Doctor Blog

コラム

新宿懐古

 ふと、昔のことが蘇ります。
 そういえばあの時、確かにあの人たちは、そんなことを喋っていたのです。
 記憶は多分に薄れていますが、本稿では、彼らとの思い出をまとめます。設定の変更など、多少盛りますが、それは間違いなく、「時間、感情、祈り」についての話しでありました。
 読者の皆さまには是非、昭和晩期の新宿歌舞伎町、新宿二丁目、花園神社界隈を想像され、また、小生の30歳代の真摯かつ初々しい態度を慮りいただいて、このタイムマシンの物語、ゆるりとお楽しみいただければ幸いです。

 

友人A
『新宿歌舞伎町、巨大な演劇場の一階にある古き喫茶店。
窓にはようやく寝覚めの光が射し込み、この街独特の音が微かに響き始める。しかし、この室内は異空間のように静かで暗い…。珈琲、タバコ、古いソファのスポンジ、どれとも言えない“昭和の残り香”が漂い、誰もが息を潜めるような沈黙がそこに留まっている。
時は昭和晩期…、これは、古き友人(おそらく同学年)との会話である。』

{再会と間}
高橋:
「いやあ久しぶり…。ところで何処行ってた? 皆、心配してたんだよ。
でも変わらないね。相手が話し始める前に、必ず一度、息を整える。その呼吸の仕方だけは…。」
友人A:
「1年半振りのご挨拶がそれかい? 相変わらず妙なことを言うね。普通、誰もそんなことに気付きはしないよ。
まあでも、“人より一拍遅れて息を吸う”とは、よく言われるけどね…。無意識なのさ。」
高橋:
「いやいや、素晴らしい特性だと言いたいだけ。その一拍の“間”で、相手の意図をしかと受け取っている。流石は、一昨年の弁慶橋釣り堀、鮒釣り選手権優勝者だな…。」
友人A:
「でも、息を整えるのはまだカワイイ。むしろ、お前の方が少し異常に見えるぜ。言葉が出る前に、一度深く沈みこむ姿勢を取るのだからな。
良く言えば、石を落とす前の川面の静けさ、みたいな。悪く言えば、子どもの金魚すくい、みたいな…」
高橋:
「それって褒め言葉か…? でもまあ最近は、外科医として教えられることが多くてね。例えば、言葉は、出す前に形を整える必要がある、空気までも整える必要がある、これは外科医の鉄則なんだとさ。要は、“間”を保つってこと…。花園の神主も言っていたことだけれどね。」

{濃密}
友人A:
「確かに、俺たちの仕事は8割が“間”だな。
沈黙の中で相手の気配が変わる。呼吸が揺れて、視線が少し落ちる…。話すことより、沈黙のほうが難しい。でも、その一つひとつが“情報”となる。」
高橋:
「その点、外科医は100%だよ。
赤ん坊は喋らないし、些細な変化が重大なサインになる。その意味では、“沈黙”の方が雄弁ということ。
外科医の時間は、確かに普通の時間とは違う。言うなれば“密度の極端に高い時間”。ちょっとした時間が大きな負荷となり、“命の重さ”が時間に乗っかってくる。
だから、外科医の多くは、時短々々とけっこう煩い。でも短さだけを追うと、返って手技が粗くなる。結果、時間は“伸ばすように感じさせながら短く使う”ようにすべきだなんて、訳解らんことを恥ずかしげもなく言ってしまう。この矛盾が、今の外科医の新しい時間なのさ。」
友人A:
「あ~あ、また髙橋の妄想劇場の始まりか。それって、俺も一緒に沈み込めってことか…?
ところで、時間を伸ばすように感じさせるって何だよ?」
高橋:
「集中が極限になると、世界が静かになる。手元だけが異様に明るく、はっきり見える。それが“時間が引き延ばされたように感じる”状態…。」
友人A:
「ああ、それだったら俺も経験があるような、ないような。
そう言えば、売上が一番良かった頃、20席を回っているのに、“全部がスローモーション”になる瞬間があったな。時間が伸びて、空気が重くなる感じ…、でも身体はちゃんと動いている。」
高橋:
「時間の歪みって言ってもいいか。
集中が限界点に達すると、人間は時間を加工する。恐怖や焦りではなく、“祈りのような集中”の時にそれが起こるのかもしれんな…。」

{時間の変化 集中、緊張、祈り}
友人A:
「そうだな、確かに俺の仕事の時間は、“お客の感情の濃度”によって引き伸ばされたりも、縮んだりもする。
楽しい空気→30分が5分になる、気まずい空気→5分が30分の重さになる、泣きたい客→沈黙が永遠に感じる、怒っている客→1秒が痛いほど長い…」
高橋:
「それはよく解る。感情が強いと、時間が身体に重く乗っかってしまう。」
友人A:
「それって、観察の緊張なんだな。
相手の感情の起伏が大きいほど、時間も揺れる。この揺れを読み間違えると、人間関係が壊れる。だから、緊張感は常にある。」
高橋:
「悔しいが、全く同感。時間が揺れた瞬間を見逃すことは、命の危険を見逃すことでもある。」
友人A:
「瞬間といえば、俺には“忘れられない沈黙”がある。
あるお客なんだが、入店してからずっと、俺の顔を見ない。
最初は“怒ってるのか?”と思っていたんだが、なんと、目が泣く寸前の目で…。黙って隣に座ったが、10秒がすごく長かった。自分の呼吸の音が聞こえるほどに。すると彼女が突然言ったんだ。
『死ぬつもりだった。でも、ほっといて貰ってよかった』、その瞬間、“祈りは沈黙の中で叶う”と初めて思った。その後はしばらく、難儀な時間が続いたけどね…。」
高橋:
「その感覚は納得できる。
手術中、ほんの少し、“動きを止める瞬間”がある。その時間の中に祈りがあると思うことができれば、手術はなぜか整う。」
友人A:
「まるで、時間が味方したみたいな…、だろう?」
高橋:
「そうそう、ちょっとした時間が祈りを整えることは確かにある。
ああそうだ。瞬間といえば、ある手術の時、“自分が手を動かしている”という感覚が消えたことがあった。
心臓を止めている時間が長引いて、一刻を争う状況になったその時、何故か突然、手術台の横にもう一人の自分が立っているような錯覚に陥ったんだ。
時計を見れば針は進む、でも時間は完全に止まっている。自分の中で、時間という概念が蒸発した感覚といえばいいか…。自分が希薄になったというか、無我というか。」
友人A:
「お得意の幽体離脱、ってか?
でも、過去→現在→未来の順序が潰れて、一枚の面に並ぶ感覚。視界はクリアなのに、時間の手触りがない。まるで夢の中。それは、経験がある。わかる気がする。」
高橋:
「時間が壊れるのは、脳の処理能力が限界を超えて、時間を捨てて動作に全振りする、そんな時間に起こるのだろう。集中の極致、緊張の極致だな…。」
友人A:
「…緊張の極致?  よく分からん。」
高橋:
「時間は、本来“意識が作るもの”だろう…? だから当然だよ。
緊張には二種類ある。一つは恐怖、そしてもう一つは祈り。
恐怖の緊張は、身体を固くし、判断を鈍らせる。一方、祈りの緊張は、集中を高め、世界を静かにする。」
友人A:
「俺たちも同じか。売れない奴は“恐怖の緊張”で手が硬い。売れるのは“祈りの緊張”で目が優しい。
高橋:
「恐怖は自分を守ろうとする反応のこと、祈りは自分以外に意識を向けること、この差が、緊張の質を決める。
ところで、緊張を祈りに変える方法ってあるんだろうか?」
友人A:
「もち、あると思う。
俺たちの世界では、まず、“相手の名前を心の中で一度呼ぶ”。それだけで、意識は、自分から相手へ移る。これが祈りへの第一歩。
名前を呼ぶことは、相手の存在を一度、胸の中で受け入れること、その瞬間、自分の緊張は相手への祈りに変わる。
この世界に入って、まず叩き込まれることはそれさ。」

{教育}
高橋:
「なるほど。そういった意味では、手術の教育も、技術より先に“時間の扱い方”を教えるべきかもしれない。
たとえば、動かす前に1秒だけ止まるとか。祈りの姿勢を作るために…。」
友人A:
「そうだな。止まる時間は、確かに必要かもしれない。いや、実際に止まらなくても、そう意識するだけでいい。
人気があって売れてる奴は、席に着く前に必ず、呼吸を整える。それは祈りの準備とも言える。それは、“相手の呼吸のリズムを聴く”ということ。やはり、時間をどう使うべきかだな…。
昔、俺が若い頃、ある先輩は“呼吸は魂の動き”と言っていたことがある。
確かに、呼吸を感じられる奴は必ず伸びる。逆に、呼吸が読めなければ、どれだけ技術があっても崩れる。」
高橋:
「そうすると、時間は“所有”するものではなく、“渡すもの”と言っていいか。時間を独占しようとすると、心が濁る。」
友人A:
「俺は、むしろ“抱えるもの”と思ってたけどな……。
でも、なんだか少し違う気もしてきた。確かに、渡す気持ちがあった時ほど、相手は救われていた気がする…。

…それにしても、相変わらず面倒くせえなあ。久々に会って、何でこんな話になるかな。もうそろそろ外科医辞めて、うちに来ればいいんだよ。ナンバー2にはなれるかもな。」

 

友人B
『新宿三丁目の交差点を抜けると、空気がわずかに変わる。
表通りより湿度を含み、コンクリートの冷たさの奥に、人の体温が静かに滲むような気配。そんな道を抜けていくと、二丁目の路地は急に昭和じみた狭さになり、看板の灯りが距離感を狂わせる。
ここは、“人間の本音”が普通に転がる街…。その中で、ひときわ古く、時代に取り残された薄紫のネオンが灯った。
時は変わらずの昭和晩期…、これは、古き友人(年齢不詳)との会話である。』

{いつもの…}
友人B:
「あらセンセ…、迷わなかった? 良・か・っ・た。それにしてもお久ねえ。
この辺り、賑やかになったでしょう…? ケバなネオンが作るアタシの影が妙にオバサンに見えてしょうがないのよねえ、まったく。
でも今でこそ、こうだけどさ。20年ほど前は真っ暗だったのよ。街灯も少なくて、自分の影がお友達みたいな夜ばっかりでさ。すべてに“夜の緊張”があったのよねえ。
お客が来るか来ないか、警察が来るか来ないか。アタシが誰を待つのか、誰がアタシを待っているのか。
ああそうだわ、私が若かった頃のちょっと昔の頃、“止まった時間でしか見えないものがある”、そう教えてくれた先輩がいたわ。確かにあの時は、時間が止まることが多かったわね。
センセ、“止まる時間”ってね、人が自分の内側に落ちていく瞬間なの。だから怖いんだけど、それでも、正直で、綺麗なのよ。
そういう意味で、人間ってみんな同じなのよ。場所が二丁目でも、センセの手術室でも。」
高橋:
「…同感です。(突然に何のこっちゃ…理解不能)」

※ 高橋は、表情を変えずに、カウンターの重い椅子を少しだけ後ろへ引く。それは決して、友人の圧力から逃げようとしているのではない。
確かに外科医もまた、止まった時間——心臓の鼓動が一瞬遅れる瞬間、それを知っている。でもどうして、こんな話題を振ってくるのか? そんなことを考えた瞬間、友人は氷をカランと鳴らし、「心配しないでいいの、もちろん期待しなくてもいいわ」、そう言いながら、口の端を曲げて薄い煙を吐いた。

{匂う}
友人B:
「センセ、裏話ひとつ教えてあげるわ。
二丁目ってね、人の“夜の匂い”が一番濃くなる街なの。」
高橋:
「夜の匂い…?」
友人B:
「そう。嘘をつく人って、香水を重ねるの。対して本音で来る人は、逆に匂いが薄いのよ。
不思議でしょ?」
高橋:
「そ、そうですね。…医療も似ているかも…。心が不安な人ほど、声のトーンがやたら整っている。」
友人B:
「それよ、センセ、それなの!!
人って、不安な時ほど“整える”の。平気な顔を作るのよ。
あたしね、二丁目で学んだのは、“整ってる人ほど、崩れる準備ができてる”ってこと。」
高橋:
「それは…確かに…、手術中の若い外科医にも感じます。怖さを隠すほど、手が震える(俺は何を言ってるのだろう…)。」
友人B:
「センセ、緊張って“匂う”のよ。どんなに隠しても。
昔、ある若い子が、“緊張はどうやれば無くせるの?”って聞いてきたの。
あたし、つい何故か興奮してこう言ってやったわ。『緊張は捨てるんじゃないのよ。 “抱いて黙って座ってろ”って。』
それがね、アタシたちの“祈りの入り口”なの。」

※ 高橋は、固まったままである。それは3分ほどであったであろうか。瞳孔の大きさの復活とともに、深く共鳴した振りをしながら、ゆっくりと息を吐いた。

{翻訳}
友人B:
「センセね、祈りって何かわかる?」
高橋:
「心を整える姿勢…と、僕は思います(何だか少し怖くなってきた…)。」
友人B:
「ううん、違うわよ。いつまで経っても心が解けないひとねえ。
祈りってね…、“寂しさの翻訳”なの。
人はね、本当に寂しい時、言葉が出てこないの。
その言葉にならない感情を、静かに自分の中で“翻訳”していく時間。
それが、い・の・り…、フっ…。」
高橋:
「…フッ、ふ、深いですね。(フっ、て何だ…?)」
友人B:
「センセ、手術で人の命と向き合う時、“寂しさ”を感じる瞬間って、あるんじゃない?」
高橋:
「…あると思います。
赤ん坊の心臓を見る時の“どうしようもない孤独感”、そして、心臓の鼓動が止まった瞬間…、あれは、人間の本当の“孤独”です。」
友人B:
「だっしょう…、だっしょうね!
おそらくその時、センセの心は、きっと祈ってるんだと思う。」

※ カウンターの上で、祈る形で握られた髙橋の両手は、さらに大きな友人Bの両手で既に覆われている。長いまつげに、頷くしかない…。

{撫でる}
友人B:
「センセ、緊張ってね、無理に消そうとすると暴れるの。」
高橋:
「分かります。緊張は“消す”ものではない。扱うものという気がします。」
友人B:
「そうなのよ。物分りよくなったじゃない。
でも、あたしの経験じゃあ、緊張は“撫・で・る・も・の”…。」
高橋:
「撫でる…?(鳥肌が…)」
友人B:
「怖さ、恥ずかしさ、期待、欲望…、いろんな感情がぐちゃぐちゃに絡まった塊。それをね、否定しないで、“分かってるよ”って撫でてあげる。」
高橋:
「ああ、ああ…、確かに、若手が緊張している時、『怖いままで手を動かしなさい』と言います。
怖さを否定すると、逆に失敗することもあるから。」
友人B:
「そうなのよ。緊張は“連れ歩くペット”みたいなもの。扱い方を間違えると噛まれるけど、ちゃんと撫でたら味方してくれる。
二丁目の女の子たちはね、そんな感じで、緊張を“武器”に変えるのが上手だった。昔は特にね。」

※ 友人Bは、氷を揺らしながら独特の間をつくる。その不気味ともいえる沈黙に、百八の梵鐘の音が染み込んでいく。

{時間と生}
友人B:
「センセ、二丁目ってね、ちょっと前まで、“長い時間”が流れてたのよ。」
高橋:
「今よりゆっくりしていた?」
友人B:
「ゆっくりじゃないの。ただただ、濃かったの。ただの1分にも人生が絡まって詰まってた。」
高橋:
「それって何だか、手術時間の感覚と似ていますね(だいぶ慣れてきた…)。」
友人B:
「人が本音で話す時、時間の密度は上がるのよ。二丁目は、みんなが本気で生きていた。だから時間が重かったの。」
高橋:
「現代は…、やはり軽いですね。」
友人B:
「そうよ、軽すぎるのよ。人が本音を出さないから。祈りも、緊張も、寂しさも、全部、自分の影に隠れてる。
センセ、これも裏話なんだけどね…。二丁目ってね…、“救われた人間”より“救えなかった人間”のほうが多いのよ。」
高橋:
「うーん、医療も同じかも。救えた命より、救えなかった命のほうが記憶に残る。」
友人B:
「昔からそうなんだけどさ。この路地では、泣き崩れた子がたくさんいたのよ。恋人に捨てられた子、家を追い出された子、名前を呼ばれたことのない子。」
高橋:
「……。」
友人B:
「二丁目は、ある意味、“生きるために夜を歩く場所”でもあったの。お金より、酒より、恋より、“生き残る”ことのほうが大事だった。」
高橋:
「私にも、救えなかった赤ん坊がいます。祈っても届かなかった子がいる。
その度に、自分が小さくなるのが分かる。」
友人B:
「何言ってんのよ、センセ。
それは、届かなかったんじゃないの。“届く途中で、その子が休んだだけ”なのよ。
祈りが誰かに届くと思ってる内は、まだ半人前よ。外科医ってヤツは、甘やかされて育ってるんだから、まったくもう…。」
高橋:
「じゃあ、何のために祈るんです?」
友人B:
「祈りはね…。“自分の寂しさを静かに見つめる時間”なの。寂しさの翻訳ってことよ。
あれはいつだったか、あたしの店に“祈る子”がいたのよ。そう、誰も見てない隅っこで、何十分も手を合わせてる子。」
高橋:
「…何を祈っていたんでしょう(……)。」
友人B:
「知らないわよ。あたしに教えてくれるはずないじゃない。
でもね、ある日、“私にも、生きてるって心から思える日が確かにあった”、って言ってくれたの。とても暖かい気持ちになったわ。
祈りってね、誰かに届くんじゃないの。いずれその内に、“自分の中の何かに戻ってくる”ものなのよ。センセも、そうでしょ?」
高橋:
「ええ…。祈っていると、自分の中の静けさに戻される感覚があります。」
友人B:
「それをね、上手いこと言った客がいたのよね。それは、“魂の座に帰る”ことだって…。どう? しっくりくるでしょう。
例えば、緊張ってことを考えてごらんなさいよ。結局、緊張するってことはね…。それって、ただの身体の反応じゃないのよ。」
高橋:
「というと?」
友人B:
「緊張は“霊性”なの…。
緊張してる時って、背中の後ろに“誰か立ってる気がする”時ってあるでしょ?」
高橋:
「う、うん…あります。特に、重大な判断の前に。(そろそろ帰りたい…)」
友人B:
「そう。それよ。それなのよ…。“あんた一人じゃないよ”っていう気配なのよ。だから緊張はね、“呼ばれてる時”に起きるの。」
高橋:
「呼ばれている…。
それは…、医療現場でも感じます。“ここで引いたらいけない”“今、前へ出なければいけない”、そういう瞬間に限って、身体が震える。」
友人B:
「その震えがね、“祈りの合図”でもあるのよ、センセ…。」

※ 友人の、怪しく揺れる眼差しがとても怖い。でも彼女(彼)の物語は、医学とも宗教とも違う“夜の哲学”なのである。大きく頷いてしまう自分と、怖いもの見たさにちょいと質問を重ねようとする自分…、果たして小生は、このままここにいていいのか…。

{光と闇}
友人B:
「センセ、時間には二つの種類があるのよ。
それは、闇の時間と、光の時間…。
闇の時間っていうのはね、誰にも言えない感情を抱いてる時間。失恋、死別、隠しごと、嘘、後悔…、そういうものが胸の底で渦を巻いてる時のこと。」
高橋:
「光の時間は?」
友人B:
「それ、敢えて聞く? 当たり前のことじゃない。
それは“赦し”の時間よ。自分を許し、誰かを許し、世界を少しだけ信じてみる時のこと。
それでね、もう一つだけ、二丁目の裏話を言うと…、ここでは最近まで、“闇の時間で生きてる人”が多かったのよ。」
高橋:
「で、ママは、その人たちを支えてきた。」
友人B:
「支えたんじゃない。“一緒に闇に座ってただけ”。祈りも、緊張も、ただただ、全部一緒に座ってた…。
センセ…、ここではね、本当に苦しんでる子を抱きしめる時があるの。その時は、“あたし”がいなくなるのよ。抱いてる手があるだけ。心臓の音だけが聞こえる、あたしの存在が薄くなる…。
それって無我って言うのかしら…。
“その人のためだけに存在してる時間”では、自分のための時間が消えてしまうの…。でもその時ね、逆に、あたしって存在が存在しても許されるって思えるのは…。寂しいものよね。」
高橋:
「……。(夜が明けそう…、結局、客は小生一人、そして眼の前には、ガタイのいい二丁目の夜の哲学者)」
友人B:
「でもねセンセ、二丁目の本当の魅力はね…、“朝”なのよ。」
高橋:
「夜ではなく?」
友人B:
「そう。朝の二丁目は、夜の名残がまだ空気に漂ってる。タバコ、涙、香水、嘘、愛情…、全部が薄く溶けて、“現実”に戻っていく…。」
センセ、あんたも見事な朝を知っているでしょう。最近では稀有な“夜の人間”だと、アタシ的にはそう睨んでいるのだけどね…。」

※ 看板のネオンが消え、路地の匂いが変わる。湿気が減り、どこか冷たくて、やさしい朝の匂い。
友人はカウンターを軽く拭きながら囁く。「祈りはね… “夜に磨かれる”の。」せっせと動く大きな手と大きな背中、そしてやや蒼い頬に、柔らかい温かさだけでなく、儚さまでも感じてしまう。

 

友人C
『右眼だけで花園神社を見ながら、鬼王さんへ向かって暫く歩くと、夜の喧騒とは別の深い静けさが棲む街がある。そして赤い提灯を目印にさらに奥へ足を踏み入れれば、ふと、空気が変わる…。
一軒の割烹——木製の引き戸には手書きの筆文字。中に入ると、カウンターの木の艶と白木の匂い、火を使う前のうっすらと温かい室温。
「久し振りです。本日はよろしくお願いします。」
「おいでやす…。まぁ、楽にしてくれはったらええ。」
時は同じく昭和晩期(今日は初午、まずはあの時と同じ、お稲荷さんとからし菜が並ぶ)…、これは、古き友人(かなり年配)との会話である。』

{時間、祈り、緊張}
友人C:
「京都の料理はな、味で勝負するように見えるかもしれんけど…、ほんまは “時間”が決める世界なんや。」
高橋:
「時間、ですか。」
友人C:
「ああ。野菜が育った年月、鰹節が乾いた日数、出汁が香る一秒…。料理人は素材の“人生”を預かってる。」
高橋:
「なるほど、それは医療にも近いものがあります。生まれた瞬間から積み重なった“命の時間”を、手術中に預かっています。」
友人C:
「センセ…、
わしが京都で叩き込まれたんは、“手を下ろす瞬間こそ、時間を聴け”いう教えでした。
包丁は“刻むため”にあるけど、センセの手術のメスは“救うため”にある、目的は違うけど、刃物を入れる瞬間の緊張は同じやと思いますわ。」
高橋:
「その瞬間、世界が静まりますよね。」
友人C:
「静まります。耳が遠のいて、目の前の素材だけが“生き物”になる。」
高橋:
「はい、心臓に触れる瞬間…、あれも世界が止まります。」
友人C:
「センセ、わしは料理が“神事”やと思うてました。京都の老舗では、料理場は“祈り場”やったんです。」
高橋:
「それは…非常に興味深い。料理場が祈り場…。」
友人C:
「そうです。素材の命、食べる人の命、作る人の心…、全部つながってるんですわ。
センセ…、祈りには“温度”があるんでっせ。」
高橋:
「温度…?」
友人C:
「ほんまに大切なもんに触れる時、手ぇがほんの少し熱うなる。逆に、迷いや焦りがあると、冷たなる。」
そして、緊張にも二種類あるんですわ。殺す緊張(焦り)と生かす緊張(祈り)。
料理人もな、焦りの緊張やと味が薄うなる。祈りの緊張やと、味が澄むんですわ。」
高橋:
「それは同感ですね。恐怖の緊張は手を乱しますが、祈りの緊張は手を静める。」
友人C:
「わしは…、料理が祈りになる瞬間を何度も見ました。
包丁が迷いなく入った時、鍋が勝手に火を落とすように感じる時、出汁が自分から香りをひらく時…、あれは、料理人の祈りが通った瞬間なんやと思います。」

{静けさと狂気}
高橋:
「京都時代のことを、少し教えていただけますか。」
友人C:
「そうですな、ワシがいた店はな…。“静けさが狂気”みたいな料亭でしたわ。」
高橋:
「静けさが狂気…?」
友人C:
「音を出したら怒鳴られる。足音が聞こえたら叩かれる。氷を割る音にすら、雑念が入っていると言われる。あの世界は、沈黙に支配されとった。」
高橋:
「手術室に似ています。」
友人C:
「そうでしょうな。静けさの中で、自分の呼吸だけが大きく響くんです。」
高橋:
「その緊張は…、身体を削りますよね。」
友人C:
「削ります。でも、その緊張を“撫でられるようになった時”、料理が変わるんです…。」
高橋:
「…撫でる…」
友人C:
「センセ…、わしが京都を出た訳は、センセもようご存知やと思うのです。
全てが終わってますさかい、誰ももうわしのことは気にかけへん。後悔はせえへんけど、ただ、この齢になってからの出来事やさかいに、若気の至りで済ますことはできしまへん。
京都の料亭は“客が神様”の世界…、結局、“祈り場”という神聖な仕事場で、この包丁を穢してしもうた…。
…略…。
でも、センセたちのお陰で、この街でようやっと生き返りました。有難うございました。」
高橋:
「いや、親方…、祈りは、ときに誰かの未来を守るために、“刃の形”になることがあります。……。」

{祈られる}
友人C:
「京都を出た夜…、わしはもう、料理も人間も信用できんようになっとりました。まさに、“ホッチッチかもてなや”ですわ。
心が折れた…? いや、自分でもよう分からしまへんが、折れるやのうて…、祈りが途絶えたんだと思います。
でもな…、新宿は違った。」
高橋:
「違う…?」
友人C:
「新宿は、深い傷のある人間ばっかりや。
嘘つきも、孤独も、裏切りも、全部飲み込んで、何事もなかったように“今日、生きてる”人らがぎょうさん歩いとる。
その空気に触れて…、昔に世話になった先輩の店で働かさせて貰うて、“わしも、もう一度、料理ができるかもしれん”、そう思うようになったんです。もちろん、新宿に来ての半年は、流石に包丁を触れんかったけど。」
高橋:
「何があったのですか…?」
友人C:
「…わし、思うんです。」
高橋:
「何をでしょう。」
友人C:
「人は、祈られたら強うなる。祈る人も強うなる。
ほんで…、“祈り合える人”が一人でもおったら、人生は捨てたもんやない。
結局、わしも随分、皆さんに祈られたんでしょう。一旦その幸せを知ったら、わしも精一杯、誰かを祈ろうという気持ちになる…。
結果、泣くことを喜劇に換えて、また泣いとる…、それが新宿や、思います。
センセも同じかもしれへんが、料理人は、人生の“縁側”みたいなところで仕事してますさかい。生まれて、食うて、病んで、死んで…、でもそれでも、その途中の道に対して、そっと手ぇ添えて支えてあげる、そんな仕事ですわ。」
高橋:
「…祈りが戻ってきたのですね。」

{祈る}
友人C:
「センセ…、料理と医療の違い、なんやと思います?
どっちも“命へ手をさしのべる仕事”や。ただ、医者は命に触れ、料理人は命を運ぶ。それだけですわ。わしはそう思います。」
高橋:
「命を救う道と、命を続ける道…、祈りの形が違うだけですね。」
友人C:
「祈りってのは、生きたいいう気持ちを心底、応援すること。
…この包丁、最近、勝手に動き出す時があるんです。火が自分を助けてくれる時もある。不思議と、“作ってるんじゃない、作らされてる”と思える…。
それって、無我って言うのやろか。その一心もまた、祈りかもしれんと思うてしまうんです。
ただ、無我っていうのは…、“自分がいない”んやない。
それは、“相手だけがいる状態”なんやなかろうか。つまり、相手を心から懐う…、そんな時間を選び取ることができるか、そして、その時間にいる自分をしっかりと認識できるかどうか…、そう思います。
センセ…、結局、祈りって、それだけのことでっしゃろ…?
声に出さんでもええ。文字にせんでももええ。ただ、懐うことと確認という時間が心の中心で選ばれる…、それが祈りですわ。」
(そして、これもあの時と同じ、濃茶と春告鳥が並ぶ)
髙橋:
「……。京都の鬼が随分と変わりましたね。
では次回もまた、新たな祈りの味をいただいて、しっかりと祈られてみましょう…。ご馳走様でした。(これって間違いなく、鬼王さんの“鬼が内”のご利益…)」

 

「世の中にはまだ…、昔を歩ける場所があります。」