夏が来れば思い出す その一
『 「ウーン…、ハイソ&ハイセンス、万人に愛されるブログって何ぞや?」
前回ブログの反響(冷笑轟々)にて…、小生、少しながら心を引きずっております。
…でも確かに、初期高齢者らしく等身大に取り乱してしまったこと、心より反省いたしております。我が家の家訓は既に書き直しました。「スベリはやはり、ほんに集恥や地山謙」 』
さて、読者の皆さま こんにちは。
小さな勘違いと大きな勘違い、その程度には様々な色合いの味付けがあるようでございます。
夏の到来を目前にしますと、あの陸奥での夏瓜味付けメモリー…、かの青森(正確には弘前近郊)での時々真面目ながらほぼふざけた人情満載の旅物語を…、ついつい思い出してしまうのです。
潜在意識というものの中に存在する、思い出したくもない思い出の中には、宿命的に思い出さざるを得ないものが多分に含まれているようであります。もちろんその奥底には、津軽在住の、新ネギしょって寿司屋に出入りするアヤツからの、「もうそろそろ来ねばマイね」というシンクロ通信があるのかもしれません(当ブログ 記憶とシンクロ 参照)。
さてさて、そんな前フリは「どうでも宜しく!」、
すべからくの反省は、我が左胸内側のポケットに取り敢えず入れとくとして、
今回の小生のブログ、成長したのか世間ずれしたのか些か不明ですが、多くの称賛も非難も望んではいないのです。ただただ「一新に西新」に、世間一般に少しだけ認められる「ブログらしいブログ」にしたく、
それならばお得意の妄想旅のお噺を一席と、
夏が来れば思い出すノンフィクションの旅物語、「縄文の神々へのごあいさつ放浪記(別名 妄想旅手帳)」を講じたいと思います。
自分のことを高く見積もりガチなのは昔からの決まりごと…、
ブログらしくなることは程遠いと重々承知なれども…、
少しは詩的なワードを探しつつ…、
ご理解にそれなりの技術を要することがないように…、
化粧っけを可能な限り無くしながら…、
並のカルビが特上の味となるように…、
そしてもちろん「弁慶の牛サガリ」に近づけるように…、
ただ、お約束的に若干の魔が差してしまいそうではありますが…、
皆さまに愛される旅ブログ、それなりきっちりかっちりと、『紅葉八幡風クニヒロ倖せ』を祈りながら…、
さっそく仕上げて「飛觴」参りましょう。
続きます。
さて、この物語はその翌朝の陸奥一人旅の二日目の朝、「澄み切っている」という表現はこれしかないという唯一の、そしておそらく三井さんもガチャピンも見たことがないほどの、「シャキ~ン」という音が聞こえてくる「晴れ時々快晴」の青空、縄文の神々の祝福を“一心”に浴びながら、弘前駅前のバス停より始まっていくのでございます。
ところで、駅近くにある市民憩いの市場「虹のマート」、ホタテを中心に弘前土産を東京に送りましたが、何故にここの玄関には、『木花之佐久夜毘売』の像があるのでしょう? 日向、笠沙の岬で育った小生としましては、再開を歓待されているようで、マッコと幸せな気分となったのでありました。