オノマトペ その六
今回のオノマトペ物語、あいも変わらずの長広舌で失礼をしております。でもこれで晴れてお開き最終稿、ジワジワと始めることにいたしやしょう。
今月の小生の手術オノマトペ、それは“タタタタッタタン”です。ほぼ毎日、口ほど以上に物を言うような流し目で呟いておりました。(皆さま、お分かりですね、一人でいる時だけ、“シゴトキッチリ”と発音しています)
それに対して、例の奴のメインオノマトペは未だ懲りずにあの「にゃー」、相変わらず芸がございません。
でもそれでもしかし、誠に残念なことながら、小生の「タタタタッタタン」にはオリジナリティというものが無いと比較揶揄されているのです。
(確かに相手は“にゃー”、まあそれはしょうがないかなと納得しております)
加えて手術室では、摩訶不思議に奴の話題性(嘲笑性)がウザいほど高い、つまり妙にウケるのです。
(確かに相手は“にゃー”、でもそれはおかしいぞと思いながらも悔しいのです)
このように、徐々にではありますが…「にゃー」に毒されていく小生、でもその神秘性だけは認めざるを得ません。今ではそんな「にゃー」を聴きますと、一瞬だけでも心が落ち着くという自分がとても怖くて、じゃあそろそろ故郷の柴又へ帰ろうかなんて、そんな幻覚を覚えるのは小生だけにして欲しいと思う今日この頃なのです。
(オノマトペというもの、こうやって徐々に定着していくにかもしれません。最近の奴のことですが、それこそ恋愛中のどら猫みたいに、「にゃー」の音程を2オクターブほど変化させるという荒業を修得しているらしいです)
手術オノマトペには、“カケコもコケコッコーもクックアドゥールドゥ”も、同じように心を許す感性が必要であります。ですから今後もしも、「にゃー」が、何かしらの大事なものを構築したという思い出のオノマトペとなるのであれば、つまり記録よりも記憶に残るオノマトペと成長するのであれば、それこそ伝説へと昇華していくことでしょう。
「外科医の成長ってぇものは、直ぐに目的地に着いたんじゃあ味気ねえぜ。クラクラするくらいの緊張とか愉しみとか、人の迷惑顧みないほどのワクワクドキドキルンルンルンの過程がホントに興味深いものなんだ。」京都へ北上した例の別の奴は、ラインでそう申しておりました。
さてそろそろ、最終聖火ランナーの登場です。本ブログのお開きとして、3つほどご容赦いただきたきことがございます。
① 今では少なくなりましたが、古き外科医ほど思い出と人情を大事にする人種もございません。おせっかいな手術オノマトペを内緒で仕掛けておくこと、おせっかいな本棚を含めまして、恐れ入谷の鬼子母神でどうかご容赦のほどをお願いします。
② 榊原記念病院にて小児心臓手術を見学される皆さま、手術中の意味不明な言動、かなりの確率で不穏なものをお感じになるかもしれません。言うまでもなく、独特な言い回しで物議を醸す性格から生まれたものですから否定はしませんが、長い過程を経て進化していった言霊的オノマトペでもあるのです。子どもたちへの熱き思いであることは間違いなく、どうかそれに見合うだけの暖かい目でご容赦をお願い致します。
③ ブログは受け狙いの場ではありません。従って、人と同じ発言ができるかどうか、そして如何に没個性的に振る舞えるかが大事な表現方法と考えます。皆さんがもし、本ブログにそうお感じになったのであれば、医師としての小生の仕事は取り敢えず立派に果たされた事になります。
一方それとは逆に、人と同じ発言をせず、あくまでも個性的に振る舞うことに対して、もしも同じご感想を頂くことになったとすれば、それはそれでブロガーとしての小生の仕事も立派に果たした事にもなるのでしょう。ですから、“ドゲンもコゲンもして”競って笑いを取ろうとする物議ブロガー外科医、これもまたまたご容赦お願い申し上げる次第でございます。
ライフワークの中でも非常にメモリーなオノマトペ、そして新たに湧き出るオノマトペ、有り難いのか迷惑なのかマッコト不明ではございますが、これもまた、“いわゆるひとつの夢のドリーム的な財産”なのでしょう。
さて、大坂なおみ選手も見れましたし、もうそろそろおやすみなさいしましょうか。
明日は連休さなか、酷暑であります。来月用の手術オノマトペを“ちゅんにゃー”と考えながら、ここはユルリと過ごすことにいたしましょう。
皆さま、今回も懲りないお付き合い、誠に有難うございました。
※宮崎ブーゲンビリア空港にある、天孫降臨フィギアです。