Doctor Blog

コラム

ラインの思い出 その一


音、映像、手触り、そして時間軸という記憶たち、永劫なものではございません。これらを一瞬に変えてしまう“キッカケ”、何処かで待ち伏せしております。
そして願わずとも、あるキッカケが出会い頭的に衝突した場合にだけ、新たな筋書きをもった記憶(物語)が生まれるのです。
この創再生の物語、過去の記憶たちが鮮烈であればあるほど穏やかで、心地良い挙措を醸します。また、そこには、理性という言葉にふさわしい何かが附随している錯覚をも覚えてしまいます。
そして、記憶の変容次第によっては、たとえそこが自分の出身地ではなくても、「俺はようやく故郷に帰るんだ」という、儚くも図々しい夢想にもなりそうです。

これは何度も申したことですが、小児心臓外科の質は、“手術直後の管理の是非でその大半が決定される”と言っても過言ではありません。手術そのものの良否だけではないのです。さらにつっこんで言えば、病院のステイタスそのものも、お偉さんがいない夜間の、若手が行うお仕事の質と量で決定されるのです。
真夜中の病院は、お日様こそありませんし、甲州街道の車光のみです。しかし、昼間以上に大事な“メビウス環的治療奔流”の真っ只中にあるのです。

ところで、どれくらい昔の物語だったでしょうか?携帯電話という、我々医療従事者にとっては忌々しいほどに便利な(不倶戴天の敵ともいえる)代物でメールが打てるようになったのは…。

さて突然ですが、話はまたまた変わります。それは昔々のこと、2000年代前半のことでした。若手外科医に、「今夜から毎晩、子どもたちの術後経過をメールにて連絡せよ」と、指示しましたのは…。
もちろんこの思いつき、治療は夜間も継続するという、使命感に燃えた(萌えた)青年外科医のなせる技でありました。また、上司に報告したという証拠をもって、“すべてを上司の責任として構わない”という親心でもあったのです。しかしながら、そりゃあ目一杯多忙な若手にとっては、これ程までにハタ迷惑なことはなかったようです。報告文の作成だけでストレスを感じた者もおったそうですから、今の世代には、とてもとても……。

でもでもしかし、初めに結論を申しておきましょう。
「外科医は“ライン”で育ちます。」それだけは、間違い無いことでございます。

続きます。
 

題名 「夕刻の榊原」