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コラム

手術雑感5 ~人が集まるということ~

心臓外科はチーム医療の最たるものと言われています。それでも、外科医は多少わがままですので、自分が手術を行う際には、ベテランと呼ばれる方々とチームを組みたいと思うものです。

ただ、チーム医療という言葉を誤解してはいけません。単に、ワンマンでは成り立ちにくいものだからチーム医療というのではありません。また、みんなで楽しく、ストレスやパワハラがないように工夫するからチーム医療というのでもありません。

心臓外科は、もちろんチーム何人かで行うものですが、最終的な結果(人の生き死にや、その後の生活の質など)は、誰の目にも判じることができるという過酷な職業でもあります。つまり、一人の原因がただちに結果に帰すことは無いにしろ、執刀医はもちろん、技士、看護師の、ちょっとした技量の低さによる多くの過程が、結果に至るまでの因果にからむのです。

従って、個々人の卓越した技術を、手術の場で見せ合うという観点において、心臓手術はチーム医療の最たるものと言われることになります。

だから、上手くもないものを上手いというわけにはいきません。
でも逆に当然、若手も、上手い指導医を選んで手術を学びたいと考えていることでしょう。

人が集まるべくして集まるチームというものについては、管理者はよくよく考慮するべきです。
“たまたま偶然に集まった”、ここには何らかの必然があり、またそれを必然と思うこともチームそのものの運かもしれません。

執刀医みずからチームを作成できない日本において、上手く機能している手術チームとはそのような摩訶不思議なものであるかもしれません。本来ならば、巡り合うはずもない者たちが、同じテーブルを囲んで、“さあ今からどうやって面白いことやろうか”と話していること、これはまるで奇跡ともいえるものでもあります。

もちろん、集まれば別れる時期も来ます。共に力を出し切った後もダラダラとくっついていることは、あまり良くないことかもしれません。しばらくは離れていたほうがいい。でも必要ならば、偶然という必然がまた合わせてくれることになるかもしれません。

当時若手であった小生が、当時思っていたこと(多分に妄想ですが…)
“なんか面白そうなことやってんな~、俺もやりてェ”、“倖せそうに手術しているな、なんかついにやけてしまう”、“ここにいると、ホンマモンの勉強ができて、ホンマモンの手術専門馬鹿になれそう”、“将来はもっといい夢見られそう”

今では若手でなくなった小生が、今思うこと(より迷惑な妄想ですが…)
・一日一つだけ、考える材料を与えられるかどうか(自分で考えるということは、一日という時間が急に短く感じられるということであり、それが勉学およびイノベーションの基本となる)
・手術以外のことで振り回さない、特に手術に関してガッカリすることがない、邪魔しない
・ほんの少しだけ、ビックリさせるようなことを見せつける
・楽なことを選択してもつまらんじゃんという感覚
・お金は無いけど、何故かこ洒落ている
・無駄に元気で、感慨も無く走っている
などなどなど

多少、上から目線の接客業のようですが、何もできない若手に“何かサービスしてやろうか”という気持ちはなくてはならない。少しだけでも感動させることができたら、心臓手術の追っかけファンになってくれるかもしれません。

でも、過剰すぎるサービスやその押し売りは、逆にうんざりさせるかもしれない。少なくとも、働き方とか、給料とか、経営だとか、手術を学ぶということを他のものに置き換えないようにすることは最も大事なことでしょう。

他に無いような接客体験を提供することで、手術について考え、また新たなものが出来上がっていく、そうすれば、言葉は極めて悪いですが、人を育てるとか、物を作るとか、経営を良くするとかなど、こっぱずかしいことではなく、永劫、子ども達のために続く、“商売という名の医療サービス”を提供することが可能となりそうです。

これがホンマモンのプラクティカルの存続であり、決してブレない伝統になると妄想しています。

旧病院での手術風景(まだ30歳後半の若手でした)