Doctor Blog

コラム

夏が来れば思い出す 最終稿

『ちょっと待て…、ここはやはり、あの酔白堂か?
神さまに「お神酒と調べ」は付きものでございますが、それは小児心臓外科医も同じこと、白楽天が再降臨しそうな雰囲気なのであります。
長年にわたり、信じるものがこの縄文の地を支えてきたのであれば、それは既にゆるぎない信仰でありましょうし、それは既にして尊き文化でもありましょう。』

さて読者の皆さま、大変お待たせいたしました。妄想旅手帳の最終稿であります。

あの当時…、
「津軽唯一の知人」であった知人の車で弘前へ生還した小生は、
「この津軽で二番目の知人」となった大将が営む唯一馴染みの寿司屋にて、
晩餐ならぬ「別れの昼餐の儀」に参加しているのであります。そうそれは土曜日の真っ昼間のことでございました。
今店内には、津軽三味線の響きが目一杯腹一杯に満たっております。
奏者は、今では「この津軽で三番目の知人」となり今現在は年齢不相応のサイケなTシャツを着ている知人の後輩でありまして、この縄文の里ではかなりの腕前と評判の女子大学生です。

いやはやなんとなんと、胸の中で相槌すら打たせないほどの見事なバチさばきに、思わず身体が響々とグルーブしてしまいます。そうそれはまさに店内敬語禁止のロックテイストビート…。
非常に速いリズムながらも、印象としては何故かゆったり…、これは実に不思議です。
「音色with撥打ち」が三半規管から脊髄へ、そして「撥打ちwith音色」は皮膚から脊髄へと、意外にも優しく浸透し、そして合体していくのでありました。
あたかも頭上を神々が通り過ぎるかのようなその「調子」に、一目ぼれならず「一耳惚れ」した小生…、マイ左手に在る並々一杯の別盃はユラリユラリ、胸の奥の凝りがゆっくりとほぐれていきます。
この感じはああそう、小生の生誕地、宮崎の夜神楽によく似ています。そして、手元にて消失するお神酒の量/時間も、これまた不思議と同じなのでございました。

さてさて、同じと言えば、あの無言のウインクと咳払いだけで会話していたヤツらは、
相変わらずの諦めきれない表情を呈して、カウンター越しに見事なまでの間を取り合っております。
がしかし…、
もう少しボリュームを絞って欲しいと願ったあの「ヒシヒシ身構え感」、そして「口三味線風に三味線を弾く怪しさ」は、実に見事に消え去っておりまして、
アンパンと牛乳パックを常食とする老刑事たちの住処は今や既に、豊猟と豊漁を祝い、そして山海の神々に感謝の祈りを捧げる、呪術宗教的儀礼の大宴場へと変容しているのです。
そして、…懲りもせずに飽きもせず、不覚ながらにまたしても…、
もてなしの「当たり前感」と、縄文族の「社交の秘儀」を再び垣間見てしもうた小生、心の底から又ぞろ、恐れ入った次第でございました。
こういった演出は東京ではとてもとても無理、少しだけ…、いや正直だいぶ羨ましかったのであります。

なんだか今日のヤツらは、憑き物が取れたようにとってもいい人に見えます。
そんな妄想が生まれそうになり、三番目の知人にハグされそうになった頃合いのその時に、そんな思いを完全に打ち消すような、出立の「じょんがら節」が鳴り響いたのであります。
心臓外科医らしく暇乞いのご挨拶をする小生、もちろん皆の感涙を誘いまくりまして、
そしてこれまた、あの当時に津軽唯一の知人であった知人の車にて、青森空港へと向かったのでございました。(この知人、このために御神酒を控えていてくれましたが、その分タチ悪く、空港到着までの小一時間、変わらぬ疑念の言葉を呪いのごとく発しておりました)

・もてなしの心に関して、
もてなされる側よりも、もてなす側の気持ちが少しだけ大きいから、そして、もてなす側よりも、もてなされる側の気持ちが少しだけ大きいから、より高尚な価値をお互いに感じることができるのです。そしてそれは、思い出がギュッと詰まった伝説になるのでありましょう。
・祈りに関して、
「祈りの効果は絶対に存在すると、あなたは何故にそう思えるのです?」、もしそう質問されたら、「それは、祈る側にもそれ相応の心の安らぎが生まれるから…」と、当たり前にお答えしたいと思います。
・緩和に関して、
我々手術人は一人ひとりが緩和の専門家足るべき…、でもそんな真剣な緩和の中に少しでも、
「緩和される側よりも緩和する方が、何故かちょっとだけ多くの緩和を頂いたと感じてしまう」、そんな「意外な愛」ともいえる緩和がもし存在するとすれば、僭越ですがそれはとっても嬉しいこと…、緩和とは一方向でなく人と人の心の会話、そんな「おしゃれ」とも言えるセンスを大事にしていかなくてはなりません。

さてさて読者の皆さま、この「ごあいさつ放浪記(妄想旅手帳)」ですが、
執筆開始当初には、「多くは語りません」と騙っていた小生…、
でも「愛も変わらず」長々と…、
いつもの懲りずのお付き合い、誠に有り難うございました。
旅ブログに相応しい写真を尽く廃した旅ブログとなりましたが、いま思えばすべてが神々のお導き…、
選ばれし約数人の方々には、何かしらの有り難きご利益をお届けできたのではないかと、相変わらずの幻想を抱いております。

旅というものは、「多少人情ほとんど面倒」の御神酒旅であったとしても、人生を豊かにする出会いがあるからこそ、心もまた緩和されていくのでしょう。
そうですね、それは確かにそうでした。
この最終稿を仕上げている、病院の南西3階に陣取る小生の3畳部屋には何故か不思議と、「雨上がりの空」を仰いだサッパリ感、そして「雨上がりの夜空に」をフルコーラス歌った直後の虚脱感が漂っているのです。
加えて僭越ながら時を同じく、このブログは「過去の自分に早めに読ませたかった」と、そう不遜にも思う小生がいるのです。
そして…、
妄想的に感じた「青森と宮崎がカチッと音を立てて繋がった」というあの時の情動は、「今後も夏が来る度毎に心の底から這い出してくるのだろうな」と、その恐ろしくも楽しみな運命に、少しだけ心が踊っているのでございます。

「常連さんの方も久しぶりの方も、そして初めての方も大事にする」、そんな津軽の皆々さま方、その節は大変お世話になりました。心から感謝申し上げるとともに、文中の大変不適切な…、でも事実をありのままに映し出した発言の数々、どうかご容赦、平にお許し下さいませ。

さてお開きに、今回の旅の最大の目的である御神酒の謎…、ついに判明しました。それは、「全ての生きとし生けるものが幸せになれる米ジュース」
それではさてもさても、
小児心臓外科医と書いてしあわせ者と呼ぶ」、そんな時代が来ることを祈りつつ…、
そいだば兄弟、へば…、まだ会うべな」。

緩和とは、好きなミュージシャンのコンサート帰りのようなもの、それは気持ちが満たされているということ、後は飯食って風呂入って寝るだけという開放感です。
さて読者の皆さま、次回のブログですが、
別れの津軽三味線の撥リズムに誘われて、『ゆっくり語ればドキドキの歌謡ロングストーリー』にしようかと、一人秘かに思っております。
今まで聴いた、そして歌った楽曲には、未だに眼に浮かぶその時々の映像が付随しています…。
そんな思いを語るロック好きの親父が面倒臭いのは重々承知なれども、音楽の無い手術室で暮らす手術人のために、心の臓が16ビートを打つような元ヴォーカル&リードギターの真骨頂を、今では切り捨てられる運命にある「根性と気合」という言葉とともに、「音への飽くなき欲深さ」を醸すミック・ジャガー風妄想歌謡ファンタジー、意識的に演じさせて頂きやしょう。
「完全無輸血のロックンローラー」とは、「ICUの夜の帝王」とともに、1997年その当時のオイラのニックネームなのさ。(榊原記念病院 低侵襲手術書、7000人の子の命を救った心臓外科医が教える仕事の流儀 参照)