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コラム

外科医の浪花節 その五

※ 榊原ホール前に展示してある往年の人工心肺装置です。

 

「えーっ何だって?今の若手機器について意見を聞きたいィー? 今さら話すことなんて何もねーんさー。いちゃりばちょーでー、若者に直接聴いたらどうなのさー。」(沖縄での生活が思いのほか短かった機器のようです)
「えっと、なんでそげんことば俺に聞くん?今日びの若者はくさー、利便、簡便、機能、合理、便利、効率、能率、効果、そしてコスパばしっかりとっとっとー、比べるべくもなく優秀じゃなかとじゃネー?俺たちの時代とは想像もつかんくらいギャン良かハイスペックやけん。もしかしたらジンは、新人さんにいっちょん満足しとらんっていうこと? ばってん、そげなはずは、どげんボケくりこかしてもなかろうもん。」(どうもこの機器、博多長期出張中の熊本県出身のようです)
「おいたちはどうせ縄文系…、おいたちんこっしか知りもはん。そいでも良かれば話ししてもヨカがじゃっどん、古臭か話になっじゃ。そいでも良かと?」(この機器、この後、指宿温泉の効能話に終始しておりました)

どこから、こういう話しが始まったのか、全く不明ですが、その後も、まあ呆れるほどの喧々諤々、七嘴八舌、物議騒然が続きまして…、

「まあまあ待て待て皆の衆、目出てえことじゃねえか。あーところでこの質問は、どうせユキちゃんが出してきたんだろう?奴の考えそうなこっちゃ。あーそうそう、そう言えば、ユキちゃんは定年したんか?何歳になったん?え~、そしたらまだまだ爺いチャウじゃん、何をどえりゃあ爺むさいこと言っちゃあいかんぜよ、まだまだどげんかせんといかんとじゃなかね。まあでも、外科医になったくらいやさかい、あんまり頭も良くねえっちゃろうし、せっかくやから、少しだけ付きおうてあげてもいいんでないかい…?まあこんど会ったら取り合えず、外科医が物書きになっちゃあおしまいじゃけんのう、って言っといてな。…中略…でもでもねえねえネエ、どうして殿方はいつも皆そうなの?世話がやけるわね~、…全くゥ。…etc.…」、…という話が永遠に続きました。(この機器、結構世事に詳しい最長老のようですが、最後はオネエ言葉で“締めくくりー”、出身地はことごとく不明です)

さてさてその最長老(先の写真、左列上座に座っています)、待ってましたとばかり、江戸弁で自慢げに騙り始めたのであります。右手にはオメガのスピードマスターがちらりと見えています。
『結局のはなし、俺たちはさー、能力低いんだよね、効率も悪いしさ。あーでも、これは今の若者の力を知っているから言えてる訳で、でも俺たちなりに当時は、それぞれに最高のスペックだったんだよな。
でもまあ何だよなー、当時の外科医のおっちゃんたちだけどな、あっそうだ、ことわっておくけど、おっちゃんって言ってもそんなに年寄りじゃあないんだがな、まあそれこそ本当に度々に、そして良く良く、俺たちに話しかけてくれたよな…、「もう少しだから最後まで頑張れ頑張れ」ってな、もちろん俺たちも、できる限りの馬力で答えたんだ、それこそ必死だったよ。
それにしてもだよ…、全くもって面倒くせえことだったが、外科医の要望には随分応えてきたよなー。中に小難しいことをいう若え研修医がいたよな、ほれ何て言う名前だったけ、でもそいつのアイデアは俺たちには飛び抜けて気持ち良かったんだ、えーっと、誰だったっけ、“何とか橋”だったかい?いかん、どうもモノ忘れが…、年かのう?
あのさー、こりゃあ言っていいかどうか知らんけどな、今ではなんかあれだろ、えーと、働き方だか働き蜂だか知らねえけどよ、世間ではそんなものがどうのこうのと、うるせぇらしいな。だから小声で叫ぶけどな、俺たち、朝な夕なすべてにおいてフルパワーで働いたのよ、それこそ“快快的”と怒鳴られながらな。そして真剣だったからこその仕事上がり、朝焼けを見ながらの熱々の珈琲、美味かったなー。まあそんなこんなで、そんな当たり前のことが今でも俺たちの最高の自慢話なのさ。これは皆の衆も同じだよな。(…うんうんと皆、眼を閉じて頷いている…)
ところで今の若者はさ、そんな風に時間知らずに命がけで頑張るってえことはあるのかい?もしかして、そうもしかしての話だけどな、もしそんなパワーのある奴らが力を出し惜しみして、安全地帯の中で過保護すぎるくらいに大事にされているのであれば、それはまァあれだな、おおっぴらには言えねえが、「それって果たして満足なことなのかい?」って、聞いてみたいよ。俺たちも逆に心配してしまうぜ。
もちろん俺たち以上だったけどな、当時は外科医も一所懸命、頑張ってたさ、手術前も後もそりゃあ大騒ぎでな、とにかく若えもんは病院から出れねえんだ。しかも当時の成績は相当に悪かったんだ。それに助かったとしても回復に相当な時間がかかるしよ…、ぺーぺー外科医の生活はこちらが見てても苦しくなるくらいに可愛そうだったぜ。ま、でもそれはなんだな、誰もが通る道だけどな。
だから俺たちもとにかく必死で勉強したんだ。俺たちのねぐらの機械室でさ、何度徹夜で議論をしたことか。でも一朝一夕には改善しなかったんだ、あの頃は辛かったよな…、悔しかったよな。あっ、ところでよ、あの夜俺が買ってきたジョニ黒、あれは誰が空にしやがったんだ?(…一同、一斉に下を向く…)
でも、外科医たちは、その成績を少なくとも俺たちのせいにはしなかったな、けっこうな“漢”がいっぱいいたんだ。だからあの時に地方に転勤となった同僚のやつらとはな、今でもよく話しをするんだ、“俺たちけっこう幸せだった”とね。
ところがどっこい、それから1年くらい経ってのことだったか、もちろん徐々にだぜ、成績が世界なみに改善したんだよな、そりゃあもう病院中大騒ぎさ、俺たちもパイロットランプを点滅させての大パーティーだったぜ。あーそういえば、静岡に帰ったあいつ、“なんとか神”ってぇ名前だったけ、深夜の祝勝会で気分良くポンプを逆回転させながらサザンなんか歌っちゃってさ、その声がウザいって婦長に叱られたんだ。あの時は泣きながら笑っちまったな今じゃそれこそ訳わからんのだが、ピアノなんか弾いてるらしいぜ。

でもまあそんなことはどうでもいいやな、ところでこちらから聞くけどな、
若者のことなんだが…、“時間のコスパ”っていうやつは、本当に今の方が優れていると思うかい?
もちろん若い外科医の兄さん方はそりゃあ今も大変だろうな、でもな…、手術に関してだけは、何だか俺たちの時代のほうが少なくとも自由で、はるかに効率良かった気がするんだけれど…、どうだい?
そりゃあ成績に限りゃあ、昔と今は雲泥の差さー。でも俺たちロートルからすればな、そりゃあ辛かったことは間違いねえけどよ、いまの若者より時間的には、間違いなく満足していた気がするんだけどな。皆の衆、こりゃあ妄想か?(…一同、首を傾げる…)
そりゃあ餅のロンのこと時間には注意を払ったぜ。だってお前えな、当時は時間こそが成績をあげる最もでえじなものだったんだ、だから、外科医も俺たちも時間の使い方に関してはそうとう厳しくやり合ったもんさ。それが患者の負担を軽減させる唯一の手段だったからな。えっ、何だって?そのことを今は低侵襲って言うのかい、ふ~ん、なんだか少しわかるような気がするな。じゃあ今は患者も外科医も時間的には低侵襲ってことなんだな?ええっ、何だって?そうじゃないってか?「じゃあおめえさんが言う、低侵襲ってえのは一体何のことだい?」
そういえば信州ってところにも、ダチがいたっけな。昔だったが方位取りに諏訪まで足伸ばしたこともあったっけ。ところでおめえ知ってるか?“前宮”にはぜってえ行かなきゃなんねえぞ。そこのお水がこれまたいいんだ……。えっーと、何話してたっけ?あっそうそう、そいつのことなんだけどな、若えときには柔道やってたらしいな、得意技は上四方固め、でいつも大盛りカレーライス&ラーメンセット食ってたな。当時でも緊急連絡には何故か赤電話を使う変な野郎でさ、今でも赤電話の横で囁いているんだろうか?

それにしてもこの矢庭な医療工学の発展、もちろん若者も同じく進化していくんだろうよ。でも頼むぜ、奴らの目標だけはしっかりと設定してやるんだぜ。そして、目標ってえやつにどのような意味や価値があるのか、それだけはキッチリ説教しろよ。できれば臨床がヨクヨクわかる奴をつけてやんな。そして、そういった大事なものが途中から置き去りにならないよう、目を見張っとけよ。底辺にある肝っ魂を知らないと、意味はねえんだ。
良いものを作るってえことは確かに悪いこっちゃねえ、でもそれが全て愉しいとは限らねぇからな。そしてもう一つ、若者機器と付き合う若手の外科医、こいつらも上手いことおだて透かして楽しませてくれよ、それだけは頼んだぜ。

さあ、もうそろそろいいだろう。いい加減、疲れちまったよ。えっ何だって、今度は辛かったことを聞きたいって?しょうがねえなあ。そうさな…、あまりくっちゃべることでもねえがな。
昔々ときたもんだ、仲間うちでフィードバック帰巣本能だけは鋭い奴がいたんだ、極めて優秀な野郎さ。最後まで一緒に頑張ると言い張っていた、それこそ同釜の兄弟ぇだったんだけれどな、何故かここに見切りをつけやがった、辞めちまったんだ。理由?理由ってか?それこそ大きな声では言えねえけどな、ここには自分が大事にしてきた信念がもう無くなったって言いやがるんだ。まあでもその言い分は正しかっただけにな、それに俺もここを愛していただけにさ、本当に辛かったよ。まあ、端折っていえば、医療が儲けの話しをし始めたら残念ながら終わりってぇことだ。でもまあ結果が良ければすべて良し、奴も今は沖縄で元気だそうだ、相変わらずの青春マラソン野郎さ。そう言えば、酒はもうやめたらしいぜ、…でもあいつかな、ジョニ黒空けた奴は…。
ところでな、これだけ便利な世で、心臓外科ってえやつは人様に人気があるのかい?農業の仲間たちにも沢山飲み友達がたくさんいてな、そいつらが教えてくれたんだが、あいつらは農家の人間を重労働から解放するためにそれこそ汗水たらして頑張ってきたんだそうだ。一緒に飲むとえらくそのことを自慢するんだよ、俺たちが頑張ったから農業の人気が上がったんだってね。結果いつのまにか、働く人間が増えたんだってよ。えっ、何だって?最近の心臓外科はそうじゃねえって言うのかい?何とまあ寂しいこっちゃねえか…、全く困ったもんだなおい…。

えっー、何だと?何だ何だの千疋屋?当時憧れていたコレについて聞きたいだって?お前えいい加減にしろよ、ぜってえこれで最後だな。うーん、そんなものいたかな?へっへっへ、そうだったそだった…。
俺たちってずんぐりむっくりだろう?今の若者、スマートでなんと洒落っ気の多いことか。でもそんなことはどうでもいいやね、誰でも一様に年取るもんだからよ。俺たち廃棄されなかった分、幸せってもんだな。
そうやな…、当時の憧れってか、全くしょうがねえな、まっでも少しだったら話してもいいぜ、もう時効だろうからな。…おいおい、あまり大きな声では言えねえんだ、もっとこっち寄れよ。俺の憧れだったのはな、それはな…、照れるけどな…、何といってもあの曲線美、“シボレー・ベルエア嬢”さ。おっーと、笑うんじゃねえぜ、俺にとっては叶わない永遠の恋人だったんだ。芸術ともいえるエンジンモーターの美しさ、憧れたよ…、今でも、俺の冷温水槽の中には彼女のブロマイドが貼ってあるんだ。

おっといけねえ、どうも喋りすぎてしまったようだ。さあさあ、もう解放してくんな。ところで俺たち、今まで数回にわたって廃棄の危機を免れたんだ、危ないとこだったんだよ。もう暫くはよろしく頼むぜと、ユキちゃんに言っといてくれな。
そんな俺たちだからさ…、それこそ一所懸命に働いた心臓外科ってえ人生をだな、もちろん辛いことも沢山あったけどさ、たった一言だけで思いのたけを言い表すことができるんだ。どうだ、かっこいいだろう。それはなんだと思う?…、口はばったいけどな、それはな…、「とにかく人間が好き」ってことなんだ、まあ照れるけどよ。だからさ、今後もお前さんたちはだな、じっくりと時間をかけて仲間の人間を育ててあげな、俺らロートルにはそんなことはもうできねえけどさ、応援だけはしっかりやらせてもらうからな。“外科的なお利口さんをいっぱい作ろうぜ”。
でもな、機器に頼りすぎちゃあいけねえよ、それだけはちゃんと言っとけよ。人間ってえ奴は、便利なことをいいことに、すぐに危険を察知する勘や能力を失うからな。
えっ、そろそろケツカッチンってか?あれあれそんじゃまあ閉店がらがら、またヨロピコ。』

あれっ…、う~ん…、読者の皆さん、申し訳ありません。手術観戦中にもかかわらず、いつの間にか意識を失っていたようです。滅多なことではお昼寝なんてしないのですがついつい…、まあこれも弟子どものチームが何とか上手く機能するようになったという証拠、ご容赦のほどお願いいたします。
それにしても、何だかとんでもなく長い夢を見ていたようです。ほんのりと機械油の匂いがいたしますし…、携帯画面には何故か、判読不能な“おじさん構文”が並んでいました。

さてさて、それはなんだの神田町ですが、「時間」の妄想はまだまだ続きます。