道中二足の草鞋|9. 母親
もてなす立場の外科医として、手術を受ける赤ん坊の親御さんに対しては、初めて出会うからこそ、緩和の心を大切にしなければなりません。大変極端なことを申しますが、この緩和無くして、赤ん坊の手術は成り立ちません。逆を申せば、緩和が無いから、色んな問題が起きるのかもしれません。
特に、赤ん坊が亡くなった場合、取り分け、亡くさざるを得ない場合には、赤ん坊だけでなく、母親の魂の進化を十分に考える必要があります。母親の心には一生、何かが残りますし、それは母親にしか解決できない問題なのです。
大切なことは、迎える側の環境と考えます。
それは、そこに居さえすれば自然と知るべき知識が入る環境、例えその気が無くても理解できる環境です。
もちろん、医療および科学の専門的な知識は必要です。
しかしそれ以上に、いのちや生き方など、先人たちの知恵を知ることも大切です。例えば、祈り、魂、神さま、仏さま、リインカネーション、スピリティズムなどですね。それらもまた、「緩和のための資源」として否定しない環境が重要なのです。もともと医学は神さまと濃厚に繋がっているもの、否定することはできません。そういった緩和の繋がりは、いずれその内に有用な実学になると信じます。
ただし、その環境において、全てに柔軟な赦しが必須です。
それは、「ああそうか、そういうこともあるよ」という一種閉鎖的な庶民的倫理観であります。広義であってはいけません。それは例えば、神さまを信じる人に「神さまはいない」と言わないだけのこと、そして、神さまはいないと信じる人に「神さまを信じろ」と言わないだけのことです。
加えて、同調という「かたち」を感じる環境もまた大切でしょう。
かたちとは、当たり前のことを当たり前として、多くのものを受け止めることのできる心の器です。
それは、どんなに主義主張を被せられようとも決して変わらないもの…、だからこそ褒める必要も貶す必要もないし、また、褒められることも貶されることもありません…。「覚悟なんてそこに入ってから作ればいい、何でもOK!」、そんな太っ腹な“かたち”です。
そうなれば、そこにはポジティブな緩和の言葉だけが残っていきます。決まり事もまた、人を楽にするものだけが残りそうです。それらは、幸福になることを諦めない、恐れない、かつ否定しない…、生きることを豊かにするためのものですね。「まあいいじゃないか」という共生の度量とも言えましょうか。かなり上等なものであります。
覚えておくべきことは、どんなに良い言葉や考えであっても、説明の方法と進む順番を間違えたら結局はマイナスの緩和になってしまうこと、そして、「手順を踏みさえすれば民主的である」という考えには注意が要るということ…、本来あるべきものを他のものに置き換えない心意気が大切なのです。
そうですね、自由、平等、権利という本来の意味をはき違えないように、否定すべきことは否定するように、許されないことは許さないと言えるように…、数字や理屈ではない誇りを如何に持たせるかだと思います。教育や啓蒙、慰めや思いやりなどと、無神経な言葉だけが先歩きしないようにするだけのことです。
ああそうか、結局、小生としては、外科医としての未熟性を今も反省しているのであります。でもいずれ直ぐにまた、神主としての未熟性も必ずや思い知ることになるやもしれません…。
それにしても改めまして、いのちや魂を懐うことは、かなり複雑です。
何度も申しますが、今はとにかく、母親を悦ばせるワード、神さまを悦ばせるワードをしっかりと身に付けることにいたします。自分の方言とは異なる、相手のための新たな言語を学ぶことは、それ即ち、相手を察し、案じるということなのです。
「奥方さま、そして天前の比売神さま、ご無沙汰でございました」
『 母親のその後に関して…、日頃の生活の中の最も嫌に思える瞬間を如何に過ごしているのか、気にかかります。楽に寝ることの出来る姿勢を早めに見つけて貰いたいと願います。
それにしても、心の問題は理屈の通らないことばかりです。
例え専門書を読んでも付け焼き刃になるだけ、専門家に頼んでも裏目となることもあるのです。一旦そんな思いを抱かせてしまったら、もう、どうしようもなくなります。
そうですね、まずは精神的にも肉体的にも休むという感覚を得ることでしょう。しかし場合によっては逆に、ある程度の負荷をかけることも必要…かと思います。
ただ大切なことは、休むにしろ負荷かけるにしろ、肩の力を抜く、真面目にやらない、そしてその強さをハードにしないことです。過保護とパワハラとの境目って、思いの外、距離が短いこともありますからね。「でけへんかもしれへんが、でけるかもしれへん」、そんな感じです。肝心なことは、環境の整えでありましょう。言葉は悪いですが、直ぐに笑いを生んでくれる、言語中枢が異常に活性化した人誑し人間が、そこにどれだけいるかだと思います。
先輩神主の皆さま方…、こういった母親の心の問題は、その解決に時間がかかります。
今後、妊娠出産することに疑問を持たせない、自分を否定卑下しない、次は絶対に産んでやると思わせる…、さて、どうすれば良いのでしょう。理念や哲学ではなく、できれば少しだけ数字で表現できるような答えが欲しいのです。 』