ラインの思い出 その五
“ライン”を介した不思議なパイプライン、若手と心を通わせると言えば少し気味悪いことですが…、何故か少しだけ頬を染めることもありました。
さて、そんな若手外科医ですが、己のキャリアアップのために、次ステップの修行道へと、それこそ決められた道筋のように移っていくのが常であります。当院を去るときに貰う、お別れ感謝のお言葉、文字と映像のセットでラインが送られてきますと、これもまた何故か、この“有難う”の文字は寂しいなどと、映像より本文の方を思わず見入ってしまうのです。
そして今までの若手との履歴を再読しまして、熱狂していたあの時の彼らを思い出すこと、実に感慨深いものでありますし、稚拙な文脈の中にも、確固たる外科医のプライドだけは十分に垣間見ることができるのです。
大変不思議なことですが、一緒に働いた仲間は、たとえ年下であろうと何か特別なものなのでしょう。ベタを承知で申しますが、今後、ラインを交わさずとも、記憶の交差だけで諒解し合える気がいたします。
若手外科医の“聴視触時間の記憶”、その何かが変わる瞬間はどこにでも潜んでおります。しかし、かなり上等な“外科医Soulの噴火”、その新たな原点となるべき新たな記憶は、長い時間をかけて、そして少しの運のもと…、真夜中に生まれると信じます。その一つのキッカケが“ライン”なのです。
もちろん、外科学の修行で手術以外のことを望むこと、多分に横着であると重々承知しております…。しかし、極めて概念的ですが、育てたいのは外科学に生きるスターであって、単に手術が上手なだけの筆下手な若者ではないのです。
しかし、しかしながら、そのような時間帯に生まれる記憶は(これは小生の痛々しい経験でもあるのですが)、屈託が無いといいますか、多少のんきと言いますか、発展速度が極めて遅いものであります。要するに、外科医にとっては最も大事に取っとくべきものなのに、“ぼやぼやしてたら誰かのイイ娘になっちゃうよ”って奴です。
しかし大丈夫、そのような記憶は、後悔もしくは反省ともいうべき評価軸をひきずりながら、脳の片隅にでも必ず残っております。ですから、自身の恥ずかしき度合いに比例して、いつでも容易にしゃしゃり出てくることができるのです。
従って、ラインの履歴、ただの思い出として眺めるのではなく、その時その時の真実を大雑把にでも正視すること、そして評価軸に乗せてあげること、それだけでも、壮大な筋書きを持った新たな記憶が明明と誕生する気がいたすのです。
それこそが、責任の無い若手外科医だけに許された、極めて大事な“特恵”だと思います。(仕事の流儀参照)
さて読者の皆さん、“そろそろいい加減にしろ”とお思いでしょう。決してお神酒が過ぎているわけではないのですが、今回もまたまた、“結論の無い徘徊物語”になってしまいました。お付き合い下さいまして、誠に有難うございます。
ところで、お別れ感謝メールで思い出しましたが、小生の送別の儀、AKB48のように、「卒業おめでとう」とか、「高橋先生の後輩で幸せでした」とか、誰かかしら言ってくれても良かったんじゃないかと今さらながら思うトです……😢。
さて今夜は何だか、若手からのラインを待ちながら少しだけお神酒の量が増えそうです。
それでは皆さん、また…。
※そのうちに、還暦前後の記憶の変遷も、ラインで辿ってみようと思います。