道中二足の草鞋|21. 領有
これまた小生の偏見だと思いますが…、愛というものは殆どにおいて、平行線を辿るのでありましょう。多分、間違いありません。自分に愛想付くこともあるくらいですからね。しょうがないと諦めております。
ところで最近は、どの宴会に参加しても、9割方は最年長という存在になってしまいます。
ご年配の方々の御神酒パワーが落ちているのか、それとも、知恵が付いて二の足を踏んでいるのか、悩ましいところではありますが、確かに小生もまた、中高年の「中」が取れるお年頃となり、翌朝には毎度既読スルーしながら懲りない反省をするのであります。
とはいえ、若者と話しますと、夢を描くことができます。気持ちは津々浦々を周り、徐々に小生好みの空気となります。そして余所者感が消えていくのです。それは、少し作り笑いをして、愛想笑いもしながら、粗筋だけで幕間の楽しみを期待する感じです。そうですね、そこには確かに、愉しく安全、もしくは滑稽さの妙という、過去からの濃厚な連続性が存在します。諸々の選択をしてきたベテランという存在の真価でもありましょうか。
無論、誰かと戦う訳ではありません。元々、そんな人間ではないつもりですしね。
しかし、自分は今まで誰とも戦わなかったのでしょうか。いや、その始まりはどこかにあったはずですね。初めての雨宿りのお礼は誰に申せば良いのか…、つい、そんなことも思ってしまいます。
そんな中…、例え主語を抜かし、述語も抜かし、単語だけで物申したとしても…、若者は気を使ってくれます。中には、長年の外科医生活を褒めてくれる奇特な輩もいて…、そしてたまには「お目が高い。センスいい。よっ、日本一。大統領」などとお世辞を宣う奴もいて…。そんな時はつくづく思ってしまいますね。「やはり僕は正直な若者が好きなんだなあ」って。もちろん、顔色を伺いつつのことです…。
以下、………云々かんぬん。
さて、こういうお話しの流れは、だから何だっていうことではないのです。
ただただ、何気ない気持ちの揺らぎを並べるだけです。
言いたいことも無理に言わなくていい…、別にアップデートされなくてもいい…、もちろん、普遍性や合理性なんて野暮なものは必要ありません。否定的でない流れでありさえすれば、文脈は混ざり合いそうで混ざり合わずに過ぎていきます。そして文のお開きには、消したい過去も消えてしまいます。結果、「外科医という心根で終わることは許されない」という決心だけがそこに残ります。それで完結です。
僭越ですが、何だか今の小生の中には色んな「風」があって、多分それらは古希前にしてようやく生まれたものであって、そのような自分ならば、その風を上手く佩く(波久)ことが出来そうに思えたりもして…。つまり、自分なりの正義を幾つか見つけられそうな気がしてくるのです。
少し、御神酒が過ぎましたか…。ただこういう過ごし方もまた、外科医&神主としての中今なのです。