道中二足の草鞋|13. 時間
思えば、あの昭和晩期は、外科医のイメージを頭に描くだけで時が流れる毎日…、良い外科医が良い人とは限らないと分かってはいるのですが、分かろうとすればするほどに、そして分かれば分かるほどに、分からないことが増えていくのでありました。最も、人が言うほどに不幸な商売でもないのですが…。
…にしても、若手外科医は実に天邪鬼です。
「分かるんじゃないか」と思えることは、むしろ手術以外の事柄から奪おうとします。
「そういうのって、抵抗あるなぁ…」と思うことには、横目で眺めるだけの習慣が身に付いていくのです。
無論、一喜一憂するだけの知識はありません。そこにいる皆がそうしているからそうするだけ、声にされるのを待つ言葉はまだ自分の中だけにありました。観察のみが彼らの知恵です。
そんな環境では、とても小さい事を、とても大きく考えざるを得ません。正論は無意味です。他人を気にすることもなく、自から比較することもなく、ただ他人からの目線だけが変化していきます。「取り敢えず、まずは頭を下げとこうか…」、そんな気分です。知性が育つには時間が要るのです。
とはいえ、感じたことを素直に出すこと、そして素直に出さないこと…、そのような等しくは進まない2つの時間はそれなりに贅沢であったと思えます。少なくとも、辞めるという選択肢はありません。ただ何処かへ行ってみたいと思うだけ…、ほんの少しの欲求不満があるだけに健全だったと思えるのです。
さて、そのような時間とともにその内に…、いや、いつの間にかと言うべきか、
病院の中での一日の落差は、むしろ生活の一部となっておりました。自分への叱責を自分の心内だけで処理できるようになっていくのです。
そして、沢山の決まり事の中であっても、その心地良さを思うようになっていました。心の痛みは、診断のつかぬままでも、何故か一日、いや二日で回復するようになるのです。
結果、臨床で通用する正しい理屈だけが残っていきました。恐ろしいですね、若さってものは…。
ところで、人間は基本的に、数値に生きるべきではないと思うのですが如何でしょう。
何故なら、多事多難の中であっても、一瞬でも平穏を見つけることが出来れば、時間はゆるりと自動化していきますからね。
そうなれば、暇とも言える、無駄とも思える隙間を見つけることが出来ます。そこに仲間が出来、結束が生まれ、個々の役割が与えられ、全体の目標が決まります。理屈を超えた何かが生まれ、右脳を遠慮なく使える自信が湧き、納得感の閾値が徐々に下がっていくのです。
そんな時でしょうか…、外科医は突然に何かが分かります。そして変わります。
ですから35歳とは言わないまでも、もし50に戻れるとしたら、もう少し強力になりたいと願います。人間ってものは、若い内にもっと自身の能力を信じるべきでありましょう。妙に軽くなっていると思う時にだけ、反省する数値としての時間を持てばいいのです。
さて、詳しくは申せませんが、今現在は外科学もまた、かつて人類が経験したことのない状況にあると思えてなりません。
早くも遅くもない速度で歩く…。
そのような時間は、何も難しくはなく、多分にオモロくもなく、キツくもなく…、もちろん楽なはずもありません。
無論、深く考えた訳ではないのです。しかし、それは何だか、ふわふわと漂う雲に乗っかれと指示されているだけのようで…、「申し訳ないと、まずは若手に謝ってしまおうか」、そんな気持ちになるのです。
今の小生は、外科医&神主として、あの昭和晩期の時間に感謝を伝えるだけです。
もう少しだけ時間が経てば、もう少しすらすらと、赤面なく、てらいなく、青臭いことも「マジでてェてェ」などと、説教臭く話せるのでありましょう…。
『 あれから…、秋、冬、春と、季節が3つ分過ぎたとはいえ、今は春なんて0.5ほどの時間しかないのだから、云々かんぬん……。
だから何だってことはないのです。にしても、一度、書いたことをなぞるように喋るのはとても退屈なことです。少々、大人になったのかもしれません。
喋る、妄想する、手術する、診る、そして、何にもしない…、これらに掛かる時間をそれぞれに短く感じることは、何だか得した気分です。成るほど、あの研修当時には、今の「働きなさい、休みなさい」には無い、気持ちの安らぎがありました。そして、毎回のリセットがありました。そのバランスで手術的な精神と手術的な青春気分を保っていたのです。その辺りに、子どもと大人の分岐点があるのでしょう。
そんな環境では、徐々にですが、自分好みの空気が濃くなっていきます。手術着に文献を五つほど入れて歩く姿が様になります。高い質と目標でコミュが取れるようになります。逆にシンプルでわかり易い、そんな世界も判るようになります。つまり、大人の色気が漂ってくるのです…。
しかし一方で、時計は否応なく、依怙贔屓なく動きます。失敗は許されません。ですから、覚悟もまた初めて生まれます。初体験以上の思い出も生まれます。その辺りですね。甘酸っぱさという感覚が消えていくのは…。
今はもう、楽しい思い出と悲しい思い出のどちらが多かったのか、忘れてしまいました。胸の奥がチクリと痛んだ事柄もまた、ボヤケています。しかし少なくとも、辛い時間という感覚は最初から無かったとも思えます…。それはひょっとすると、徒弟制度門下への、誰かの愛情だったのかもしれません。
現在の小生は、妄想時間が不足しているとは思えません。燃料がオートチャージされるという安心感もありそうです。何かしらの落差を受け止める勇気も持っていそうです。それは、余所者でなくなった昭和晩期のあの辺り…、その時間感覚によく似ています。古希ちょっと手前の中今、ちょっとだけ安心しております…。』