Doctor Blog

コラム

オノマトペ その四

手術オノマトペは、「皆がより楽にシンクロするための手段であって欲しい」、そしてできれば、「触覚と時間軸の技能を向上させる手段となって欲しい」、さらにできますれば、「ネット上の代表的オノマトペ一覧の上から3番目くらいには載って欲しい」と思います。そこには手術を愛する情熱と愉しさ以外、何も無いと信じたいのです。

しかしながら手術室の皆さま方、手術オノマトペは一般共通言語ではありませんし、多重に解釈可能ですのでご注意下さい。それは、手術室という密空間において、妄想外科医の淡き五感から生まれたもの、従いまして、わかり易く万人に説明するなんてとてもできやしないのです。
がしかし、一昔前のいい加減な物議外科医にありがちな、「分かりにくいから感性的意義が膨らむ」、「分かりにくいから効果が上がる」といった言動のように、チーム能動力の向上を最も短期間で生むことだけは間違いないと思うのです。
ですから、年を喰いながらもチームの発展を願う中堅どころの外科医の皆さま、開き直ってみませんか。まずは自分を鼓舞するプレパレーションオノマトペ、羞恥心を捨てて自分に託してみて下さい。(“例の文”的な教科書を皆で抄読会したとしても、得られるものは少ないと思うのです)

さてさて、そのコツを少々申しておきます。
オノマトペは常に実技とのセットで皆と一緒に愉しく用いましょう(一人で囁いていますと、かなり危ないおじさんと思われますので要注意です)。
そして何度も繰り返し目を細めて愉しみましょう(少々恥ずかしくなる喃語もございますが、それはそれ、しっかりと耐え抜きましょう)。
なるべく多くの関係者を手術室に集めて愉しみましょう(安全管理の皆さま、ここは一つ大目にみてやって下さい)。
そしてもし、前回申した『時間軸のオノマトペ』を心地よく感じるようになれば(本ブログその三 参照)、それは既に手術流オノマトペ初段位の獲得、そしてさらに仲間の誰かが同じオノマトペを一言でも発することになれば、榊原手術室オノマトペ師範と呼ばれるのです。まあ要は、何度も何度も皆皆即即と“イメージと技能をシンクロさせる”という、いつもどおりのお約束的結論であります。

これは小生の独り言ではございますが…、一発屋でないオノマトペ、阿吽を覚えるオノマトペ、思い出させるオノマトペ、思い出づくりのオノマトペ、現場でスクスク育つオノマトペ、もしかしたら…、そこからおそらく多分…、技能向上を促すオノマトペは必ずや生まれる!とそんな気がするのです。
手術オノマトペは、皆の心とともに成長します、“いや違うか?でもそう!”、むしろ皆で大事に育てることができるというべきか、もちろん阿吽的な駆け引きは要るものの、上司のブレなさの見せどころでもあるのです。

40年ほど前でしたか、熊本時代の大恩人は、ぺーぺー時代の小生に手術をこう表現しました。
「ギャンして、こギャンすれば、ギャンなって、そんでぎゃん感じれば、そギャンなるとたい」
読者の皆さんにはこの南方系のアフォリズム、少しでも微笑ましく感じて頂けたのであれば誠に嬉しい限りです。この少し攻撃的とも言える“ギャンオノマトペ”、今も小生のご褒美的なおまじないでして、花の東京の空の下でも、それこそ九字を切るよりシンプルに清冽に研ぎ澄まされていったのです。恐らくは、常識的なオノマトペには無い“何か”がそこにあったのでしょう。
ですからその内に、あの「にゃー」にも、「にゃーして、こうにゃーすれば、ニャーなって、そこでにゃー感じれば、そにゃーなります」というような時代が来るのかもしれません。

お開きにもう一つだけ、手術能動力の向上には、頭だけではなく、身体全体をオノマトペそのままに使ってみることも大事であります。ですから手術オノマトペはある意味まさに“ジェスチャーゲーム”、“音を絵として見せるように語る(騙る)”ことが必要なのです。
「にゃーオノマトペ」、どうしても招くという手振りが入ってしまいますので多分に恥ずかしいのですが、“でもまあ、まんざらでもないか”と、最近シュクシュク思う自分がこれまた悔しいのです。

続きます。


※我が愚弟の愛猫、その名は裕次郎。雀はチュン、犬はワン、猫はニャーと鳴かねばなるまいぞ。