500例の小児心臓手術 その4〜「えっ、500例?」〜
榊原記念病院には高尾あや子先生という女流怪物麻酔医がおられました(過去形だと誤解を招きますが、今もお元気です)。いつから一緒に手術をはじめたか、記憶は定かではありませんが、退官されるまでの15年以上、毎年500例以上の小児心臓麻酔をお願いしてきました(ご年齢も定かではありません。どうも天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に同行していたという伝説があります。聖徳太子の幼少期を知っているとも言っていました)。
先日、“低体重児開心術における麻酔のコツとは何ぞやと”いう質問を高尾先生にしたところ、「すべてはスピードとタイミング!最近の外科医はそれがなっていない!」という、少しわかるような全くわからないようなお答えでした。
そういえば、“小児心臓手術のチームについて考える”というテーマの講演会で、小生が、 “我が麻酔医は、見て聞いて考えて身体が反応しているのではなく、また、右前頭葉のみで反応しているのでもない、ただ脊髄原始反射で生きている”とつい発言してしまい、大変な顰蹙ひんしゅくを買った記憶があります。それ以降、何かある度ごとに、“どうせ私は脊髄反射よ!”と自虐ネタをカマシテいたそうです。
さて、そうこうするうちに、小児班の心臓手術は移転後の4年目に年間527例に達し、いつのまにか500例を超えていました(心臓手術以外の手術を入れると600例近くになります)。“えっ、500例じゃん”という、いつのまにかのアララの感覚です。
年間600という数字は一手術室だけでの数値であります。他施設の同業者からは、“何故そんなことができるのか?”というご質問をたくさん頂きました。また、“そんなにあせってやらなくてもいいじゃん”というご意見もありました。ただ、私どもにはあまりそういう感覚は無かったんです。よく覚えていませんが、小児科の先生方のリクエストどおりに手術を行っていただけでしたし、頼まれれば、スタッフ皆で“よっしゃよっしゃ!”という気分でした。また、当時は“今日はいつもよりいい手術だったね”というような比較意見も出ませんでしたし、“教えてくれという若手がいて、教えたいという年寄りが居ただけ”という妙な雰囲気だけだったのかもしれません。ただ、“100点の手術をしても、何故200点ではないの?”と叱られる雰囲気は確かにありましたし、“手技は秘技である、従って盗め”という雰囲気もありました。
いずれにしても、手術室の回転だけでなく、ICUでの子供たちの回復度が速いこと、またそれに伴って病棟を含めてベッドの回転効率が良かったから達成できたのでしょう。
高尾先生が作り上げてきた、一手術室で3~4例の心臓手術を縦に計画し、17時に終わることが当たり前という感覚とその実践は、榊原記念病院手術室に入職する新人には、ぜひ経験して欲しいと思います。恐らく、少しゾットするような快感を覚えることは間違いありません。ただし、同時に、仕事の厳しさも十二分に感じることになるでしょう。仕事を覚えるということは、ベテランの時間の使い方を覚えることでもあります。すべてが上手く流れていました。移転後、実にあっけらかんとした500例の達成でした。
次回は、“あの時と今のギャップの巻”です。