道中二足の草鞋|3. 何故
「何で?」、「まさかそんなこと」、「それがお前の青春なのか?」…。
やはりと言うか何というか、皆さま方の心にあるのは、不可解な怪しさだけのようでございます。無論、その怪しさは、当然に身内からも不信という色合いを纏いながら止めどなく湧き出てまいります。
そんな時は不躾に、「なろうがなるまいが俺の勝手」、「宮崎県小学生の人気No1の職業は神職」、「オイラは、運悪くも勇気ある幸せもの」、「取り敢えず、祭りの準備をしているだけなのさ」と、心の中で嘯くのです。
しかし、今や神さまに仕える身、外科医ならまだしも、そんなお行儀の悪いことを思ってはいけません。小生はまごうこと無き神職なのです。合理的かつ大人の対応に徹せねばなりません。
それでもこの際でございます。それらしき懐いを少し示しておきます。
外科医は四六時中、手術を受ける赤ん坊のことを考えます。傍からみるとかなり危ない存在と化すのですが、日夜ひたすら、救命という最終目標へと突っ走っているのです。
しかし如何せん、そこはやはり人間の所業ですね、上手くいかないこともありまして、気持ちが折れることも度々なのでございます…。
そんな時です。
誠に烏滸がましく、かつ冷たきことながら、心には都合の良い言い訳がふと、外科医らしく起こってしまいます。それは、実に恥ずかしき逃避心ですね。加えてややキツめの罪悪感も生まれます。外科医は常に反省と後悔を背負って生きるのです。
ですから今まで何度、御神酒を抱えて神社仏閣へと走ってしまったことか…。
もちろん、御神徳および御仏徳は前もってちゃんと調べておきますよ。でもそのような心境での神仏頼みは、まるで神さま仏さまへの脅迫、もしくは疑義ともなりまして…。外科医としての力不足は棚の最上段に上げながら、ついつい喧嘩を売ってしまうのでありました。
「あ~あ、あいつは、ま~た来やがった。…ンなことはちゃんと自分で解決しろよな。修行が足りんのう、何考えてんだか…」、そんな御声が聞こえてまいります。でも都合良く聞こえないことにして、心許りのお賽銭をそっと置かせて頂くのであります。
でも、神さま仏さまは全てをお見通しですね。お優しいのです。逃避的な小生の心は、まずは毎回滞りなく、御赦しをもって均されていったのであります。そんなこともまた度々でありました。
しかし、そうこうする内に、もちろん成長とは言えませんが、不思議と外科医は変わります。
「この赤ん坊は助かる運命にある。その運命に従うから、自分が選ばれて切らせて頂く。もちろん自身に責任を課す。病気をやっつけようとは思わない…」、僭越ですが、心はいつの間にか、そのように変化していったことを良く覚えております。それはある意味、祈りと言っていいのでしょう。
もちろん、試されているとは決して思いません。
しかし果たして、自分は神さま仏さまに認められていたのかどうか…。祈りというものが理解できないままに祈ることもありましたね。何とも罰当たりなことです。
一方、これまた不思議なことですが、そういった思いが重なりますと、日常の手術はさらに変化いたします。
今までの経験を活かすのではなく、逆に経験に対処するのでもなく、まして利用するのでもなく、全てをリセットしてから手術に望むようになるのです。今思えば、それはあたかもその度ごとにお祓いを受けるようなものです…。実はこのこと、手術の大切なコツでもありまして、外科医としては、随分助けられたのです。
全ては神さま仏さまの思し召し、だからこそ40数年も外科医でいることができたのかもしれません。赤ん坊の生きる意味だけでなく、その運命のポジティブさも信じることができるようになりました。
ですから、敢えて一つだけ神職への理由を申すならば(すみません。僧侶という選択はありませんでした…)、お礼の祝詞を外科医でもある今の内に正式に申し上げるということでしょうか。
長年お世話になりっぱなしの、外科医の罪滅ぼしでもあります。
「初めての祓詞…」
『 未だ外科医でもある小生…、青年時代の葛藤を懐かしく思い出しております。
新たな世界へ飛び込むこと、何かを新しく始めようとすること、そして、それを継続させること…、研修医になる前と、ペーペー研修医となったあの頃は、多少の緊張感と期待を持って若手らしく、何やらあれこれ考えていたようです。思いの外、ピュアでありました。
ところで、当時の若手外科医の思いの中には…、ペーペー神主の心にも留めておくべきものがあるのでしょうか? 何やら、外科医と神主には同じ匂いを感じることが出来るのです。
しかし結局、まだ来ぬ未来のことを詮索してもしょうがありません。
神主としてのある時期が来れば、外科医の頃と同じように、また色々と妄想することになるのでしょう。そしてそのループの中で、腑に落とすことが次第に多くなるのでしょう。
それにしても、流石は40数年間の外科医経験でございますね。今や度胸の質と量だけは半端ないのです。それが唯一、あの研修期の始まりとは明らかに異なる勇気です。 』