外科医の浪花節 その一
この一文を記す今し方の時間、5月16日の20時33分です。 戌の刻ではありますが、 我が愛犬は既にお休みしております。
本日は記念すべき“初めてペイペイデビューの日”でした。 (とにもかくにも、明日からのコンビニでは、無意識にペイペイと唱和しないよう心から注意する必要があります。でもお約束的に一回だけやってしまうこと、小児心臓外科医の努めでもあります)
それにしてもこのコロナ禍、成るべくな限り大人しくせざるを得ない状況が続いております。ワクチン接種が早めに進捗すること、また、コロナ収束後の医療、その新しき時代の外科学が今よりも強いものへと変革すること、そしてさらに、その佇まいそのものが縄文っぽく奥床しくなること、衷心より願ってやみません。
さて、そんなこんなで読者の皆さん、このブログがオンエアされる今日この頃、どのような「時間」をお過ごしされているのでしょうか? 未だかなりストレスフルなご様子ではないかとお察し申し上げます。
そんな小生も全くもって同様でございます。いつか申しましたように、日を追うごとにふつふつと自然が恋しくなってくるのであります。(手術雑感4 手術のストレス その二 参照)
実を申しますと、この2年ほど前、定年のご褒美としての“放浪旅”、山の神にちょっとだけ内緒で計画しておりました。 また、この4月からではありますが、座右の銘を「さすらい」へと変更した経緯もございまして、この日々の状況が続くこと、誠にもって残念でなりません。小生の今の気分は旅立ちをひたすらに待つ渡り鳥のようです。(山の神にはバチが当たったわねと言われました…、ひたすら忍、そして需です)
※ 秋田空港近くを飛来する白鳥です。
しかしながら、この過剰な品行方正様の生活において、無為な「時間」の中でなるべく大人しく、すべからく多くのことを溌剌と妄想すること、そして、その時の出で立ちが考察できる限りの若作りであること、全く持って実に怠惰なことではありますが、何故か不思議と心地良く、温かい「時間」が流れていくのです…。
このように酔っぱらい文字を重ねていましても、一つ一つ並べる言葉の発生した意味までをも、真剣に考えるようになりました。 実に新鮮で興味深いことです。
またさらに、こういった空疎な筆述遊び、かの懸想文売りの如く、口下手で思いを伝えられない方々への多少の社会貢献となるのではないかと、勘違いをもしてしまいます(もちろんお神酒が少し入っています…)。
そしてもちろん、この無節操な静思時間、自分自身の反省の無さと無意味な度胸の良さに、何故かワクワクと感心してしまうのであります。
気分はまさに“妄想旅”、 あちこちを浮遊しているようなものです。(そういえば、“妄想トレイン”というBS番組、ご存知でしょうか。中川家の礼二さん、ミラクルひかるさんとともに今けっこうハマっています)
もしかしたら小生、もともとこの現し世では当然の如く生きてはいけない、また、外科学の「時間軸」においても適応不可能ではなかったのかと、心ならずも迷想(迷走)しまうのです。
今回は「時間」についてのお話しです。
さてとっぱなから突然ですが、前もってお断り申しておきます。今回のお話しは今までと比べまして、その妄想度たるや、その濃度と粘度、相当に異質なものとなっております。 特に中盤あたりから始まる、多少の事実を含めたドタバタ劇、青少年にはふさわしくない内容も少しだけ感じ取れるかもしれません。
しかしながらこれでも、どうすれば読者の皆さんに喜んでもらえるか、いつも朝な夕なに考えているのです。 ご了承の程、よろしくお願い申し上げます。 しかしながら…、そこはいつもの“妄想魂”、今回もそれほどに簡単に済むものではなく、その軽薄な目的を身にしみて反省した次第です。
ただ、執筆中の小生の心情、今までとは少しだけ異なりまして、思いっきり牧歌的に、ニヤニヤしながら乗りまくったことは事実です。 傍から眺めたら、即病院へ連れていこうと思われたことでしょう。 何か、機械的な変な力が働いているような錯覚をも覚えるのでありました。
皆さんの中で、“これ自分のことか?” と思われた方、それは完全に誤解であり、恐らくは妄想の伝播です。 これは、あくまでも妄想フィクションなのですから…。
時の流れとお神酒に身を任せ、心静かにお付き合い下さること、心からお祈り申し上げます。
続きます。