道中二足の草鞋|8. 赤ん坊
スピリチュアルは信じません。
もちろん霊的能力は皆無であります。
ただ、今までかなり多くの赤ん坊とお付き合いしまして、不思議なことも沢山ありました。
詳細は伏せますが、生まれたばかりの赤ん坊は、思ったより我々と目を合わせて喋ろうとします。また、出生後しばらくは、胎児期の記憶をやたらと持っています。経験上、これらは間違いないことです。
特に手術に関しては、これは赤ん坊だけの問題ではない、また、単に生きる、亡くなるという問題でもない…、結果には必ず原因があり、偶然ってものはあり得ない…、そう思います。加えて、DNA云々というような難しい話はさておき、少なくとも命の中には、次世代に伝えるべき大切なものが存在しており、それが本来の「いのち」である…、そんなこともつくづく感じておりました。
生命の誕生は奇跡であるとよく言われます。もちろんそうです。しかし、奇跡というよりはむしろ必然、もしくは偶然を伴う必然とも思えるのです。
ですからどうしても、心臓病で手術を受ける赤ん坊が持つ、必然もしくは偶然という役目の意義を考えざるを得ません。僭越ながら、小生の外科医という役目にも必然、偶然の理由があるのですからね。恐らく何らかの意味が必ずあるはずです。ただ申しましたように、未だノンスピの外科医であります。ですから、「その実は再生、そして魂の進化である」などと諭されても、理解できるはずもありません。
そんな外科医が唯一経験したこと、それは、赤ん坊それぞれの役目を考えることで、小生自身の心が変わっていったという現象だけです。
未だ理解できないことも多く、箇条書きで恐縮ですが、例えば…、
・ 生命を何にもまして尊ぶ心、正しいと信じる熱意は、本質的なものとして人間に与えられている。
・ 魂、神秘的存在、神という畏怖すべき存在を想像できる。つまり、自分が人であるという意味を確認できる。
・ 人間の進化は自身の幸福の為にある。幸福にならねば、それは進化ではない。もちろん、悲しみや試練もまたその進化の一助である。そう確信できる。
そして外科医の心は、多少古臭くも、さらに面白い反応を示すようになります。例えば…、
・ 現在の一般常識とは異なる、昭和的かつアナログ的アドリブが蘇る。
・ 運命には距離をおくべきなのか、それとも差を縮めるべきか、そんな青臭さを愉しむ。
・ 赤ん坊の心臓手術の本質は、心臓の修復だけでなく、ついでに3本ほど植毛することでその魂までも強くすることにある。結果、赤ん坊の魂は進化する。そんな妄想を信じざるを得ない。(内緒ですが、魂の進化という有り難いお話を聞いた外科医は、不遜にも、植毛オプションサービスを画策したことがあります…)
総じて…、赤ん坊から教わることは理屈ではありません。
それは、この世で生きるという意味も含めて、丸ごと肌で感じることであります。要は、あり得ないと思えることに対して正しく違和感を持つこと、つまり、当たり前のことを当たり前にやることでしょうか…。そうなれば、手術をする勇気も自然と湧いてくるのです。
そうですね、すべてはご縁なのでありましょう。
そんな外科医は、そうこうする内に、少々怪しげなエセスピ外科医とならざるを得ず、偶然が偶然を呼ぶこと、そして、嵐のような予期せぬ奇跡があることを、徐々に信じるようになっていくのでありました。
僭越ながら、外科医&神主の大切なお役目は、魂の「むすひ」に関して、まずは全ての赤ん坊の魂の進化を祈ることと考えます。無論、小生と縁が無かった魂も同じです。母親や我々医療者も含めて、多くの魂を悦ばせたいと思います。
「今の世の中は、赤ん坊自身が楽しいと、もしくは愉しかったと思える世界なのかい?」
新米神主もまた、神主足りうる「かたち」を整えたいと思います。まずは、投げかけるべきワードをしっかりと身に付けることにいたしましょう。
それにしても、いのちや魂を懐うということは、かなり複雑なことでございます。
「その時、何かを感じておくべきでありました…」
『 心の救いには、余裕と言うか、遊びが必要です。もちろん、勘はその触媒となります。
そこに誰がいて、そしてどんな言葉があるのか、また、儚いながらも、懐いをどれだけ残せて、かつ忘れることができるのか…、結局、祈りは一種の治療でもあるのです。
そういえば、手術三昧だったあの当時、赤ん坊の魂との付き合いは多くの繋がりを生みました。親御さんもそう、仲間たちもそう、そしてその繋がりはさらに広がったのです。
僭越ではありますが、魂を思い起こすことで、まず自身が緩和された気持ちとなります。親御さんも仲間たちも緩和されていきます。もちろん、魂たちは喜んでくれていると信じます。
赤ん坊の手術は、人間の生き様を変えるようであります。
あの時に出会った魂と別れた魂、そして、あの時に出会った親御さんと仲間たち、さらには、新たに繋がった全ての人たち…、改めて感謝いたします。神主として、皆さんの進化を心から祈らせて頂くとともに、早めにエセスピから脱却できるように努力いたします。 』