手術雑感 その1 ~私の彼は左利き その2~
前回の続きです。
文字を書く彼女の姿を見ていますと本当に興味深い。
左手での文字の作成を、頭をやや右に傾けながら右上方からの視線が追いかけていきます。
“出来上がった文書は左手に隠れて確認できないんじゃないか” と迷惑を顧みず心配してしまいます(右利きですと、書かれた文書は、左上方からの視線でその都度確認できますよね)。これは一つの特殊才能だと感激してしまいました。
もしすべての人間が左利きであれば、日本文も英文も右から左へと書くことになったのでしょうか?
秘書の “左利き特殊技能” を目の当たりにして、改めて外科医の左手について考えてみました。
右利きの小生の場合でも、手術中はなぜか左手の方が複雑かつ繊細な動きをするんです。全くもって不思議です。
右手で持針器を持って縫合しますので、右利きにとっての左手は、今まで、右手のための大事な補助という存在と思っていました。しかし、実は、左手に持った鑷子(ピンセット)が、優しく右手の動きを指示しているのではないかということに気づきました(還暦過ぎての大発見です)。
“右手さんよ~、ちゃんとナビするからさ~、もっとしっかり縫えよな!” という感じです(分かりやすく言えば、“とにかくあなたは好きな手術をしてればそれだけでいいのよ” とやさしく諭す、目が笑っていない妻のようなものでしょうか、いや違うか?)。
手術の縫合の際は、頭を少しだけ右に傾けて左斜め下方向を覗く感じです。左手で鑷子を持っていますから、縫合部分の左向こうは視野に入りません。でも右方向はかなり広い視野を得ることができます。
このことは糸を結ぶ時も同じで(結紮といいます)、左手で結び目を下ろしていくときは、右方向がすべて見える感覚となり、第二助手や器械出し看護師と意思の疎通ができることになります(実を言いますと、ここが手術の大事なコツなんです。いずれまたお話しましょう)。もちろん、中には右手で結び目を下す外科医もいます。
さてさてさて、そうしますと、この感覚は左利きの私の秘書と同じです。たとえ右利きであっても、外科医の手術中の脳は左利きとして反応しているのでしょうか?
それよりも何よりも、もともと左利きの外科医は、やはり左利きの脳の感覚で手術をしているのでしょうか? それともたまに右利きの脳活動が発生するのでしょうか?
このあたりは極めて興味深い問題なのですが、生粋の右利き外科医には如何せん、完全に理解することは今後も無いでしょう。
そういえば、幼い頃からの習い事、ピアノの場合は左手の甲と指先を見ながら鍵盤を見ています。一方バイオリンは甲を見ずに指先と弦を見ます。しかも、ピアノでは小指が低音、バイオリンでは小指が高音です(ギターも同じです)。
これらにも、右利き左利きの差による脳活動の差はあるのでしょうか? このあたりは、脳科学者からでなく、天才ピアニスト、天才バイオリニストからのご意見を直接聞いてみたいものです。
読者の皆さん、そろそろ高橋の妄想話にお疲れのことと存じますが、もう少しだけお付き合いください。
外科医は右利きでも手術中は左利きの感覚で手術をしている。もしそういうことであれば、ちょっと努力をすれば、今後、小生は左利きになれる可能性が出てくることになります。実際になってみたいと思っています。
そうなれば新たな発見があるかもしれません。世の中を右上方斜め45度くらいから見ることもできそうです。その時は、自分の名前も変えようかと考えています(当然ミドルネームは必須です)。
そして、もし生まれ変わってもう一度心臓外科医になるのであれば、絶対に左利きになってみたいと思います。そうすれば、相当な性格の変換が期待できる気がします。
恐らく “飽きやすさ” という弊害もなく、早々に学位も専門医も取っていることと推察しますし、新しくお付き合いする彼女には、“私の彼は左利き” などと呼ばれていることでしょう。
第1手術室です。