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コラム

500例の小児心臓手術 その8~ COVID-19の時代だから~

COVID-19により、我々は通常の医療以上のボリュームの仕事を強いられるようになりました。気持ちもギスギスしています。でも、このような時期だからこそ、頭の中だけでも “通常の心臓医療にあるべき本来のプラクティカルとは何か、もしくは平和な医療とは何か” ということを考えなければなりません。

COVID-19はいずれ終息するでしょう。でも日本は災害大国という宿命があります。将来の日本の医療のあるべき本来の姿については、おぼろげでも結構ですから、今から少しだけイメージし、かつ妄想しまくっておくべきと考えます。でも、まずはこの時期、ロートル心臓外科医として、心臓病の子供たちをしっかりと守りたいと思います。

病院というものは激務の割には儲からないということをお話し致しました。経営の困難さは昔も今も同様です。しかし、それでも榊原記念病院はこの十数年、日本一の手術数を維持してきました(もちろん、いくら多くの手術をしても欧米並みにサラリーが上がるということはありません………、ブログを書いても上がりません……)。

さて、皆さん、このような社会情勢のもと、榊原記念病院で働く職員の “日本一を維持するモチベーション” とは何なのでしょうか?

当院の仲間たちの意見です。病院経営が多少の黒字であれば “まあいいんじゃない”、そうすれば来年多少の投資ができて新しい手術治療を行うことができる、そうするともっと多くの患児を楽に助けることができて感謝されるし、お誉めの言葉を頂ける(ひと昔前の外科医には、修行の段階で人から誉められるという経験は滅多にありません。だから、感謝されたり誉められたりすると半端ない満面の笑みではしゃぎだすという変な性癖があります)。

でもこれらはまさしく、心臓外科学を選んだ医者冥利につきることですし、手術を多くやることがなんと幸せなことかと今更ながら実感できることです。このことがこの十数年の皆の気持ちでありました(でも、上司として、そのようなことを恥ずかしげもなく皆に言い続けてきたということは、経営のことを考えると、多少ですが皆を騙してきたと言えるのかもしれません。実際には個々人の私生活の質はあまり向上していませんので…)。
反省と責任を少しだけ感じています。しかしながら、結果として、私が認めるホンマモンのプラクティカルな奴らが育っていったと自負しています。

さてさて、なんだか、できすぎた医療ドラマっぽくなってまいりました。
もちろん、この間には榊原を去っていった仲間もいます。でも、そいつらとは今でも同じ目線で医療を語ることができます。今後の心臓外科教育の在り方を具体的に語ることができます。彼ら(彼女ら)には自分の生活を犠牲にしてきたという感覚は毛頭ありませんし、還暦を過ぎて学位を取ったことを自慢しても、“それがなんぼのもんじゃい” とすぐに突っ込むだけの男気(女気)があります。

若手には、自分が目標とする将来像のために、“こういう病院に入って学びたい” という個々人の目標があります。もちろん “こういう病院” の定義はさまざまです。もし、目指す “こういう病院” が無ければ、その時点で若手の目標達成は遅れることになります。従って、個々の病院には伝統となるべき “こういう病院” という特殊な看板を掛け続けることが重要です。榊原記念病院はそのための “500例やれる伝統” という看板を維持しなくてはなりません。そして伝統にさらにもう少し手を加えて、病院の表情をもっともっと豊かにしなければなりません。

ですから我々上司は、彼らのやる気に対して相応の厳しい指導を行います。“なあなあ” ではかえって彼らには失礼なのです。そして、もし我が病院を選んでくれたなら、修行と勉強に関しては決して邪魔をせず、上司の妙な教育方針や思惑を押し付けず、彼らのやる気を損なわないように成長を祈るだけです。

番外編で申したように、小児心臓外科医は常日頃から他人を応援するという変な癖が染みついています。手術を受ける赤ん坊はもちろんのこと、悩まれているお母さん、そして多少苦労している仲間たちに対して…。声には出さないけれども心の中でエールを送り続けています。

そして、“500例やれる伝統(高尾レジェンド)” を経験していない榊原記念病院の若手の皆さん、今回は大声で応援かつ “喝” をお送りします。
“こういう時にたまたま偶然にこういう説教くさい上司に付いたんだからしょうがない” 、と諦めてください。その上司が “修行のための義務” と決めたことですから、申し訳ありませんが付いてきてください。そして何かを感じてください。これは、ある意味、命令と宿命です。子供たちのために信じる道を進むのです。この時代だからこそ、第一に医療の質と効率を考えるべきです。
もちろん、爺が新たに考えることは、多分に実害を伴うことも世の常ではあります…。
年功序列的に先に逝くことだけはお約束したいと思います。

さてさて、読者の皆さん、またまたこんな話にお付き合い頂きましてありがとうございました。ボヤキ過ぎたこと、今はただただ反省の日々を送っています。

次回からは、小児心臓手術というものに対して、“心ならずもついつい思ってしまったこと” を一つ一つ考察してお送りしたいと思います。相変わらずの “おふざけコラム” になることだけはお約束いたします(自分では真面目に考えているつもりなんですが…)。