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コラム

夏が来れば思い出す その八の四

『緩和の効果というものが、何かしら与えることから生まれるもの、そして貰うことから生まれるものであるならば、与える側には与えるための資格が要りますし、そして貰う側には貰うための資格が要ることになるのでしょう。
赤ん坊が亡くなった時、医療従事者の心の中に、心ならずも「納得」という思いが生まれたのであれば、少なくともそこには、親御さんのかなり無理した気遣いがあると認識すべきです。』

さて読者の皆さま、少し話が飛びます。
ある著名な外科医が小生の手術を評して、このように話してくれました。
これは自分でも以前から気づいていたことでありますが、例えば同じ形態の「心室中隔欠損」であっても、以前の手術時の苦労といいますか、その反省ともいえる記憶に沿って手術を行うことはせずに、あたかも眼の前にある心室中隔欠損を初めて見たかのように手を進めていく、「お前の手術には学習能力やラーニングカーブというものが無い」と、
また、親御さんとの会話も全く同様で、「お前には色んな経験があるはずなのに、そういった話術というか、年の功というか、古い医者と坊主というか、そういった経験を全く利用しようとしない、傍から見ているといらいらする」と。

要は、経験を糧にできないアホな外科医ということなのですが…、ただ言い訳をすれば、
少なくとも、手術に関しては経験上、その度ごとに新鮮な眼で望むべきでして、あまりにもずる賢い経験は持ち込まない方がベターかと思うのです。
また、言葉を用いた緩和に関しては、「例え、緩和に関する知識や経験を十分に持つことができたとしても、すべてに均しい効果が得られるとは限らない」、このことは当たり前ながら、「緩和の難しさ」かと考えます。
つまり、「思い込み」や個々人が持つ「それぞれの常識」というものは、あまり持ち出さない方がいいのではないか、
特に「言葉を用いた緩和」では、下手な経験だけで話さない方がよろしいかと…、
小児心臓外科医としての我々の言葉、その影響力は結構大きいものです。ですから画一的な発言だけは「ご遠慮したい…」、と考える次第です。

人間の知性というものは、「疑問にどう答えるか」というよりも、「疑問そのものをどう案じるか」によって、価値が決まるのかもしれません。そうでないと、心の和合ともいえる緩和の解決にはならない気がするのです。
察して、案じて、何かを感じ、工夫して、相手を想う、「お腹空いてませんか? 大丈夫ですか? まあともかく飯でも食いましょうや」、てな感じです。
これはまさしく、かの寿司屋での、「察し&案ずる感」、「愛ある鑑識眼」、「縄文風のお出迎え感」でもありましょうや。

ただ、「言葉を用いる緩和」のための材料はたくさん持つべきです。
科学的手法はもちろんのこと、祈り、魂、神さま、仏さま、リインカネーション、スピリティズムなどなど、何でも宜しいのですが、それらを「緩和のための資源」として知識を蓄えておくこと、大事と考えます。

『神や仏、魂や愛、ご縁というものは、全て目には見えません。
でもそれらを思考したということは、少なくともその刹那には心の中に存在したということ…、
ということは即ち、それらはもともと最初から存在しているという結論にもなろうかと…、
もちろん思考した人間は間違いなくそこに存在するのです。
でも確かなことが一つだけ、手術前の母親の愛だけは手に取るように見える気がいたします。』
緩和では、他者の心の中に発したものが、自分には全くもって信じ難いものであっても、「大切な賜物」としてリスペクトする…、ほんの少しで結構ですから、一緒に信じてあげるという心持ちがとても大事だと思います。
もちろん我々にできることは、ただ一緒に平穏を祈ることだけかもしれません。
でも…、できますれば、
お節介と思われたとしても、
「貴方が愉しいと思えることを何とか一つだけでも…」、
「少しだけでも、貴方が生きていくことを手助けできればいいなと…」、
これまたそんな風に夢想してしまうのです。

さて思いますに…、そのためにはまず、
病院には、緩和のための材料をすべて享受してもいいという自由な環境が不可欠になります。そして、我々の心の中にも、「何でも、OK」という感性はもちろんですが、
病院の持つ環境が緩和を作るために「クールである」かどうか、そしてその病院に「似合っている」かどうか、そういった是非の感性もまた必要と考えます。
それらは、自然な時の流れとともに、皆の心に蒔かれた「心馳せの種子」を常習的かつ雅やかに発芽させていくのではないだろうかと…、そして恐らくユルリとですが、伝統と言えるものになっていくのではないかと…、これまた夢想してしまうのであります。
このような考えは、「緩和医療というもの、一つの学問として専門家足る一基準を作るのではなく、医療従事者各々がそれぞれに専門家足るべき」と信じる外科医故の、単なる妄想なのでしょうが…、
…でもまあしかし、あまり難しく考えても詮方無きこと…、
現実的にはただただ単に、「自分が他者からして貰いたいことを他者にもしてあげるだけ」のことです。

榊原記念病院には、新たな医療を作る者と、そして先人がつちかってきた医療を守る者、その双方を育てる使命があります。きちんとやっていれば、ひょんなことから忘れ去られたものが見つかることもありますし、巡りめぐって新しきものが生まれることもあるのです。ですから、新たな使命だからと言って、少なくとも「緩和的に」味気ない病院とする罪だけは犯してはいけません。
榊原記念病院の外科医は気が弱いのでしょうね、実を言いますと、「榊原目線で見られる」ことをいつもいつも気にしていますし、そして、常に「榊原目線で考える」、これもまたいつもいつも気にかけているのです。
時代が変わっても「かっこいい」ものはカッコいい。当たり前のことが当たり前でなくならないようにと、祈るばかりです。変わるということは、自分の何か大切なものを失くすということ、もうそろそろ気づかなければなりません。

さて読者の皆さま、大変お疲れ様でした。
『緩和とは何ぞや?』、
なるべく短いセンテンスで論じたかったのですが、どうにもこうにもピタリとくる言葉が思い浮かばずダラダラと…、外科医にはどうもこうにも、これにしろあれにしろ、難しく定義&分類しようとする悪い癖があるようです。

さてさて次回はお待ちかね、ごあいさつ放浪記(妄想旅手帳)の最終稿です。大変お待たせいたしました。かの縄文神々の寿司屋での、涙腺崩壊必至のエンディングストーリー、乞うご期待ください。

続きます。

この5つの止まり木、縄文の前世でも変わらず同じであったのでしょうか?
分かりやすくボケまくるヤツらの「気さくさ」というものは、「信州長野鉄道の特急券が全区間たった100円」という位に、確かにとんでもなく分かりやすかったのでありました。男が分かりやすく化粧っけが無いということは決して悪いことではありません。もちろん、「分からんにもほどがある」という位に分からんことも、決して嫌いではございません…。
ある時代における一つの様式の中には、それに応じた自然かつ自由な傾向が表れるもの、そしてその面白さは恐らく、数世代前の先祖の時代から既に準備されているもの…、この5つの止まり木に関する来世での物語もまた、同じことを繰り返すことになるのでしょう。それは毎年、桜の開花がいつもより早かったことを懲りずに感謝する気分に、何だか少しだけ似ていると思うのです…。
小児循環器医療に属する者には、理想を求めば求めるほど、「そこから逃げ出したい」と心が訴える時期が必ずや来ます。それは経験上、過不及無く何度も何度も…、自分の仕事における責任や宿命が分かるまで、降り注ぎ続けるのです。ですから、できますれば、自分の定め事を考え直す環境を…、同じことを繰り返すのであろう若手たちのために残しておくのです。