手術と音楽 第三章 順番
『外科医というものは、歌が上手いとか、リズム感がいいとか、音感に優れているとか、そんなものには一切関係なく、何故か手術中にだけ、音楽を通じて何か特別なギフトがその人間性に入り込むという、音楽の神さまに魅入られた特殊な人種なのかもしれません。』
読者の皆さま、おはようございます。
このブログ、「何だかイラっとする」、そんな激励をいただく今日此の頃でございますが、お変わりございませんでしょうか。ようこそ「いらいらザわーるど」へ…、懲りずにまたおいで下さいましたね。心より感謝申し上げます。
さて、まずは手術室での「音楽の是非」からお話しを進めていきましょう。これは既に述べられていることでありますが、
「命に関わる仕事なのに、真面目にやりなさいよ」、
「患者に失礼でしょう」、
「手術への集中力が薄れるんじゃないの?」、
「病院の安全管理から苦情は起きないのかしら」…etc. これらのご意見、当然ごもっともであります。
がしかし…、歴史的にみますと、手術室で音楽をかけるようになったのは、なんと100年も前のこと、手術を受ける患者さんの気持ちを落ち着かせるために音楽家による生演奏をしていたらしいのです。
今でも実際に、局所麻酔の手術で患者さんの意識がある場合には、緊張や不安を和らげるために患者さんのリクエスト曲を流すこともあります。音楽は手術のための大事なツールなのです。
しかし、この慣習はやがて、手術の複雑化や進歩に伴い、手術室スタッフのための音楽へと変化していきます。
そしていまや世界の手術室では、驚くに値せず、外科医の90%が手術中に音楽を流しています。つまり、手術室のスタッフにとっては極々当たり前のこと…、流す音楽の種類は、ロック、ポップス、クラシック、ジャズ、R&Bと、さまざまなようです。
手術中の音楽について…、
手術する側の「是」の意見としては、
「執刀医の集中力を高める」、「手術室スタッフ全員の緊張がほぐれる」、ひいては、「縫合の速度や手技そのものの質、そしてチーム全体の作業効率の向上など、手術パフォーマンスの向上に繋がる」という、多くの研究結果が報告されています。このことから、「手術中の音楽は必須である」と考える外科医はけっこう多いのです。
でも、「本当かいな」との疑問、もちろん起きますよね。音楽には個々の好みがありますし、静寂を愛する外科医もいるでしょう、ましてや、科学的に証明されたと言われても、それはドウだかな?…って疑ってしまいます。
一方、「非」の意見としては、
選曲や音量の大きさによっては、スタッフ間のやりとりや応答など、コミュニケーションの障害に繋がるとの報告もあるようです。
でもまあこれは「言わずもがな」のことでして、それはむしろ、個々人の好みやチームスタッフ間の信頼関係の良否に起因することでもありますので、これ以上、つっこみようがありません。
さて、今のところを取り合えずまとめてみますと、
自分の手術パフォーマンスの向上という理由で音楽を流す外科医が多いこと、これは事実であります。
しかし、その事実の要因を科学的に証明すること、これは全くの不可能でございまして、誰にもできないと思うのです。でもそれでも、某小児心臓外科医が敢えて「これはもしかして…」と妄想しますに…、
手術中に流れる音楽には、「是」の効果として、手術の中の「何らかの空白」を埋める「何か」があり、そして、その「何か」から「産める何らか」があるのでしょう。多分にそれは何かしら間違いない「是の何か」でありましょうや…、まあこんなところでしょうか。
すみません、結局よく分からんのです。
音楽の効果はただ単に、
一人ホクホクの自己満足の範疇とも思えますし…、
でも一方で、何らかのパワーに魅入られているとも思えてしまいますし…、
もしかしたら、既成事実として伝説になっている可能性もありますし…?
しかしながら、そんな思いとは裏腹に、外科医と音楽の関係について絶対確実にいえる真実とは何か…、それは、
現在息づく外科医の中で、歌が上手いとか、リズム感がいいとか、音感に優れているとか、そのような音楽に魅入られている希少種の外科医は、恐らく「一億分の一未満の確率でしか存在しない」、このことだけは何やかんや申しましても救いようのない事実なのでありましょう。
ということは、音楽の神さまは、そういった稀有な外科医だけに音楽の効果を与えるのではないということ、これもまた間違いない事実と思うのであります。
さてさて、今回のブログは、小生の経験とお得意の妄想をフル回転させまして、「手術室の音楽」を考察しようという多分に思いつきの場当たり的構想でございます。本格的に音楽の効果を研究されている方々には大変失礼を申すことになるやもしれません。しかしここは一つ、いつもの妄想でかなり盛ってみたいと思います。どうか悪しからず、ご容赦のほどを…お願いいたします。
「完全無輸血のロックンローラー」、その嘘っぽい哲学を少しだけお持ち込みさせて頂いて、いつも通りの「空想お伽話」、進めさせて頂ければ幸甚です。
続きます。
執刀医は、手術中の音楽に対して、集中力を高めるため、緊張を取るため、何故かそんな理由付けをしてしまいます。
しかし考えてみますと、緊張する時はどうあがいても緊張しますし、緊張しない時は何があっても緊張しません。もちろん、ホンマモンで緊張を抑えることのできる音楽があるのであれば、それは全ての外科医が望むもの…、でもしかし、緊張する時はむしろ精一杯に緊張した方がいいような気もするのです。
大体において、外科医の「音楽の好み」ほど、不可解なものはありません。
自分だけ集中力を高めている、もしくは自分だけ緊張がほぐれている、そんな外科医というものを傍から見ると、例えそれを想像しただけでも、かなり浮いた怪しい生き物…、むしろ滑稽と表現できそうです。
少なくとも外科医に必須なもの、それは何かと問われれば、
取り敢えず音楽の効能ウンヌンは横に置いといて…、
緊張しない訓練がまず先決でしょう(それは経験ともいいます)、それから手術を始めるべきであります。音楽をかけないと緊張するのであれば、それは果たして如何なものかと思ってしまいます。
音楽の効能の理由を「何やかんや」言うから胡散臭さが出てくる訳でして、手術室の音楽は、手術中に当たり前に流れているから、そして少なくとも皆が不愉快に思わないから、さらに最低限の効果として何かしらの空白の溝を埋めてくれるような「気がする」から、その存在意義があるのです。
いつぞやどこかで、「この手術をやってもいいよ」と認められることが若手外科医にとっては最も大事な資格取り、というお話をさせて頂きました。同じく、「この音楽をかけてもいいよ」と認められることも、それ以上に手術人としての大事な資格取りなのでありまして、そこで初めて、手術室での音楽の効能が解明されるきっかけになるのです。
酒を飲みつつ詩作にふける酔白堂、当時そこには二胡の調べくらいは流れていたはず…、でもそれは一体どういう経緯で始まったのかを考えてみることも、取り合えず必要と思うのです。少なくとも手術室の音楽においては、その経緯という「順番」を間違えてはいけません。