道中二足の草鞋|4. 府中も20年超え
さて、昔々のことです。
時は江戸期…、場所は府中…、とある神社内での訴訟事において、神主が医師となって種痘を行ったことが大問題であると取り沙汰されたようです。それはつまり、「血の穢れを許さず」ということなのでしょう。
しかし、お互いの言い分には確固たる信念が読み取れます。神主として誇るべき、双方それぞれの矜持がある故のことだと考えます。
ところで、やや最近のことです。
時は令和年間の節前、場所は府中…、とある病院の一室において、大幅な給与削減という、まさに時代を逆撫でするような病院史上最大の大事件が勃発したようです。いやはや神も仏も無いものか…、そこにはひと欠片の矜持も見えません。
…いやいや失礼いたしました。これは神主にあるまじき失言ですね。
でも、そんなことはどうでもいいのです。心配なのは、その時に、長年付き合ってきた神さまが一体何処にお出かけになっていたのかということですね。普通でしたら何やかんや言ってくるはずなのに、既にこの地を諦めたのでしょうか…。大変に気がかりです。
そして、今現在…のことです。
「小生は神主です」と申しますと、府中の皆さんは、疑わしい眼をしつつも、とても朗らかな笑顔となるのであります。中には手を合わせる方もいらっしゃいます。
つまり、モテるのです…。その仕草でもって、小生の気持ちは絆されてしまいます。お祓いでも、占いでも、お団子の一つでもと、何でもしてあげようかという気分になります。
しかし一方で、「未だ外科医をやっています」と言うと、何故か片方の眉尻が少し上がります。
「…あっ、あぁ⤵…」と、全てのため息を吐き出しながら、隣の人と頷き合う仕草もままあることでして…、そこで一旦、会話が途切れます。
何とも複雑な気分です。
もし、小生が廿で神主になっていれば、間違いなく、「キャッキャッ」と騒がれるような、そして、「ナイスガイ」と肩を叩かれるような、もっと素敵な青春時代があったのでしょう。今はただ…、「まだまだ現役の外科医なんですね」と掛けられる言葉が、悪気を感じないだけに、ポエムのように聴こえてしょうがありません。
さて、このように小生は今、外科医&神主という微妙な生活を送っております。
医学と神道ならまだしも、手術と神道の関係については分からないことだらけですね。
しかし、そういった中途半端な二足の草鞋状態であればこそ、今の内に考えておくべきこと、そして喫緊に為すべきことがまだまだありそう、そう思うようになりました。
否応なく、思考が過去へと未来へと飛んでしまいます。
「揺るぎのある、今その時が一番楽しいんだ。今浸らないでどうする…?」、何処かに出かけていた神さまの御声が聞こえてくるのです。
「大雪警報下の日本海某空港です。何と突然に…、超晴れ男の真値です。
ああそうだった、前回も全く同じでありましたね」