何考えでるんだべが」
神さまG :「そりゃあ、自分が目立ぢでからに決まってらべ。普通はよ、てめえ自身がまず歩いで、一杯観察するがら、皆の共感が得られるのにな。そったごどが、いづまで経っても分がね…、というが、分がるべどもすね自己中親父が増えでららすいぞ。困ったもんだ。」
神さまH :「んだんだんだ、でもほだなこど、どうでもいいさ。そったづまねごどはほっとげじゃ。それよりも、何がホゲ臭ぐねが?」
神さまI :「こらごらおめ、こごでスルメなんて焼ぐんでねぁーよ、ユキちゃんが怒るべよ」…喧々諤々
神さまJ :「まあ皆の衆、ほだなこど言ってもどうすんべもねべ。さでもさでも、今年の手術室には…、そだな、…繁盛…江戸…しぐさ、…こだなもん送ってければいいべか」
神さまK :「んだな、そすて若手外科医どもには、奴らの“十五理”の経年的変化さ判断して、今後どう対処するが考えさせる、ただそれだげでいいんでねが。そえでもって、どうしても必要でゃーば、“三つ”ど“六つ”にすこしだげ戻せばいい、ただそれだけだ」
神さまL :「そだな、そしたら、コチトラもまだ、背中押すべーがどいう気になるしな。でもまあ、何やがんやしゃべっても、“心”の問題さ関すては、オラさ東北神の真骨頂だ、勝でるものなどいね」
神さまM :「そうだな、それは間違いね。んだげんと、まあなんだな、よぐ判ねばって、妄想どお神酒が好ぎな外科医に、悪いヤツはいねぁーど思うべな。ほっとげばその内にまだ一づ、お利口さんになりますじゃ」
神さまN :「んだんだんだ、んだども、そったなこどどうでもいいべ。そろそろ、箱根駅伝往路も山登りが佳境でねぁーのが。誰がテレビつけでけろ」
(当ブログ 夏が来れば思い出す 参照)
前述しましたが、
段階というものは、段階的に続けることができて初めて、“それは才能だった“と言われるようになります。繰り返すことで、ここの手術室に合う、そして病院として誇れる伝統を求めていく…、そうですね、これまた手術人に“あるある”『大人の嗜み』なのです。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。 高橋 拝