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コラム

手術と音楽 第二章 メモリー

『外科医の中には、今現在の性格と、普段は隠している「子どもの頃に憧れたスター外科医の性格」が含まれています。前者は、あくまでも科学的観点から手術を考察するもの、そして後者は、あくまでもカッコ良さを基準に手術を見つめるもの、ですからたまに、それこそたまにですが、テレビや漫画の主人公へと身も心も変身するのであります。そんな時は、どうか暫くの間ほっといて下さい。』

読者の皆さま、おはようございます。
最近、「昭和の男はしょうがねえな」と、頻回に様子見される今日此の頃でございますが、お元気にお過ごしでいらっしゃいますでしょうか?

先にご紹介させて頂いた新春特別講演会「私の仕事術」、そして、つい近日オンエアした「外科医が教える仕事の流儀」、その内容の是と非はいざ知らず…、
『優しい語り口がとても心に響く』、
『そっと語りかける声が心地良い』、
『声も魅力の一つなんだ』、
『琴線ボイスのナイスガイ』などと…、そんな黄色い歓声をひたすら一身に浴びているのでございます。
そんな風の感想アンケートにドヤ顔の小生、
カレコレの昔に噂となった『必殺のウイスパーボイス』、「そこからは随分と出世したもんだ」と、一人悦に入ったのでありました。(朝日新聞「be」フロントランナー Sept.28 2019参照)

さてところで、先週のブログの最後に、意図的にコソッと小さな文字で書かせて頂いた「若手にとっての手術室」でございますが…、
「ベテラン看護師の鋭き視線を直に受けて奇しくも(苦しくも)生い育つ場所」、
このセンテンスに過剰の反応をされました、あの当時ベテランだった約数名の読者の皆さまからの…、まさに舌鋒鋭きお言葉の数々(with異議orイチャモンand密告)…、
おかげさまで迷惑ながらも、思い出したくもない幾多の思い出を思い出させて頂きました。誠に有難うございます。
確かにあの当時、ベテランの方々の「小言やお咎めを心地よく無視した」という、実に爽快な思い出は数え切れず…、でももはや既に、それらの「若気の至りの引き出物」というスーベニアは、オトナの腹の底、いや心の奥底に厳重に封印しております。従いまして、セン無き無分別な再発掘は是々非々に、ご容赦をお願い申し上げる次第です。

この、「ほぼフザけながらの時々真面目」と称された「オトナのブログ」、決して心からフザケている訳ではないのです。でもまあそれにしても約数名の皆さま方の、「消してしまいたい」と欲望するほどの驚くべきご記憶力の良さには…、腹の底から感服した次第です。
がしかしながらお蔭をもちまして、心ならずも又しても、あの当時の色とりどりの手術情景が…、少々くすんだ総天然色ではありますが、懐かしきメロディーとともに蘇ってきたのでありました。
ウーン、そうですね、確かに…、それを風情とみるのか、ただの風景とみるのか、悩ましいところでございます。
さてさて次回からは、万感胸に迫る慈愛のメモリー、『手術と音楽』の核心へと突入していきましょう。

続きます。

 

手術と音楽 第二章 メモリー

「俺の夢、たった今叶えている」
「まあそうともいえるか縁尋機妙」
「既に整い火風鼎」
「手術の神さま、貴方の館にある扉のネジを少しだけ緩めて下さい」
「代替えに、自分の心のネジはしっかりと締め直します」
「明後日の方向へ飛んでいってしまった意識を、邪魔せずに補助して頂戴」
「今こそ俺の笑いで場を作る」
「手術の筋肉を落とさない」
「片目を瞑る勇気を持つ」
「まずは恰好から入ろうか」
「何だか周回遅れで負けていそうな気がする」
「地味に気にする自分が好き」
「今日も小言とお咎めは完全に無視」、etc. …

手術室に流れる音楽とともに、上記のような都合良すぎる妄想たちが次々に沸き起こってまいります。音楽というものは大層魅力的なワードを産み出すものなのです。それらは、「少しだけ自信がついて、もっともっと手術が好きになりました」との想いと同様に、まだまだ「外科医こども」の外科医には必要なもの…、従いまして手術室で働く皆さまは、この外科医の妄想ワードに対して、できますれば抗うこと無き心からのご配慮をお願い申し上げます。大変面倒臭くも、「手術」と「音楽」は、そういう瞑想(迷走)を繰り返しながら「交差」していきます…、そして進化するのでございます。
手術室には、その時々に頂いた多くのご恩があります、もちろんその一つは音楽です。榊原記念病院に来る「心臓大好き人間」には、もっと心臓が好きになって欲しい…。そのためには「音楽を利用する」という手っ取り早い戦略もあるということ、それが榊原手術室の固有文化であること、知って頂ければ幸いです。