放映雑感 その二
もうひとつ、頂いたお手紙から、
「…略…。外科医の朝は早いんですね。すると毎日4時ころ起床ですか?……大変ですね。…略…。
でも…はそうみたいですね。…略…。」
実は、この一文から、多少のイザコザが勃発したのであります。
「最近は、そんなに早く出勤して無いじゃん。」「テレビで嘘ついちゃダメよね。」などと、山の神からのするどい指摘が…、しかも嘲笑の目で…。
「本当にそんなに早く来てたんですか?」と、3人の弟子どもの疑いの声…、しかも3人とも嘲笑の目で…。
いえいえ、決して嘘ではありませんし、医師に許されているという“方便”でもありません。
ほぼ毎日、飛田給駅への到着は、5時30分、もしくはその20分後、これは紛れもない真実です。
いや、正確に言えば、つい最近まで真実だったのです。
実は、年末から年始にかけて、徐々にではありますが、小心外科医の“心持ちおよび生活の手順”が、幾ばくかの些少な変化をきたしてしまいました。そのため、出勤時間が少しずつ遅れていったのです。結果、“するどい指摘、疑いの声、嘲笑の目”となったのでしょう。
しかししかし、そこには…、定年前の小児心臓外科医にしか分からない、深淵かつ清らかな訳と、決して崩れることのない高尚な目当てがあったのでございます…。
昨年の11月のことでありました。
臨済宗大本山円覚寺管長、横田南嶺老師との対談の中での出来事でございます。
“専門馬鹿”に関する議論と相なりまして、
そこからついつい、お互いの専門馬鹿振り披露大会へと突入してしまったのであります。
その内容につきましては、二人の年相応に純情かつ無垢な中味であり、ほのぼのとした爽やかな空気が流れました。(心の底から有意義な一時でした。致知出版社月刊誌2月号参照をお願いします。)
しかし、しかしながら、それ以降…、このコロナ禍の影響でしょうか、それとも自然と触れ合える時間が無くなったせいでしょうか、「一人沈思黙考の時間」が増え、
度あるごとに、「専門馬鹿としての世の習い、および、その解釈と実践」について、様々に、そして空を翔ぶが如く、余計な考察と分不相応な反省をするようになってしまったのです。
小生が北鎌倉の彼の地で披露した、「還暦を過ぎても、キャッシュカードの使い方を知らなかったというおったまげ大騒動事件」、このこと、普通は誰もが“可愛い”と思うことであるとしても、これはこれで確かに、大人の外科医としてはちょっと小恥ずかしく、“世間的常識への欲心”という意識が急速に爆上がりしてきたのであります。
5年後に古希を迎えるにあたって、年相応の世間的常識を獲得することは、
世間には少ししか認められなかった“外科医的常識”を捨てたとしても、また、小児心臓外科医固有のお茶目さを捨てたとしても、絶対に成就すべき大願であると、固く心に誓ったのであります。
その宣誓の儀、まさに放映日の一週間前のことでした。
この心情のコペルニクス的転回は、実に壮大かつ有意義な生活様式の変調をきたしまして、
結果、飛田給薬師堂への早朝定例参拝は、いつもの一時間後、6時30分頃と相成った訳であります。
さてさて、“世間的常識”を得るための、小児心臓外科医の「早暁生活様式の一大変革」、
それは一体どのようなものだったのでしょうか。
続きます。