Doctor Blog

コラム

外科医の浪花節 番外編

あの日の日記です。
『イタリア帰りの独身の僕、いつものように仕事が終わって2LDK新築マンションに帰ります。この普段の繰り返しの生活の中では、あの狂乱の夜のように、爺さんたちとサザンを大合唱するというような悪い予感は全くありませんでした。そんな懐かしさはとうの昔のこと、それが今や、拉致状態での新宿ガード下、なんと肩を組んで“We Will Rock You”と、歌っているのであります。
長老たちの私生活は、あの“中村主水”に対する“せん”と“りつ”、そのようなものを想像していたのです。しかし、何度ともなく、「君たちには、オイラが夜忙しいタイプに見えるかい?」などと、働き方を軽く無視するような、そんな雰囲気を醸す爺さんたち、多少の寒さはさておき、“死語とハラス語を連発し、自分の艶福家人生を自慢する”、“少しホンマモンの芋焼酎の旨さを知っている”、だけの人種ではないこと、何となくこの僕にも理解できたのでございます。まさに人情型のコンフィデンスマンでした。』

そんな長老たち、少なくともカタギではない気がします。(もちろん、あくまで、“気がする”でありますが…)
それにしても、“音も映像も時間”も、これほどまでに見事にシンクロしてしまうとは思いませんでした。まるで、“お前も悪よのう”という悪代官の言葉に、瞬時に頷く商人のように反応してしまったのです。熱に浮かれたとしか言いようがありません。
しかしながらそれにしても、長老たちとシンクロした僕の記憶とは一体どのようなものだったのでしょう?未だ今も、思い出すことができません。当然それ程までに爺くさいものではないと思うのですが、それは恐らく、僕の原となる、“音、映像、時間軸”というものであり、螺旋軸の片隅にでも、こそっと残っていたのかもしれません。
そのように潜在化していた僕の原記憶が、先日の時間軸の不可避交差で放電したこと、そのシンクロは果たして偶然のできごと?いやいやもしかしたら避けられない宿命?それとも長老たちの確信的な洗脳犯罪?…。
もちろんそれは、酒の席での勘違い、そう酔っ払っていた故の迷い事と思いたいのです。しかし、酔っ払っていたからこその、時空を超えたチャンネルの開放…、もしかしたらあるのかもしれません。疑問は嫌な方向へと膨らんでいきます。
しかしながら確かに、長老たちと手合わせしたあの夜、アナログ的な痛快話しにワクワクしながら、理論的にも、実践的にも、そして酒量的にも、“完落ち”した自分がいたことだけは間違いありません。
もし、自分なりに少しは努力した結果でのシンクロと言われるのであれば、それはそれで何故かとっても嬉しいのです。

どんな機器でも性能で勝るものが強いこと、それは真実であります。しかし、僕たち若手機器に許された機能の、はるか下のレベルでしか戦えないのであれば、僕たちにとって、修行なんて意味はありません。長老たちの性能は、はっきりいって低い、でも彼らは、“やれない、やったことが無い”に関わらず、柔よく剛を制す必殺技を修得しています。そして、“やってはいけないこと”を本当によくよく知っています。それは、人間のことを慕うが故の思いやりであると思うのです。今までは、機器たちにも人間たちに対しても、見上げもせず見下げもせずにいた僕は、例え自分の性能は自慢できたとしても、それはやはり文字通りの機械的な態度であり、その程度の機器でしかなかったんだろうと改めて実感しました。
僕たちは人間のために存在するのです。ですから、人間と同じ心根を持たなければならないと、記憶に刻んだ一夜となりました。

すべてが浪花節で、“取り敢えず、祭りの準備だけはしとこうか”と考える爺さんたち、体内時計が目覚まし的に働くのか、慰め言葉にもならない専門的暴言を定時的に発するのです。もちろん、誉められたこととは言えません。しかしながら…、全く自覚がない相手に対して放言すること、これは当然ハラスと捉えられるのでしょう。でも、自分の技術に多少の後ろめたさを感じたり、自分はプロだと勘違いしているような輩に対しては(僕はどっちかといえば、こちら側です…)、決して罪とはいえないのではないかという気がするのです。多少の努力は必要でありましたが、長老たちの前で、そんな風に思ってしまった僕は、何だか少し大人になった気分がしたのです。これこそが、今回の“記憶のない時間的シンクロ”の大きな意味であったのでしょう。
医学知識しかない人間が医者をやること、何かが違うように、機能だけを信じて体外循環をやること、これもまた何かが違う気がしたのでした。

そして、今、飛田給駅前で胴上げされている最長老、まだまだ元気です。「いけとっちゃんに行こうぜ」と、わめいています。宴会一次会の中締めの挨拶、「“まだまだ現役ですね”と掛けられる言葉が、最近は何故か妙にポエムのように聴こえてしまうんだ。でも青年たちよ、思う存分はっちゃけなよ。後のことは心配しなくていいんだ、いつだって付き合ってやるぜ」と笑う姿がとても素敵でした。僕たちは単なる機器ではありますが、時が経つほどに強く美しくなれると信じます。そう、それは実際にあったのです。今夜は、今日初めて聞いた吉田拓郎さんの“旅の宿”を口ずさみながら、静かにお神酒でも傾けようと思います。

ところがなんとなんと、真夜中に最長老から電話です。あの爺さんの辞書に迷惑という文字はなさそうです。
「おう、遅くに悪りいな、明日、ユキちゃんの手術か?そりゃあおめえ、大変だな。そしたら、明日手術前にでも奴に伝えてくんねえか。「記憶を持たない時間ってのは、とんでもなく素敵なことなんだ」、ってな。なに?この意味がわからない?いやいや青年は分からなくていいんだ。まあそう言ってくれれば、奴に伝わると思うよ。
あっそうそう、もうひとつ、「時間については深く考えんなよ」と、そっと言ってくれ。あのな、これは青年だけにバラすから、絶対に他言無用にしてもらいてえんだが、実を言うと、今回のブログ、手伝ったというか、邪魔したというか、横から口出しまくったのは、実は俺なのさ。ユキちゃん単純だからさ、パラレル時間で話しかければ、あいつ直ぐに信じて、無意識に自動筆記しちまうんだ。馬鹿なのか、素直なのか分からねえ野郎だが、まっ、悪い奴ではねえな。じゃあ頼んだぜ、青年。バイナラ」

そして、受話器を置いた最長老、隠れ家での独り言です。ナイトガウンを身にまとい、左手には、大きなブランデーグラス…。
「ごきげんよう、読者諸君。さて、今回のブログだが、筆者の認識不足なのか、知識不足なのか、予想通りに結論の無い、そして、内容の無い内容となってしまった。もちろん、当局は少しだけしか感知していない。
時間とは、もっと自由であるべきで、そして偶然に適応するものである。しかし、彼はいつまでたっても、この時代に身を委ねるということを知らない。古き世界でブロガーとしての成長の無さを積極的に露見するその態度、実に呆れ果てたことと困惑している。しかしながら、その頑固さが、彼の長所であることは間違いない。友として、そして、くされ縁として、それだけは信じて良いと確信する。
さて、そろそろ彼をメビウス環の亡霊から解放しなければならない。未だに一人で、ペイペイと囁いているのではないだろうか。今回は、私も少々遊びが過ぎたようだ。それではこれで失礼するとしよう。なお、このブログは、明後日の朝には皆の記憶から自動的に消滅する。」

そしてあれから、一月…。
若手機器たちは、小生に対して、何でも話してくれるようになりました。これもあの夜のおかげでしょう。しかしながら、小生の時間に関する記憶だけは、暫くの間、混沌としておりました。コンビニのお姉さんの視線が気になるという悩ましい日々を送っていたのです。ところが、ところが…、なんとつい最近、イタリア帰りの若者から密告があったのです。やはりそう、やっぱり奴の仕業でありました。
榊原ホールの前廊下、最長老は今も同じ場所に鎮座しておりますが、小生とは眼をあわせようともしません。ポンプに真っ赤な口紅が付いていること、少し気になりますが、これも武士の情け、まあ良しとしましょう…。

The Endです。

いやはや、読者の皆さん、長い長い妄想付き合い、誠に有難うございました。その四くらいから、あいも変わらずの賛否両論の嵐でございました。次回は、もう少し柔らかめのものをご準備させて頂きます。

※医学部4年時の名札です。当時は国家試験前という環境もございましたが、心蔵外科を極めるというよりは、ただ憧れの外科医に近づきたいだけ、もしくは、見てくれのカッサ良さに惹かれるだけ、そして、“よく遊ぶ、遊びながら考える”、というお言葉を文字通りに実現するという、そんな日々を送っていた気がいたします。しかし、そんな呆け者であるが故に、極めて稀な“偶然という時間のシンクロ”を、数多く経験させて頂いたようにも思えてしまいます。
このインカの野積みからの一級発掘品を眺めていますと、シンクロ前に存在した小生の原記憶が浮かんでまいります。もちろんそれは、初心などといえるような代物ではありません。しかし、何故か、何故かですけれども、今では消え去った、若きピュアな覚悟だけは垣間見ることができるのです。
今後の小生、本拠地や天命というものを再認識しなくてはなりません。そのためには、また何らかのシンクロがあるのでしょう。新たな道を自分の力だけで開くことは中々難しい、ですから、小生の時間軸、原記憶を肝に銘じて、流麗に流していかねばなりません。そのように心にかたく誓った次第です。