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コラム

道中二足の草鞋|14. 隙間と感情

 外科医に限って申せば、やはり、大切な時期があります。
 それは、気持ちが変な色に染まらないように隔離してもいい、そして、本来なら向いていないのに、向いているような仕込みをしてもいい…、そんな時期です。つまり、極論と結論を申せば、研修期をどう過ごすかです。
 年上の先輩をちょっとだけ尊敬して、美意識だけで自己制御ができるようになる…、研修期は外科医人生の中の最も肝心な隙間なのであります。
 

 ですから、我々ロートルは、そんな若手の青春に付き合ってやらねばなりません。
 その空間にいるだけで充分な妄想時間が貰えそう、他人の経験も自分のものになりそう、そして戦法に応じた基本をしかと学べそう…、そのような「働きなさい、休みなさい」ではとても経験できない大人の時間をたくさん分けてあげるのです。
 無論、そこには大人っぽい大人が必須です。
 あの人がこう言ったから間違いないだろう、あの人の言うことなら聞いてやろう…、そういう大人がいなければなりません。予想より少しだけ前方斜め上を見張ることのできる、そんな大人です。
 

 そうですね、まずはそういった伝統の養分の中で、じっくりとお世話いたしましょう。
 特に手術教育においては、知識や情報を与えるのではなく、知恵を根付かせる素材を置いておくことこそが肝要です。若手が目の前の大人たちに可愛がられて、早々に古典というものを理解すること、そして、美しいものに対して、「これがそうなんだ」と気づかせること…、学問の始まりはそういうものと考えます。
 

 しかし今や、「手術の美」というものは共有の概念に過ぎず、これが美だと教えられて、個々それぞれが合唱し合っているに過ぎないのかもしれません…。
 出来ないことを探して、それを逐一、ただただ叱咤激励するだけ、特に個々の手技を煮詰めようとさせるだけ…、これでは幾つかの“手わざ”を統合させる手術は成り立ちません。それはまるで、プリンに醤油かけて雲丹味とするようなもの、経験上、逆に若手の心は負荷を掛けられっぱなしになってしまいます。物足りなさもまた感じるようですね。
 大切なことは、手術の流れの中の、最も高い意味での人間の感情を汲み取る能力です。
 大人という存在がその意味さえ分かっていれば、出来ないこともできるようになるし、取り分け、手技自体は繋がりを持って付随的に向上していきます。それが手術独自の自然…、肝心と言っていいと思うのですが如何なものでしょう。お前が言うなと思われるかもしれませんが、手の術そのものは、周りの感性に合わせて深まるものなのです。
 

 そういった意味で、研修期は“必須の無駄”の連続であります。
 気持ちの中では、端から無視してもいい、いや、端から知ろうともしなくてもいいのです。手術というものは、これしかない、いや、これもあるぞと考えていいのです。色々でも、色々でなくてもいいのです。そうでなければなりません。
 大人の対応を心掛けましょう。倜儻不羈にやりましょう。一つだけでも、伝説を作ってあげましょう。
 手術の流れで喫緊に大切なことは…、「それマジ美穂?」、この質問にその都度、「Yes」って答えられるかどうかです。

『 外科医だったら誰だってそうだと思うが、僕もまた、「上手、有名、リッチ」に憧れていたんだ。
 しかしあの時、それらは遥か彼方でシャッフルされているもの、日本では夢でしかなく、三つが揃うなんて滅多に無かった。平行に走るだけだったのさ。ドリームという見込みの言葉は、東の海を超えた向こう岸だけにあったんだ…。
 でもだからこそ、僕の心内には謙虚な風が吹いていた。兎にも角にも運だけを整える、そんな明るい毎日だったのさ。大衆化と下品を履き違えるような狡さはまず無かったな…。もちろん、ちょっとは注意していたけどね。
 ハテさて、あの当時の僕の心根には一体、何が乗っかっていたのだろう。
 誰かのために意地を張っていたのか、それとも誰かの意地を壊そうとしていたのか。いや…、ああそうだ。そんな自分を見ている、極めて人情的な仲間たちにいいところを見せたかっただけかもしれないな。
「えっ、意味不明…?」ってか。だって、それ位しか目立つことって無かったんだよ。まあいいじゃないか、たまにはエエかっこシイしたいと思ってもさ…。でもまあ、それはそれとして、どんなに手術しても、どんなに病院に泊まっても、心はあまりへこたれなかったな。夢の中で文句を言うことはあったけどね。そこにはプラマイゼロの楽しさがあったんだ。
「えっ、何故…?」ってか。今度はそうおっしゃいますか。うーむ、そんなに不思議なことか?
 簡単なことさ。それは単に、逃れたい時には何時でも逃れていいという了解があったんだ…。
 元々、ここはそんな処、医師としては多少間違っていても、ここの外科医とすれば正しいことが幾らでもあったし、ぽつんとした口調ならば、何でも喋っていいんだ。勿論、広報と自慢をごった煮するような小賢しい輩なんている訳ないし…。そうやって45年ほど、損得勘定なしの手術をやってきたのさ。手術的な偏差値が少しだけ高かっただけに、「馬鹿じゃないか」ってよく言われはしたけどね
 それにしても最近は、油断すると、ついつい手術小僧に戻ってしまうなあ。
 昔々のことだが、ここでは、欧米から来た医療を習っていても、何もかもが倭臭化していったことを良く覚えている。この不思議な機微は、あの当時の若手なら誰もが経験したもの。しかし今では、若手やチームに対して、当然に日本人でありながらも、「こいつら日本人なのに…」と、改めて馬鹿馬鹿しい平凡な事実に気づいてしまうんだ。この奇妙な欧米化感は小生だけだろうか。レンズの度合いが違ってきているのか、それとも思い出だけを拾い上げるだけで、自分が小さくなっているのか…? でも少なくとも、見る角度の修正だけは絶対にしてはいけないね。そうは思うよ…。
「あの時はよう頑張った」、10年ほど前までは確かにそんな声はありました。でも今はもう聞こえない。
「夢と現実は微妙に違うのさ」、「美とカッコ良さは完全に違うのさ」、いやいや、そんな声は聞きたくない…。

……あらら、もうこんな時間か。少々喋り過ぎたようだ。そしたら、「神職が考える外科医の幸福」については、また今度。時間の隙間がある時にということで…。もちろんご祈祷付きで… 』