記憶とシンクロ
今回は「記憶」のお話しでございます。
longカクテルの迷走ストーリー…、できますれば氷が溶ける頃合いまでお付き合い下さい。
自動演奏ピアノで思い出しました。
病院の勤怠タイムレコーダー、職員証をタッチしますと、ハイトーン跳ね上がりで2つの音が響きます。
それは皆さんご存知“ラ・カンパネラ”序奏と同じスケール、出勤早朝のややタルい脳内環境、その音符がしばらく右脳を徘徊します。
ただ、不用意にその旋律を口ずさみますと、あまりにも危ない雰囲気が拡散しますし、その節回したるやいたく演歌調になってしまいます。なるべく心の中だけに留めるよう、毎朝その欲求と戦っております。
そういえば“ラ・カンパネラ”、ネット上で聴き比べができます。もちろんフジコさんは永遠のスタンディングオベーション、そしてそれ以上に伸行君、最近かなり心酔しています。
また、低侵襲手術書の中でもご紹介しましたように、榊原記念病院には社歌、いや院歌なるものがあります。有名作曲家の手によるものでして、“鈴木建設”を見習ってそろそろ復活させようと考えております。
さて、“音の記憶”には、風景や事象などの“映像記憶”がお供しております。恥ずかしきことを含めてありありと目に浮かびます。そして、再びその音を聞いた瞬間から、今現在の意識をとっつきとして新たな映像記憶が生まれます。自己中妄想であればあるほど、かなりの勢いで膨らんでいくのです。
もちろん音の記憶は膨張しません。一つの音をバックグランドとして、その時々の映像記憶が折り重なり、そしてより深い意識の蔵へと保存されていくのであります。
さてさて、外科学の修行というもの、認識作用としての5感を考慮しますと、
先ずは“見て聞いて、それから聞いて見て、さらに観て聴いて、そして利いて診て”というように、聴覚および視覚を開放することから始まります。(これが所謂ぺェぺェ時代です。申し遅れましたが…少しだけ嗅覚も必要です。)
そして次に…、これらの“聴と視”の記憶に対して、意識による整いが終わりますと速やかに、皮膚および指感覚が闊歩する手術現場への出向と相成ります。そして“触覚の記憶”へと晴れて相変化して行くのです。(これらの過程には交差がありますし、少々ですが無意識に無視する部分もあります)
触覚には当然、個々に器用と不器用があります。しかし経験上、ある程度の映像記憶と“多少の根性”、これらさえしっかりあればその内に、目的地に近道したような触記憶を得ることができます。さらにまた、そのことを多少盲目的に信じていれば、手術の流れの中にある“件の身識”をイメージできるようになります。ただ、萎縮しないようにとあまりにも気を使いすぎていますと、かえって萎縮するようになりますので…、そこはツンツンせずに、まあごゆるりと…。(低侵襲手術書 参照)
さてさてさて、ここまできますと実に不思議な(不審な)ことなんですが、“聴と視”の記憶はそれほどに大事なものではなくなります。要は、新たに修得すべき事態に遭遇したとしても、“聴と視”を一所懸命に駆使する必要がなくなるということ、つまり、ほんの少しだけ見聞きすれば、有効な身識記憶として活用できるということです。これは、修行の過程でほんの4~5回だけ現れるお宝といえるもの、永遠の資質となります。
しかしながら欠点もあります。“聴と視”が大事ではなくなりますと、経験上、健忘症と言われるほどに、そして滑稽なまでに、人の名前、人の顔を覚えることが苦手となってしまいます。人の話は夢うつつの上の空、その時こそまさしく、山の神の噴火が炸裂する瞬間でもあります。誠に遺憾ながら“飽きやすさ全開”という小児心臓外科医の真骨頂なのでしょう。(この職業病の治療には、音を音符として映像記憶する術だけでなく、軽部風エンタメ映像記憶の習得が有効かもしれません)
※病院正面玄関です。向かって3階右端、例のインカの野積みから南征した(正確には南西)共同間仕切り相部屋の窓、今この3畳ブースにて、このブログを書いております。そうこうするうちにたった今、某臨床工学技士から電話が入りました。今回のブログ、この後の文脈は恐らく笑いも落ちもなく終わりそうな気がします…、今のうちに予言しておきますとのことです。??…
さての4乗、
「チームには意識の共有が必要である」、極めて大事なお言葉として拝聴しております。しかしそこには、
“滞りない手術ができたという過去形の達成感”はもちろんですが、加えて、“映像記憶の同調を現在進行形として感じられたかどうか”を確認する必要があります。もし、それが無ければあまり大した意味はありません。共有というお言葉、たまに、たま~にですが、皮肉かいなと思うこともありまして、何でこんなに共有を拒否するんかいなと、現場で感じること、よくあります。
それでもたま^~にですが、「小生の脳を覗きやがった!」と、その同調にドキッとすることがあります。小生が今見ている視野だけでなく、手術で活性化した脳内備蓄の記憶を盗み診るのでしょうか、困難な手術に限って、あたかも“予知する”ようなことをやらかすのであります。
これ、もしかしたら、あの“Synchronicity”?(…あの技士の電話も、しんくろにー、てか?)
もちろん、テレパシーや読心術なんていう超能力なんぞ、全くもって信じていませんので、この同調こそが、“よく気が利く”もしくは“ベテラン(年喰った)”という、古参という名が為せる人間として当たり前の人間技なのかもしれません。そういたしますと、「意識の共有が必要である」とのお言葉、お互いの記憶のシンクロという観点で、心にレアリテ響いて参ります。手術室は、若手がそういった訓練をするための、秘密の暗号部屋ともいえる最適な環境なのかもしれません。
さての5乗、皆さんお待たせいたしました。妄想タイムです。
“多くの記憶(経験)を蓄積して、まずは生半可なことでは萎縮しない手術人となること”、読者の皆さんは「そんなこと当然でしょ」とお思いでしょうが、榊原の手術室に来るべくして来た“すべて”の若手への、小生の希望です。
そして、“お互いの映像記憶が手術中にリアルタイムで同調すること(当然、反発も同調の一つ)”、このことは経験上、初めて経験する困難かつ危機的な状況をより楽に打開するための“必要コツ”です。ですからこのことも同様に“すべて”の若手への希望です。(あまり好きな言葉ではありませんが、この同調が“阿吽の呼吸”と言われるもの、この自然発露こそがチームの進歩を証明します)
しかしながら、この同調、外科学においては、最も厳しくかつ最も苦労して修得しなければなりません。従いまして、同調をチームとしての“早めの必須”にするのか、それとも“非必須”とするのかという選択につきましては、現在の働き方的において、必須とすることはなかなか困難であり、多くは無謀であると非難されることでしょう。まあ確かに今の世の中、すべての若手にそう望むこと、上司の大きなお世話と言われても仕方がないことであります。(当ブログ おせっかいな本棚 参照)
“仕事の流儀”では、医療に拘らず、時間が有りげで無さげな若手の皆さんに前もって知って頂きたいことを、良きにつけ悪しきにつけ、小生の映像記憶をかなりクドく盛ってしまいました。
当時の執筆時の記憶、今では音と映像がごちゃ混ぜとなっておりますが、“やっては駄目なこと”をあらゆる記憶から抜き寄せ集めた結果、“これが駄目だったらあれも駄目になる、もともとこれもそれもあちらさんもこちらさんも駄目となってしまう…”などと、結局そのうち段々と、“是非やって欲しいこと”が洗いざらい消滅した“出来ないことだらけ”の文脈となり、結果、“当たり前のことが当たり前でなくなってしまう”というドツボに嵌まってしまいました…。
しかしながら、ここからはさすがの飽きやすさ魂し~い、そして切り替え復活魂~ィ、
教える側と教えられる側のすべての映像記憶を、一度ポジティブに正当化してシャッフル、そしてそれらを取り敢えず占ってみるという、いつもの小児心臓外科医らしい“醸す行動”に出たのでありました。
でもその結果、“やる前からやっちゃ駄目”とするのではなく、“すべてを駄目と決めつけずに取り合えず一度やってみる、そして何としてもそこから早めに抜け出す手段を模索する”という、なんとも怖い話が多くなりました。結果、命を扱う職業とはいえ、今の世の中の安全神話的な決まりごとに対して、常識的には絶対に許容できない危ない校正をしてしまうのでした。(…日本語って、本当に懐が広いと感心いたします)
ところで、その批評コメントたるや、甲論乙駁議論百出、侃々諤々の賛否両論でした。
でもそれでも、今の世でこんな本に賛と否が現れるということは、次の世には今と異なる“否と賛”が現れるということでしょう。今ある否定論理も、将来は否定されるのかもしれません。手術をネタにビジネス論を語る(騙る)こと、誠に不遜ではありますが、小児心臓外科の行末を考えますと、小生にとっての手術とは現時点でそういったものなのでしょう。
そんなこんなで、テレビ的な外向きの性格となって参りましたが、今後の壮大なる野望、それは抜かりなく“使えるビジネス本”の出版です。
未だにこの定義が理解できないものの、その紙面の中で皆さんにお披露目&同調させて頂く新たな記憶、
まずはお神酒で妄想して、そして“ラ・カンパネラ”でまた妄想、不測の事態に即応できる映像記憶だけは残してさらに妄想、さらに、少しだけ当たった技士の予言で時々妄想、そんな風に、風通し良く再構築していきたいと思います。(ところで今回、賛の方々とは具体的にどのような記憶のシンクロがあったのでしょう?疑問です。一方、否の方々とは恐らく、最初から“音”の記憶が違ったのでしょう)
定年を迎えた今日此頃のもうそろそろ、鬼よりも“鬼かわいい”と呼ばれたいお年頃となってきました。しばらくは江戸っ子らしく、無粋な宵越しの映像記憶だけは持たずに、そして、伊達や酔狂で記憶を言うのはこのブログのみ(物議を醸さないように…)、熱々風呂と熱々おでんだけをお約束的に準備して、次の世の証しとなるべき新たな記憶の発露、その来るべき時を愉しみに待ちたいと思います。
さてさてそろそろ、子ども達のベネフィットのため、手の萎縮を無くすべく奮闘中の弟子ども、本日3回目の修行が無事終わったようです。
長くのお付き合い、誠に有難うございました。時間も時間ですし、しかもこの時期ですので、締めのショートはまた今度ということで、我慢下さるようお願いいたします。
どうも最近センテンスが長くなってしまいます。妄想病の影響でしょうか。
次回もかなり危ないお話、延々と続きます。それではまた…。
※写真は、2003年当時の病院中庭CGです。ポプラの皆さんもお元気でした。新宿から(正確には代々木)府中へ西征してきたこの時期の“映像記憶”は、かなり衝撃的で多岐にわたっておりましたので、低侵襲手術書にも多く引用いたしました。しかしながら、それらの映像記憶に付随している“音の記憶”、その殆どが何故か「モーニング娘」ばかり…、これはかなり意図的であやしく不思議(不審)です。この2003…、一体どのようなパラレル的問題があったのでしょう?