Doctor Blog

コラム

オノマトペ そのあとに

オノマトペも無事に(?…いや無理くり)終わってしまいました。

それにしても、お神酒のお力のせいでしょうか、最終稿のオンエアが終了しますと、何故か…、
無意識に腕立て伏せをやらかしてしまう程に、不必要なまでに愛犬の毛づくろいをしてしまう程に、心の底から世界の安寧を願いたいと思う程に、実に平和な時間が流れるのです。

がしかし、
蓮の葉の上をたゆたゆと漂うがごとく、頭のてっぺんに温泉マークが棚引くが如く、精励という言葉とはすべからくかけ離れた半意識的浮遊感のもと、
何故か、明日の手術手技の手順を踏んでいる僕の左手…、
どのような環境であっても、すべての世界を小児心臓外科的に眺める癖があるようでして、小児心臓外科医という輩たちは、まあビックリ、なんて仕事熱心なのでしょう。
いえいえそれは違います、全ての趣味に挫折しまして、お勤めたるものが小児心臓外科しか残っていなかった成れの果てということなのでしょう。

「始め無ければ終わりなし、終わり来たりなば始めるべし」、という諺があるかどうかは定かではございませぬが、ブログが終わればブログを書かねばなりません。
早くお見せしたいという欲求とともに、早く出せばまたまた締め切りに追われるという焦燥、やはり根が真面目なのでしょうか、心臓外科医独自のええかっこしいとメランコリーが相混じり合います。

そういえば、(オノマトペ その三)で申しましたよね。
『手術室において、働く皆が“ググット向上”を感じるには、まずは技能の進歩をお互いに認めることができるかどうか、このこと最低条件です。ですがそれに加えて、手術を受ける子どもはもちろん、手術に参加する全ての皆がすべからく低侵襲であったと感じ取れること、つまり極めてスムーズな時の流れが是非に必要なのです。
ですから、タイミング、スピード、リズムといった“時間軸のオノマトペ”、取り敢えず自分にあったものを、頭のてっぺんに掲げて手術に参加してみましょうか。求めるべくはあくまでも第一に、「個々人の手際の良さの進化」なのです。』
でも「言うこと為すこと完全乖離人間」の心臓外科医、なかなか実践できないのが世の常というもの…。

「時間がかかること、ブログが書けること」を得意げに考えてみますと、
速さにはまず書けるという自信が必要です。でも自信が有りすぎますと、よりウケる文脈を求めたり、うっかり八兵衛の構成ミスをしたり、時間がかかることもママありまして、
また、丁寧といいますか老婆心といいますか、より慎重という行動も凡庸文を並べるだけ、かえって時間が掛かってしまいます。
このこと、心臓外科医の、「時間がかかること、手術ができること」も同様でして、まあ結局…、
誰もが普通に上手くやれることであれば、誰よりも早くやれることでしか評価されないということなのです。
ですから一般社会では、組織の中で一番できる人に合わせて物事を考えるという考え方も炎上しながら飛び出してくる訳でして、
上から目線の、「ふとした最上段棚上げ的思いつき計画」ほど、はた迷惑なことはないのです。

話が飛びまくってしまいましたが、
ブログ書きの小児心臓外科医には、手術だけでなく、ブログに合った絶対秘儀の「時間軸プライベートオノマトペ」、是非必要なのでしょう。
さてさて読者の皆さま、次なるブログテーマは未だ決まっておりませんが、
写真に示す絶賛放映中のWeb講演、そのテーマは、「私の仕事術」、
“ハニカム”のように整然と、正六角形に“はにかむ”お約束表情がシュールだと、もっぱら評判です。
お目汚しでございますが、オノマトペのそのあとに是非ご覧のほどよろしくお願い申し上げます。