手術と音楽 序章
『外界が育む、我々の「五感」、
小児心臓外科医には皮膚感覚(触覚)が大切…、そう妄想したのは既に2年以上も前のこと、
それを覆して、「鼻が利く」嗅覚に意趣替えしたのが、そう確か…、昨秋の眉月の宵、
して今現在は…、「それはそう、いや絶対にそう、聴覚しかない」、八方美人の千変万化…、心機一転に手の平をでんぐり返したのでありました。
「何故かって⤴、う~ん…」、「沈黙が流れる手術室って、何だかちょっと寂しい…」、某小児心臓外科医の伝家の宝刀「飽きやすさ魂」…、ふと第六感したのでございます。』
読者の皆さま、おはようございます。
齢とともに、「唇に人差し指を立てる仕草」が少なくなる今日此の頃でございますが、如何お過ごしでしょうか。
まずは番宣に徹します。少し小さめにまとめてみましょう。
本日は8月10日、昨日からまたまた猛暑の再来、「ええ加減にセえよ、怒るでしかし…」てな気分であります。
しかしながら、ふらりと寄ったコンビニの夏休み限定抽選会、目出度く三等賞の「生茶ほうじ煎茶」が当たりまして、モグロ福ロードを歩く小生は、背後から照りつけるお天道様ほどではないにしろ、すこぶる晴れやかな気分なのでありました(当ブログ 「影」 参照)。
でもでも本日10時には…、第4回目のワクチン接種が待ち構えているのでございます。病院に抽選会はありませんが、注射の上手い看護師に当たることを祈りつつ…、生茶にて本日すべての運を使い果たした外科医は、ブルーな気分を引きずりながら裏玄関をくぐったのでありました。
さて、今回もお約束に魔が差してしまいそうですが、当ブログは第2形態へと突入いたします。
お題は『手術と音楽』、これまた無事には終わりそうもない代物にて「お邪魔さん」させて頂きます。
「好奇心旺盛な読者の皆さまにはさだめし難儀なことでしょう」、そう囁く内なる声はことごとくスルーして、
『ゆっくり語ればドキドキの歌謡ロングストーリー(別称 妄想歌謡ファンタジア)』、始めることにいたしましょう。
あ~そうそう、そう言えば…、BSにて再放送された中森明菜ライブ(1989年4月よみうりランドEAST)、やはり最高でした。
続きます。
- 手術室の要は手術以外に無く、その定め事に沿って生きる場所、
- 皆で同じ場所にいて、皆で考えて、皆で治して、外科学という学問が嫌いにならないように皆で過ごす場所、
- ということは、嫌な人間がいれば、少々嫌いになっても許される場所、
- 従って、あくまでも一時期ですが、反面教師という人種をとっても大事にする場所、
- そして、矛盾や理不尽さを前もって覗き見し、それが如何に手術の発展に繋がっていくのかを顧みる場所、
- 加えて、それらに耐え切れるだけの自分を見極める場所、
- 更に加えて、ベテラン看護師の鋭き視線を直に受けて奇しくも(苦しくも)生い育つ場所、
- できますれば、日々の進化というものを、少しでも肌で感じられる場所、
- 将来降り注ぐかもしれない災難を、繰り返さないように、あらかじめ知識を蓄える場所、
- 物言わぬ麻酔中の赤ん坊に寄り添い、ホンマモンの緩和について教えてもらう場所、
- 加えて、この手術を裏で支えている人たちのためにも全力で走る場所、
- 当然のことながら、広報とワイドショーの区別ができる場所、
- 「既に外科医の基準は満たした、その後の夢はなんぞや? 」、そんな命題をひたすら沈思熟考する場所。
掻い摘みますと、
どこでも機能できる社会人といいますか、ただの医師国家試験合格者から外科医たるべき資格の確保を優先に、まずは遮二無二観察、そして思案しまくる…、それは夢を与え、そして叶えるための場所であるのです。もちろん若手が考えることに全くの責任はありませんし、決して邪魔もいたしません。
一方、上司にとっての手術室とは、
若手の時にしか味わえない愉しさを記憶の底から掘り起こし、如何に手術室を自由な空間とするか、そして、手術室で過ごす若手の時間を如何に長くかつ頻回に提供できるかどうか…、ただそれだけです。
いやはや皆さま、最初から長々と申し訳ございません。執刀医は手術中、全てを見ることで全てを統べているのですが、実は全くの逆でありまして、全てからじっくりと観察されているのです。それはつまり、結構それなりに寂しく孤独だってこと…、ですから「手術室には、執刀医だから許される、執刀医だけへの贈り物があってもエエんちゃうンかい」、すみません、これが言いたかっただけなのです。