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コラム

放映雑感 その三

朝4時…、覚醒しました。目覚ましがなくても、何故かつい醒めてしまうとです…。

テレビを点けます。NHKBSプレミアム、「MUSTBEUKTV」が流れます。

1970年代後半から80年代の英国西洋音楽番組で、この時代の楽曲が青春の真っ只中であった小生にとっては、かなり懐かしい狂乱の面々が登場するのであります。

(ところで、何故こんな早朝に放送するのでしょう?無意味に覚醒する我々に合わせてくれているのでしょうか?テレビ慣れした小児心臓外科医としては、その視聴率はどうなんだろうと、ついつい余計な心配をしてしまいます…)

 

さて、ここからは、小生の朝の時間軸、その大局を忠実におさらいしてみましょう。

「最初のバンドの演奏が終了します。洗顔後、すぐに着替えます。その後、日本茶とちょっとした朝食を取りながら、残りの演奏を楽しみます。たまに愛犬とじゃれ合います。もちろん、洗顔直後の神さまへのご挨拶は欠かしたことがありません。

そして時はゆったりと流れ、4時57分となります。地上波8チャンに切り替えます。

“めざまし占い”です。(ちなみに小生、水瓶座です)その動向から、今日の言動およびその他を綿密に画策いたします。そして、5時少し過ぎに家をいってらっしゃいして、5時18分の電車に飛び乗り、5時30分に飛田給駅北口へ立ち至ります。」

(これ以後の流れは放映内容を参照して下さい。また、めざまし占いの私見については、拙著“低侵襲手術書”を参照して下さい。)

 

この厳かで慎ましい小児心臓外科医の早暁の一刻、山の神と弟子どもは“ヤラセ”などと疑っていますが、ほぼ毎日のお決まり風景でした。(ほぼ毎日の、“ほぼ”以外の朝は、電車を一本遅らせています。めざまし占いの内容に少しブルーな気分となったこと、もしくは、じゃれ合い時間が長くなったことが理由です)

脳活動がアンニュイな小児心臓外科医の朝には、これくらいのマニアックな時の流れがちょうど良いのです。

 

さてさて、この時間軸、果たしてどこがどう一大変革したのでしょうか…。

何をおいても、何といっても、成就すべき大願「世間的常識の獲得」が、最大の目的なのです。

 

……、…、……!(う~ん…、どうしよう?)

お約束通り、あまり大した結論でもないので、脊髄反射経由でお先に申し上げときますが、

まあ、要は……、めざましテレビの“エンタメコーナー”をしっかりと修学することです。

 

読者の皆さんは、“何じゃ、そんなもんかい!”と思われるかもしれませんが、これはこれで、小児心臓外科医としては大変な努力をしていると、ご理解いただければ、誠に幸甚です。

実際に、「へ~、そんな事よくご存知ですね!」と言われれば、冷水でもぼんやりと暖かく感じることができるのです。お陰様で、株式会社トキオの設立も知りましたし、NiziUメンバーの名前と振り付けも少しは理解できるようになりました。今後、ある観点だけにおいては、専門馬鹿と呼ばれることは決してないでしょう。

 

もちろん、その常識の修得には、極めて紳士的な態度が必要と固く心に誓っております。

“相手を打ち負かすような常識ではないこと”、また、“知識をひけらかせないという気配りがほんの少し感じられること”、そして、“会話の後で、小生の方が少し優れていたとしんみり顔に出さずに思うこと”等々。

当然、小生の心の中には、「鬼かわい~い」などと、若者受けしようというような邪心は殆どありません。

 

新たな時間帯に新たな知識を溜め込むこと、たとえそれが世間では当たり前のことだとしても、

小生にとりましては、極めて新奇な数カ月間でした。そして…、

新たな知識はいえ、日常の些細な変化をこんなにも長く時間をかけて無意味過大に論じること、そして、その変化から生じたものに何らかの値打ちを無理くり付けようとすること、さらに、そんなことに、とりわけ大胆になっている無防備な自分に気づくこと、

そんなことを気分良く感じている小生は、誠に不思議な存在としか思えないのですが、懲りもせず、魑魅魍魎的な妄想が大きく膨らんでいきそうなのであります。

 

北鎌倉での対談、老師から、「現代の菩薩である」とのお言葉を頂きました。相変わらず何かを引きずっている小生にとりましては、とても難解かつ合点不能なご指摘ですが、

たとえ、今まで慣れ親しんだ大衆的な悩みを取り去ることは困難なことだとしても、

たとえ、自分にとって大事だった外科医的常識を捨て去ることは無理だとしても、

たとえ、あいも変わらず、多くの命題への答えが自己満足であったとしても、

些少(詐称)な変化への小さな妄想的考察を行うことは、今まで澱のように沈殿した惰性をゆっくりと断滅していってくれそうな気がしますし、新たに生じる向上心が淡きものとならないようにしてくれそうな気もいたします。

そして、そのことは、

不遜ながら、なぜか、何故かですけれども、

今までご縁を頂いた皆さま、そして今からご縁を頂く皆さまに対して、ご縁のお返しはもちろんのことですが、

少しばかりの愉しみと勇気を差し上げることができるのではないかという気がしてしょうがないのです。

まあ、小児心臓外科医の、「我儘全開、おせっかいの極み」ではあります。

 

日々妄想、日々概念、そして、もうしばらくは、日々軽部風エンタメ修行です。

 

次回、「おせっかいな棚」の物語です。

 

※ 元仙台藩士の医師松前意仙(まつまえいせん)は飛田給の地に庵を結び、医業のかたわら仏道に志して、人々を救済するために自ら石造瑠璃光薬師如来立像(薬師堂のご本尊)を刻しました。
毎月12日の念仏講の時に拝顔することができます。慈愛に満ちた実にいいお顔をされています。