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コラム

オノマトペ その三

長嶋監督の野球オノマトペに憧れ、そして魅せられて…、それではドゲンカしようかと、“手術パフォーマンスがググット向上する手術用のオノマトペ”、この一週間ひとりモクモクと考えて参りました。しかしながら、これがどうしてナカナカの難々(ムズムズ)、ワクワクピシャリのオノマトペには未だユラユラ、至ることができないのです。

でもまあしかし、オノマトペを用いずに手術手技を解説することの難しさ、そして伝えることの仰々しさ、改めて痛感した次第です。例えば、ファロー四徴症の傍膜様部流出型心室中隔欠損孔の閉鎖法を、小生の心情を盛り込みながらその大事なコツを教科書的につらつらと重ね連ねてみますと、
『執刀医は軽く腰を落とし、そして軸足の踵を浮かせないように少しだけ左前屈立ちに構え、両脇を締める。約1秒の間、丹田に力を込めて瞑想し、最も神経を使う手技であるという気配を周りに放つ。
右上方70度から欠損孔の最奥部に左斜め視線を送り、体性感覚野と視覚野のニューロン樹状突起に敬意を払いながら軽く腰をひねり、左手の鑷子を左斜め45度から縫合周囲に押し当て視野を確保、右手人差し指へ向かう浅指屈筋に意識を集中しながら持針器をささげ持ち、さらに脇を締めていく。欠損孔に直角となるように奥から手前方向へと針を進める。この際、最も大事なポイントは、第一に手首の回し方。時計方向ではなく縦方向に、長橈側手根伸筋の緊張をやや緩めながら手首を軽くかしげて針を挿入する、そして、針を抜く際には、心筋裂開に注意して針なりとする。第二ポイントは、次の縫合糸の受け取り方。視野に集中するので器械出し看護師の方にはいつもの視線を送れない、従って、意識のみを看護師に向けながら、右手掌部の全触覚神経たちには心して受け取るよう促し、そして耳を欹てて彼らからの声を暫し待つ。そして第三には…、以下云々カンヌン、etc.』 
(皆さま、お疲れ様でした。この解説文、後ほども引用いたしますので、取り敢えず“例の文”と名付けさせて頂きます)
このように、手術前日の上弦の月の夜、文机の前に正座して手技を黙考しておりますと、プライベートではいい加減な外科医でさえも、それぞれの手技遂行には数多くの思考の変遷があるものと改めて感心しつつ、また、日頃隠ぺいしている性格の良さを遺憾なく露呈しながら、まあ結局は粛々と、某外科医が書くブログ並みの混沌さになってしまうのです。
そういえば、あの“低侵襲手術書”の執筆におきましても、大きな命題である時間短縮のコツをどこまで詳述すべきなのか、それこそ外科医っぽく苦労したのでありました。でも結局は、小児心臓外科医にありがちな“物議を醸すオノマトペ”を極力廃し、そしてまた再挿入するといった左回転型の中途半端をやらかしてしまったものですから、“筆者の隠された真面目さが垣間見える教科書”との暖かきご批評とともに、“普遍的に理解不能な類を見ない教科書”というご批判を頂くことになったのです。(良書と信じ、採算が見込めなくても世に送るとの決断が大きな勘違いだったのかもしれません…、でも近々英文化されますのでお楽しみにお待ち頂ければと思います)

さて、小生のその真面目すぎる情熱をより鮮明に伝えるべく、“例の文”にオノマトペを使ってみましょう(読者の皆さんも是非適当にやってみて下さい)。
『執刀医は腰を軽くスッ、そして軸足の踵をピタッ、少しだけ左前屈立ちユラリ、両脇をグッ。約1秒間、丹田ギュッ、シッ、最もピリピリ気配を周りにフウフウ…、サクックニュッ…以下云々カンヌン、etc.』
実を言いますと、手術の“聴視触のイメージ”、小生にはこちらの方がむしろピッタリくるのです。がしかし、そのような主張に対して特に安全管理の方々はあまりいいお顔をしてくれません。取り敢えず両手を上げて首を振る仕草をしながら反論するのですが、でもまあ確かに、あの長嶋監督の「バァッとガーン」と同じ多少のイメージはできるものの、これじゃあ若手の教育には繋がるわけがないと、右手を前方斜め下45度に差出しながら改めて反省してしまうのです。

でも、捨てる神あれば拾う神あり。「例の文”、オノマトペ入りの方がむしろ理解できます」と言う健気な弟子もいるのでした。実に不思議なシンクロとお思いでしょうが、結局は長年にわたり、小生の手術における“聴視触時”のイメージを、迷惑ながらもお互いに共有してきたことがその理由&賜物なのでしょう。
「手術中の事象をとにかく多く経験すれば、それに付随して生まれるオノマトペも当然多くなる」、逆を言えば、「そのオノマトペを聞けば、その瞬間に少なくとも幾つかの手術事象をイメージできる」、いわゆる一つの年の功ってやつでございますが、でも決して難しいことではありません。オノマトペの紐付けのためにどれだけ長く手術室にい続けることができるか、そしてそのオノマトペを用いて、触覚と時間軸を如何に綺麗に磨くことができるか、ただただそれだけのことでございます。(仕事の流儀 参照)

一方、あの「ちゅんちゅん」や「にゃー」のように初めて聞くオノマトペ、例えどんな年の功であっても最初は全くイメージが湧きません。けれどもここでとっても大事なこと、この初めて聞くオノマトペから派生するかもしれない未知の“聴視触のイメージ”により、もしかしたら“手術パフォーマンスが新たにググット向上する” …のかもしれません。 確かに今思い起こせば、過去に小生が経験した「ググットパフォーマンス向上の源」は、確かにこういうところにあったのではないかと、ついついまた追想してしまうのです。
ですから、誰かが発して誰かに届くオノマトペ、例え失笑や揶揄が降ってきやがったとしても、ルーティンなどというカッコいい言葉は取り敢えず横に置いといて、まずは“厚顔無恥を背負い投げ~”って感じで繰り返し使い続けてみては如何でしょう。

さてさてもう少し具体的かつ概念的に妄想いたします。
手術室において、働く皆が“ググット向上”を感じるには、まずは技能の進歩をお互いに認めることができるかどうか、このこと最低条件です。ですがそれに加えて、手術を受ける子どもはもちろん、手術に参加する全ての皆がすべからく低侵襲であったと感じ取れること、つまり極めてスムーズな時の流れが是非に必要なのです。
ですから、タイミング、スピード、リズムといった“時間軸のオノマトペ”(クイックイ キュッキュ クインクイン、いっさん、トットト、ギュッ、ピタッ、サッ、ジット、^^♪、ズンズンドコドコ、スタコラサッサ、ずばばばばーん、ドキュンバキュン…いや違うか?)、取り合えず自分にあったものを、頭のてっぺんに掲げて手術に参加してみましょうか。求めるべくはあくまでも第一に、「個々人の手際の良さの進化」なのです。
(もちろん、もし一定の時間内に一定の生産性が確認できなければ、そのオノマトペに意味はありません。でも捨て去らずに心の深部倉庫に入れておきましょう、復活劇が多いのもオノマトペの道理です。)

加えてもちろん、手術はチーム医療です。情報の共有とか伝達とかつまらんことを言う前に、以前から生き延びているオノマトペ、取り合えず「皆」で受け入れてみましょう。「ちゅんちゅん」でも「にゃー」でもかまいません。使う者の生き方や人格を問うのではなくて、その者に成り変わって「ちゅんにゃー」を実践するのです。手短かに言えばモノマネ、お決まり的に言えば “皆で単なる音のシンクロ”です。「ちゅんにゃー」、たとえ早々に消滅したとしても、その否定からチームが掲げる新たなオノマトペ、必ずや出現してまいりましょう。
「皆」のオノマトペは、たとえ“聴視触時”のどれであっても、広義には単なるコミュニケーションツール、そして狭義には楽にシンクロするための単なる手段、でもこの“単なる”は、“決して単なるでは無い”オノマトペの最も大きな意義でもあるのです。

手術とは…、総じて言えば「個と全(皆)」の物語でもあります。まずはマジナイとも自己暗示とも言えるプレパレーション的オノマトペを自分に仕掛けてその恩恵を自分一人で感じる、そしてそのオノマトペが嘲笑を免れて皆のものになるのであれば、チームの技能と時間軸は相乗的に進化していきます。これこそが“聴視触時”オノマトペの「個人と皆」への恩恵、まさに情熱という光の点灯でもありまして、阿くんが思わず、“吽”と口を閉じる瞬間でもあるのです。そうなりますと、これは小生の経験ですが、手術の総合力はメビウス環上で3連音符裏打ち的な加速度回転を始めます。
ただ注意点として、あまりにも生き生きとしたイメージの押しつけはやめましょう。そして、美肌や神経痛に効くといった類のものでは決してないこと、しっかりと心に留めておきましょう。でもご心配はご無用です。その内に線条体が輝き始めますから。

※ 線条体…運動機能に大きく関与する。脳内のやる気や意思決定を司る部位とされる。

さてさて何故か不思議に、「ちゅんにゃー」にも輝く未来が待っているような気がしてきました。そのあたりにつきましては次回、少し軽めに突っ込んでみましょう。

※ 調布で最も高名な“阿くん”です。40年近くお付き合させて頂いています。